「メビウスの輪」の表側
福岡の某大学に通う学生が、日々のどうでもいいことを備忘録代わりに書き記したり、オリジナルの推理小説を中心とした様々な小説をを発表したりするブログです。
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カノン 目次
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テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学

カノン 事件編その1
「……したがって、山崎碧(みどり)さんは、爆発に直接巻き込まれたわけではなく、爆破の衝撃で吹き飛んだ扉と廊下の壁に挟まれ、全身を強打されたようです。そのため火傷などはないのですが、頭を強打したらしく、依然意識は戻っておりません。それから……」
 曖昧な意識の中、一つだけ確実に分かること、それは山崎先生が怪我を……それももしかしたら命に関わるかもしれない怪我をしたということだった。
 ほんの数時間前の僕は、こんなことが起こるだなんて、考えもしなかった。
 山崎先生と話をしたのも、それこそほんの数十分前までだというのに……

 *

 開け放した窓から吹き込んでくる風は、いつの間にか随分と涼やかなものになっていた。
 いつになったら夏は終わるんだとぼやいていたのが昨日のことのようだけれど、秋は暦の上だけでなく、確実にすぐそこまで来ているらしい。
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども……なんてね」
 柄でもない、と自嘲気味にぼやき、ため息をつく。
 そう、柄じゃない。僕が風流なんて言葉から、イスカンダルくらい遥か遠くに位置していることは重々承知している。それでもこんな詩を呟いてしまうのは……
「カノン! あんたいつまでそうやってサボってるつもりなのよ!」
 つまりは簡単な話、ここでもう少しダラーッとしていたかったのだ。

 僕の名前は大佛観音(おさらぎかのん)。
 両親が何を思って僕にこんな名前をつけたのかは知らないが、ひどく大仰な名前をつけてくれたものだと、自己紹介の度に思う。まあ当然、いかに立派な名前をつけてもらったところで、なんら苦行に身を置かずに聖人君子になれるはずもなく、人並みに善行を重ね、人並みに悪行を重ねてきたと自負している。
 で、そんな僕が今、何をしているかと言うと……
「分かってるの? 文化祭はもう明後日なのよ! そうやってサボってる時間なんて無いんだから!」
「はいはい、分かってますって。そうカリカリしないでよ、鈴木さん」
 黙っていればそれなりに整った顔つきなのに、その口やかましさのせいで敬遠されがちな、クラス委員長である鈴木さん。無意味な抵抗はせずに、僕は素直に窓を閉めて自分の持ち場へと戻る。
 そう、今、僕を含めた倉知高校一年二組の面々は、来る文化祭に向けて準備の真最中なのである。
「よう、カノン、休憩はもういいのか?」
 同じ作業班の泉が、軽い口調で聞いてくる。
「いや、もう少しサボっていたかったんだけどなあ、鈴木さんに見つかっちゃったから」
「そりゃあお気の毒に。じゃあ折角だから、地図に適当に色塗りでもしといてくれ。絵の具はそこにあるから」
 うちのクラスのテーマは『私たちの街の歴史』で、文化祭があれば少なくともどこか一クラスは選ぶに違いない、定番中の定番のテーマである。それでいて、よほど画期的な点がない限り、見るほうも作るほうも退屈だったりするあたり、厄介極まりないテーマだ。
 そう思っているのは、どうやら僕に限ったことではないらしい。ちょっと周りを見回してみれば、終業式の日のホームルームのような、心ここにあらずな皆の表情が見てとれる。たまに例外もいるけれど、そこで交わされている会話に耳を傾けてみると……
「やっぱりあそこはカインを使うのがセオリーだろう、じゃねえと攻撃力が全然足りねえ」
「馬鹿言えよ、そこはアベルの白魔法で回復手段を確保しつつ……」
「ちょっと待て、あの場で回復なんて考えてる時点でお前の負けだろ、あそこはなあ……」
 と、今はまっているゲームだとか、昨日見たドラマだとか、全然関係の無い話をしていることが分かる。
 そんなわけで本番は明後日だというのに、作業は遅々として進まずにいる。だから鈴木さんが焦る気持ちも分からないではないのだけれど、それにしたって彼女の気合が空回りしているのは否めない。鈴木さん自身が率先して作業を進めるのはともかく、その熱気を他人に強要されても周囲は迷惑するだけだ。事実、鈴木さんから明らかに過剰に出される指示に、皆はとっくの昔に辟易してる。それに気付いていないのは当の鈴木さんくらいなものだろう。
 おまけにそれだけでは飽き足らずに彼女がとった手段は、確実に皆のモチベーションを下げていた。即ち、
「こら、そこ! 田中さん! 今携帯を出してたでしょ! 没収!」
「あ……ちょっと待ってよ、私はただ……」
 田中さんの抗議の声にも耳を貸すことなく、鈴木さんはズカズカと田中さんの下へと歩み寄り、半ばひったくるように携帯を取り上げてしまった。先ほどから恒常化しているこの風景――作業もせずに携帯をいじってばかりの皆に業を煮やした彼女がとった手段――それがこの、携帯狩りとも呼べる、携帯電話の没収だった。
 没収基準はいたってシンプル。携帯を出したら没収だ。かく言う僕も、時間を確認するために携帯を出しただけで没収されてしまった。
 勿論反発はあったが、学校が携帯電話の持ち込み禁止を建前として掲げている以上――それを律儀に守っている真面目なやつなんてそう滅多にいないけれども――大義名分は向こうにある。まあ先生がいないからと言って携帯を出してるこちらにも非があるわけだし、今日の帰りには返却されるということで、嫌々ながら納得している、といったところだ。
 でもそれにしたって、鈴木さんはわかっていない。今時、腕時計を使わずに携帯電話で時間を確認するやつは少なくない。そして、文化祭の準備で使うために借りたここ、多目的ホールには、時計が無い。せめて中庭の時計を見ることが出来ればいいのだが、この部屋の窓は全て曇りガラスだから、それも叶わないし、鈴木さんの物腰を見れば、時計を確認するためだけに部屋を出るのも厳しいことも分かる。
 そのため、今、この部屋には、僕を含めて多くの単純労働者が、あとどれくらいこの不毛な状態が続くのか分からずに作業を続けている。それはもう、本当に苦役でしかない。鈴木さんは作業に集中させようとして、かえって皆の集中力を散漫にしていることに気がついていないのだ。
 ――まあ、愚痴はこの辺にしておこう。もう済んでしまったことは仕方が無い。この後の予定はチャラになってしまうかもしれないが、今日のところは大人しく鈴木さんの指示に従うことにしておこうじゃないか……

