「メビウスの輪」の表側
福岡の某大学に通う学生が、日々のどうでもいいことを備忘録代わりに書き記したり、オリジナルの推理小説を中心とした様々な小説をを発表したりするブログです。
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死体(それ)はタイムマシンに乗って -目次-
連載終了です。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
あとは指摘のあった誤字等をチョイチョイなおしていく予定です。

死体(それ)はタイムマシンに乗って -目次-

プロローグ 12/1更新
事件編その1 12/3更新
事件編その2 12/3更新
事件編その3 12/4更新
事件編その4 12/5更新
事件編その5 12/6更新
事件編その6 12/7更新
事件編その7 12/8更新
事件編その8 12/9更新

注意書 12/11更新

解決編その1 12/11更新
解決編その2 12/12更新
解決編その3 12/13更新
解決編その4 12/14更新
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死体(それ)はタイムマシンに乗って プロローグ
 俺が最初に知覚したのは、冬になると必ずと言っていいほどかぐことになる臭い――そう、灯油の臭いだった。そして次に知覚したのはもちろん、七年前黒焦げになった蔵に差し込む唯一の光明が照らし出すそれだった。
 ある意味皮肉といえよう。七年前は何もなかったことで人々に畏怖を与えたこの蔵が、今度はそれがあることで畏怖を与えるというのだから。
 もはや無駄であろうとは思いつつも、それのすぐそばまで歩み寄り、確認する。
 そう、それは紛れもなく死体だった。
 つい昨日までは俺たちに毒づいていたその死体のかつての名は諏訪(すわ)燈子(とうこ)。彼女は俺の親友にして探偵仲間でもある本郷(ほんごう)稔(みのる)の依頼人だった。
 隣にいたここの屋敷の現当主である奥野(おくの)美和(みわ)さんが、死体から顔を背ける。必然の流れではあった。目の前にあるのは一体の死体、加えてこの臭いだ。
 気を失いもせずに俺を案内した時点で、十分に気丈といえる。
 諏訪さんが首に残された索状痕からして、絞殺されたのは間違いない。だから死臭と呼べる異臭こそすれ、血なまぐさい臭いはしない。だが代わりにこの蔵には、諏訪さんへの死出の化粧代わりの香水だともいわんばかりに彼女にまんべんなくかけられた灯油の臭いが満ちている。
諏訪さんを殺害した犯人は、一体何がしたかったのだろうか? 何かを燃やしてしまいたかったというのが無難な説ではあるが、だとしても犯人は何を燃やそうとしたというのだろう? 一番考えやすいのは何らかの証拠を隠滅することだが……
「…………」
 俺は黙って周囲を見回した。昨夜見たときとなんらかわりなく、この蔵には何も無い。少なくとも犯人が死体を燃やしてまで隠滅したかった何かがあるとは思えない。そして実際に、何か燃やされたものがあるようにも見えない。もっともこの蔵の中でなら、多少の燃焼の形跡は紛れてしまうことになるのだろうが。
「何してるの? そんなところで?」
 不意にかけられた声に振り向いてみると、奥野さんのすぐ後ろに怪訝そうな面持ちで二人が立っていた。
 そう、諏訪燈子の従姉妹であり、今この屋敷にいる俺たち以外の二人の客人、河内(かわうち)恵子(けいこ)と佐渡(さわたり)静(しず)香(か)だ。
 河内恵子――発言をしてきたほうの女性――が、止めるまもなくひょいと蔵の中を覗き込んで絶句する。
 俺は二人――奥野美和と河内恵子――の視線を黙殺し、蔵の外に出るとその重い鉄扉を閉めた。
「美和さん、稔を起こしてきてもらえますか? 警察には俺が連絡しておきますから」