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カノン 事件編その2
「ねえ、こっち足りてないみたいなんだけど……」
「え? あ、ほんとだ。何が足りないんだろ」
「これが足りないんじゃない?」
「あ、そうね、じゃあ補充しとかなきゃね」
 キャピキャピという擬音が似合いそうな、女の子たちの声が耳に入ってくる。ああ、女の子の会話が耳障りでなくなったのはいつからだったかな、それはきっと、姉さんたちに植え付けられたトラウマが一つ消え去った記念日だろうに、覚えていないのは勿体無い。
 そんなどうでもいいことを考える余裕ができるくらいに、作業はなんだかんだで一区切りつきそうな気配を見せていた。一時はどうなることかと思ったが、人間やればできるものだ。この分なら、明日あと一日あれば、十分に作業を終えることができる。
「……よし、こっちはOK。泉……もOKみたいだね。いやー、意外に早く終わりそうだ」
「そうだね、ま、カノンがサボらなければもっと早く終わってたかもしれないけれど」
 グサリ、と泉の言葉が僕の胸をえぐる。
「い、泉ー、今更それを持ち出さなくてもいいじゃん、てか、さっきはそんな素振りおくびも見せてなかったけれど、もしかして僕がサボったの怒ってた?」
「さあね」
 怪しげにフフ、と笑う姿が泉には妙に似合っている。もしそれに合わせて、かけている眼鏡を反射させることができれば、完璧に権謀術数に長けた悪の参謀だ。そんなこと言ったら怒られるだろうから、本人には言わないけれど。
 そんなことを考えてると、誰かが後ろから、肩をトントンと叩いてきた。
 振り返るとそこにいたのは高山さんだった。
「そろそろ一区切り、と考えても構いませんよね」
「え? そ、そうだね」
「それでは私は用事があるので、早目に帰らせてもらっても構わないでしょうか」
「ん? ま、まあいいんじゃない?」
 初対面からもう半年経つというのに、未だに馬鹿丁寧な態度も含めて、彼女の性格はよく掴めない。黙ってじっとしていると、日本人形のように整った容姿が目をひく可愛い子なんだけど、いざ会話をすると、どうもその印象が食い違っていくのを感じてしまう。暗い……というわけではないのだけれど、どことなく……そう、どことなく人との関わりを避けているような印象が拭えないのだ。
 とはいえ、高山さんのそんな態度に慣れてきたというのもまた事実であり、
「でもま、そろそろ今日の作業を終了にしてもよさそうなのは事実か。ボチボチ頃合を見て、柳沼(やぎぬま)を捕まえとかないと」
 副責任者の立場でなぜか鍵を預かっている身としては、そんなことを呟いてしまう。
 柳沼とは、ここ、特別校舎の管理を任されている化学の地味で冴えない独身教師である。
 そもそもこの特別校舎は、校舎に入りきらなかった部屋を無理やり詰め込みました、という印象が拭えない建物になっている。事実、そうなのかもしれない。一階の会議室に始まり、二階の多目的ホールと、化学実験室、三階のパソコン室と美術室といったメジャーどころに加え、運動部用の更衣室、おまけに現像室兼写真部部室だとか、礼法室兼カードゲーム部部室だとかが混在しているのだから。
 話が逸れたけれど、そんな特別校舎を管理しているのが柳沼で、特別校舎の部屋を利用した生徒は利用後、その部屋の鍵を柳沼に返す必要があるわけだ。ただしここで注意しなければならないのは、柳沼が美術部の副顧問も務めている関係で、放課後のほとんどの時間を美術室で費やしているとともに、そこで過ごす時間を邪魔されるのを非常に嫌うということである。そんなわけでここを使い慣れている人間なら、用事が済んでいれば、柳沼が校舎内の巡回のために準備室に鍵を取りに戻る午後六時前後の時間での鍵の返却を狙うわけだ。
「今、何時くらいだっけ?」
 泉が呟く。この部屋には時計がないし、僕自身、今は腕時計も携帯電話も所持していない。誰かに時間を聞こうと思ったその時、コンコンとノックの音がした。間をおかず、ガラガラと扉が開く音がする。
「ヤッホー、皆、作業は順調?」
 間もなく朗らかな声とともに顔を出したのは、碧さん……そう、この場で言えば山崎先生だった。