「え、あ、はい」
 その言葉に気を取り直したのか、美和さんは北棟の稔の部屋へと駆けていった。
 俺は携帯のボタンをプッシュしながらも、考えずにいられなかった。こんな非常事態にものんきに眠りこけている稔のこと、その稔が一週間前、こんな厄介ごとに発展してしまうような依頼を持ちかけてきた日のこと、そして昨日のことを。
死体(それ)はタイムマシンに乗って 事件編その1
「タイムマシンだと?」
「ああ」
 そういって稔は、ちょっと困ったような表情を作った。稔の精悍な顔立ちを台無しにしてしまうその表情は、しかし稔のラフな服装、そして俺、及び父と妹を所員とする勝探偵事務所の悲惨なまでの散らかりようにはピッタリと言えた。
 やれやれと言わんばかりにため息を一つつき、稔は話を再開した。
「今回の依頼人の叔父は、タイムマシンを開発するなんて荒唐無稽な夢を追い、結果実験中の事故で七年前行方不明となっているんだ。で、今回の依頼は……」
「ちょ、ちょっと待て。実験中の事故で命を落とした……じゃなくて、行方不明になっただと? さっぱり訳がわからないぞ」
「話は最後まで聞け」
 たしなめるようにピシャリと言ってのける稔の口調は、子供の頃と全く変わらない。俺がこっそり懐かしさに浸っている間にも、稔は話を続ける。
「だから今回の依頼は、その実験で、依頼人の叔父は一体どこに消えたのかを調べることなんだ。爆発事故が起こったくせに遺体が見つからないせいで、実はタイムマシンは完成していて、その酔狂な研究者は今もまだタイムスリップを続けているとかいう話も出てしまっているらしい。だからまあそのあたりをはっきりさせることが今回の依頼内容だ。……表向きはな」
「表向き?」
 そう、表向きさ、と苦笑とともに呟きながら、稔は話を続ける。
「実際の依頼は叔父の失踪七年を経た今、失踪宣告が出された後に遺産相続のライバルとなるであろう従姉妹たちの弱みを握ること……となんとも後味が悪そうな依頼さ」
 自嘲気味に呟く稔の表情から、彼がこの仕事を快く受け入れたわけではないことは窺い知れる。となると、そんな依頼をなぜ引き受けたのかが気になるところだが、まずはそれより先に聞いておきたいことがある。
「で、その後味の悪そうな依頼の協力を、何で俺に求めるんだ?」
「何故って、そりゃあ……」
 稔は少し考え込むような素振りを見せてから
「お前がSFに詳しいから……かな?」
 と、自信なさげに呟いた。こいつがこういう曖昧な態度をとるときには、必ず何か面倒なことを企んでいるんだが……狙いが読めんな。
 そんな気持ちを無言で伝えるが、知ってか知らぬか、稔は話を続ける。
「ま、補足しておくと俺が依頼人の従姉妹たちの弱みを握るべく暗躍している間に、タイムマシンの実験中の事故の真実をお前に探っておいてほしいわけだ」
「……念のために言っておくが、俺は確かにSFが好きだが、SFに詳しいつもりは全然ない。それに精密機器だったらお前の方が詳しいだろうに」
「サイエンス・フィクションと現実の科学をごっちゃにするなよ。第一俺は通信機器には明るくても、それ以外の機器に対する知識は月並みだぜ。それにほら、どうせお前の事務所、依頼がなくて暇だろう?」
 いくつかの突っ込み所は看過できたが、その言葉は聞き捨てならなかった。
「いや、そんなことはない。別に隠していたわけではないが、うちの事務所はお前のとこより上客の依頼人が、お前のとこの倍くらいいる自信がある」
「この事務所でか?」
 言いながら稔が見渡す事務所は、確かにお世辞にも商売繁盛の様子は片鱗たりとも見られず、乱雑極まりない。この事務所で着席が可能なのは、この事務所の所長である親父と所員である俺と妹、そして幼い頃から入り浸っている稔くらいのものだろう。
「うちの事務所の場合は親父の名声が津々浦々に届いているから、かなり依頼は入るんだよ。でもな、稔。依頼人に会う前に依頼人を殺されてみろよ。交通費はかかるくせに、ほとんどの場合は遺族が渋って金を出してくれないぜ。もちろん裁判所に訴え出れば交通費くらいは得られるかもしれないが、いかんせん時間がかかりすぎるからな」
「依頼人を殺されるって……でもそれは例外中の例外だろう? そんなことはそう何度も何度も起こるものじゃ……」
「うちの事務所の依頼人のうち六割は、俺たちが実際に会う前に殺されているぞ、残念ながら」
「……」
「ま、そんなわけでたまにまともに依頼を受けられたとしても、他の事件の交通費に金が回されちまって、収益はほとんど得られないってわけだ」
「……それってつまり、ここに依頼した依頼人の生存率は約四割ってことか?」
「いや、それは正確じゃないな、稔。俺たちが実際に依頼人にあったとしても、そのうちの五割は殺されているから、生存率は約二割だ」
「……二割……ま、まあそんなに忙しいんだったら、やっぱりいいや、これは俺が一人で」
「いやいや遠慮するな稔。他ならぬ親友のお前の頼みだ。幸い来週はまだ予定も入っていないことだし、お前の依頼、喜んで了解しよう」
 稔の笑顔が多少ひきつっている。まあうちの事務所に幼い頃から入り浸っていた割には裏事情を聞いたのは今日が初めてだから無理もないか。
 そのとき、ふと俺の脳裏にある言葉が去来した。
「領海侵犯」
「……」
「念のために言っておくとこれはさっきの『了解』と『領海』を引っ掛けたんだが……」
「いや、言わなくても分かるよ。長い付き合いだし」
「そうだな、無粋なことをした。ま、生きていたら来週会おう」
 俺の言葉に、稔の笑顔はさらに引きつることとなった。
死体(それ)はタイムマシンに乗って 事件編その2


「『そしてその時の俺は、それが稔を見た最後の姿になるとは、もちろん本気で思ってなどいなかった。今思うと、俺はあのとき何故もっと優しい言葉をかけてやれなかったのだろうか? それが今でも悔やまれてなら……』」
「人を勝手に殺すな」
 運転席から聞こえてきた厳しい突っ込みを前に、俺は口をつぐんだ。
 今、俺は稔(もちろん健在)に運転を任せ、依頼人との待ち合わせ場所にして捜索対象となる奥野家へと向かっていた。
 さきほどから視界に変化は見られず、おまけにコンポは故障中だとかでBGMすらない窮屈な軽自動車の中で数時間揺られていれば、俺の退屈が頂点を極めるのも無理はないだろう。俺は稔をネタにするのを諦めて、素直に今回の依頼の話をすることにした。
「で、念のために確認しておきたいんだが、その依頼人は本気で従姉妹たちの弱みを握ろうと思っているのか?」
「というと?」
「言うまでもないだろうに。たった二日の観察で他人の弱みを握れるなら、誰ものし上がるのに苦労はしないさ。お前の依頼人はそこのところ、ちゃんと分かっているのか?」
「さあ、どうだろうね……でももしかしたら……」
 そういって稔は少し真面目な顔つきとなった。こういうときの稔はなかなか頼りになる。
「もしかしたら?」
 俺は期待に胸躍らせて、稔の言葉を反芻した。
「本当はそっちが“表向き”の依頼なのかもしれない」
「は? 表向きは叔父の失踪事件の調査なんだろう?つまりお前は、従姉妹たちの弱みを握ってほしいというのは建前で、依頼人の本当の目的は叔父の失踪の真相を探ることだって言いたいのか?」
「そういうこと」
「なんだってそんなややこしいことをしなきゃいけないんだ?」
「じゃあお前だったら、『七年前にタイムマシンに乗ってどこかに時間旅行してしまったかもしれない叔父を探してください』って言われたら、迷わずその依頼を受けられるか?」
 微妙だ。果てしなく微妙だ。
「……ま、少なくとも迷わず即答なんて不可能だな」
「つまりはそういうことだよ。それにそう考えると、俺の事務所に依頼を持ち込んだのも納得できなくはないんだよ」
「納得できなくはない?」
 俺が問いかけると、稔は視線を前に向けたまま首を軽く振って、後ろを覗くように合図した。
「後部座席に件の失踪事件の資料をまとめたものがおいてあるから、見てみろよ。そしたら俺が言わんとすることもわかると思う」
 後部座席を覗いてみると、確かにごちゃごちゃと物が乱雑している中に、資料が入っていると思しき封筒が垣間見られた。
 車酔いが気になったが、まあ少しなら大丈夫だろうと高をくくり、それを手にとって眺めてみると、確かにそこには七年前の失踪事件に関する詳細な情報がまとめられていた。だがそこにある資料は、あえて言うならば詳しすぎた。
「稔……これだけのことを本当にたった一週間で調べたのか?」
「調べた事項はほとんど存在しないよ。俺は資料をまとめただけだ。七年前、俺がその事件を担当したときの資料をな」
「なんだって?」
「七年前、この事件の捜査を俺は依頼されていたんだよ。残念ながら俺には、真相を突き止めることは出来なかった。正直に言えば、俺がお前に仕事を頼んだのは、お前が本当に真相を突き止めてくれたらってのもあったんだ」
 稔が大学を中退して探偵業を始めるきっかけとなったある事件が起きたのは、十年くらい前だった。確かその三年後くらいに稔は独立したから、稔が一人で担当したかなり初期の事件、というとになるのだろう。
なるほど、何か企んでいると思ったら、そういうことだったのか。七年前の自分には解決できなかった事件を、俺に解決してほしい、と。
「だったら、最初っから素直にそういえばいいだろうに」
「何か言ったか?」
「いや、気にするな。独り言だ」
それで稔は納得したらしく、ふむと呟き黙った。だがまもなく、やたらと長い塀が見えてきた。
「おっと、そうこうするうちに、目的地が見えてきたぞ」
 稔は視線を前方から逸らすことなく、続けて言った。
「詳しい話は、また後でな」
 俺は軽く頷きつつも、ふと去来したセリフを呟かずにはいられなかった。
「走行するうちに」
 もちろん稔からの突っ込みはなかった。
死体(それ)はタイムマシンに乗って 事件編その3
こぢんまりとした駐車場には、既に三台の車が駐車されていた。
「随分と個性的な車ばかりだな」
 三台の車の割り振りは、真っ赤なスポーツカー、軽トラック、おまけに軽自動車だ。
 車から降りるなり、稔は軽トラックを指差しながら、
「その軽トラックは確か奥野家のものだ。あとその赤いスポーツカーは俺の依頼人の諏訪さんの車で、そっちの軽自動車は河内さんの車のはずだ」
 と説明を加えていく。
「河内?」
「七年前の失踪事件の時もこの屋敷にいた人さ。その資料にも載っているだろう」
 言われて資料をパラパラとめくってみると、確かにそのような記述があった。
「その資料に載っている佐渡さんって人も河内さんと一緒に来ているはずだから、今日この屋敷に集まったのは七年前の事件関係者プラス依頼人の諏訪さん、そしてお前ってわけだ」
「ん? お前の依頼人は、事件関係者じゃなかったってことか?」
「そういうことだ」
 そんな話をしながら徒歩数分で到着したのは、七年前に失踪した奥野氏の館である。建築されてからの経過年数は相当なものらしい、堂々とした佇まいの日本家屋だ。辺りを囲む森が風に揺られて鳴らす音、そしてひぐらしの奏でる調和が、なんとも心地よい。
「どうだ。なかなかに豪華な館だろう?」
「そうか? 中の下くらいじゃないか?」
「……お前、一体普段どんな家の依頼をうけてるんだよ……」
 稔の呟きを聞き流しつつ、奥野家の敷居をまたぐ。出迎えてくれたのは獅子の勇壮な姿が描かれた屏風だった。
「すみません、どなたかいらっしゃいませんか?」
「あ、はい。お待ちください」
 稔の問いかけに答える声は、屏風の向こうの襖のあたりから聞こえてきた。まもなく襖を開けて出てきたのは、着物が似合う凛とした女性だった。見たところ年齢は三十代後半といったところだろうか?
「あら、本郷さん、お久しぶりです。ええと、そちらの方は……」
「はい、さっき電話で連絡しておいた僕の助手です」
「な……」
 文句を言いかけた俺のセリフを、稔はひじで俺の虚を小突いて止めた。言いたいことはやまほどあったが、とりあえず俺はグッとこらえてことの成り行きを見守ることにした。
 まもなく、俺の服装を見て苦笑いしていたその和服の女性の後ろから、ひょっこりと誰かが顔を出してきた。
「おや? 稔殿のおでましかい?」
「ええ、久しぶりですね。河内さん、それに佐渡さんも」
 稔に「河内さん」と呼ばれた女性は、おそらく七年前にもここにいたという河内恵子のことだろう。資料からすると今の彼女の年齢は三十前のはずだが、両肩にぶら下がるおさげが彼女を幼く見せている。そしてもう一人。
「……」
 稔が「佐渡さん」と言いながら、視線を河内さんの後ろに向けなかったら気がつかなかっただろう。彼女の後ろには、何も言わずに佇む黒髪の長い女性、佐渡静香がいた。服の系統が暗いこともあり、根暗な印象がひしひしと伝わってくる。
「諏訪さんは今部屋にいらっしゃいますけれど、呼んできましょうか?」
 着物の女性が尋ねてきた。河内さん、佐渡さんがここにいて、稔の依頼人の諏訪さんが部屋にいると言うのだから、消去法でいけば彼女はこの館の現当主、奥野美和さんということになるのだろう。まあ今の世の中、他人の家に着物で訪問する女性を見つけるのは至難の業だろうが。
「いえ、あとで構いませんよ。先に荷物を置かせてください。部屋は七年前と同じ場所でいいんですか?」
「あら、やだわ。まだ荷物をお持ちのままでしたわね、ええ、七年前と同じ部屋でどうぞ。助手さんは、隣の部屋をお使いください。鍵はすぐにお持ちしますから」
 稔はそれを聞くと頷いて廊下に上がり、向かって右手に歩き出した。もちろん靴は靴棚へ。河内さんの「あのあんちゃん、やたら奇抜な服装してんなあ」という呟きを無視しつつ、俺もそれに倣う。廊下はすぐに左に折れていて、そこを曲がると右手には部屋がいくつか並んでいる。玄関正面の部屋は襖で区切られていたが、それ以外は普通のドアで隔てられている。部屋がいくつか連なる廊下を歩きながら左手を見てみると、中庭を挟んだ向かい側も同様の構造らしいことが見て取れた。
「ま、見れば分かるだろうけど、この屋敷は中庭を抱えるように大きなコの字の形をしている。便宜上こっち側を北棟、向こう側を南棟、さっき見た襖の部屋の食堂辺りを中央棟って呼んでいる。俺たち以外の客人は南棟に泊まっていて、奥野さんは中央棟に住んでいるんだ、そして……」
 稔は歩みを止めると南棟の突き当たりに視線を向けた。稔の視線の先には、えらく古風な蔵がそびえていた。
「あそこが七年前、失踪事件が起きた蔵だ」
 そうかあそこが……
「と感慨に耽るとでも思ったか? 稔。どういうことだ? 俺が助手だって?」
「やはりそう来たか。いや、だってその方が説明楽だし」
 逃げ口上になりながら、稔は目の前の部屋の戸を開けた。鍵がかかっていなかったところを見ると、さっき奥野さんが言っていた「鍵を後で持ってくる」というのは開錠用ではなく、施錠用だということだろう。ま、それはそれとして
「て、おい、逃げるな。俺の話は終わってない!」
 部屋の中へ入ろうとする稔の腕をつかんで、言葉を投げつけた。負けじと稔も言葉を投げ返す。
「俺は今から食堂に行って依頼を果たすための調査を行う。お前はこれからそこの蔵に行って実地見聞でもしてくれればいい。以上、俺の話は終わり」
「だから、俺がお前の助手ってのは納得行かないんだよ。それに依頼人に弱みを握るように言われたのはあの二人だろう。あんな二人にとても裏があるようには思えな……」
「甘いな」
 稔が急に真面目な顔つきになって俺の言葉を遮った。急にひぐらしが鳴きやみ、風がザワザワと木々を揺らす音だけが聞こえる――そんな錯覚に襲われる。
「彼女たちにも裏の顔ってのはあるんだよ。そしてその一面を、お前は間もなく目の当たりにすることになるだろうよ」
 稔の異質な雰囲気に気圧されて、俺はつかんでいた稔の腕を離してしまった。だが俺がつかんでいた腕を離すなり、
「ま、そういうわけで後はよろしく」
 稔は部屋の戸を閉め、鍵を閉めてしまった。
「あ、待て、この」
 慌ててノブを握るが、もちろん施錠されたドアが俺の力如きでこじ開けられるはずもなく、ドアは開きはしない。そんな俺をあざ笑うかのように、今度はやかましくひぐらしの鳴き声が聞こえてくる。
 俺は諦めて隣の部屋に荷物を投げ込み、蔵の調査へ出向くことにした。
 部屋の広さが家の事務所よりも広く感じたのは、室内の家具が椅子と鏡台とベッドのみという殺風景極まりない部屋だったからだと信じたい。
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