 山崎先生はうちのクラスの担任であり、団子にした髪と柔らかな印象を与える丸眼鏡がパッと目につく、スラリとした長身の女性で、はっきり言ってしまえば美人の部類に入ると思う。教師としては二年目で年齢が近く、また、本人の明るい性格も相まって、生徒からの人気はかなり高い。もっとも、僕にとってはそれだけではないのだけれど……まあそれについてはここで語る必要はないだろう。
「はい、この調子で頑張れば、明後日には十分間に合います」
 先生の質問に対して、皆を代表して、鈴木さんが答える。とはいえ、未だに元気に溢れているのは彼女くらいなもので、他の皆はもうあまり頑張る気力が無いのは傍から見て明らかだ。先生もそれに一目で気づいたらしい。
「頑張るのもいいけれど、ほどほどにしておきなさいね。それで体壊しちゃ元も子もないんだから」
 苦笑交じりにそう告げる。それを聞いた皆が一様にホッとした表情を見せる中、唯一鈴木さんだけは不満げな表情を見せているが、今更気にするほどのことではない。
「でもまあ折角だから、皆の努力の成果を見ていきましょうか」
 そう言って、一歩を踏み出そうとした山崎先生に待ったをかける。
「あ、その前に先生、今の時間、教えていただいていいですか?」
「え? 今の時間?」
 問われた先生はチラリと自分の腕時計に視線を走らせ、
「六時十分前よ、あら?」
 時間を告げてから、何かに気付いたように声をあげると、山崎先生は微かに含み笑いをして見せた。
「どうかしました?」
「ううん、こっちのことだから、気にしないで」
 先生の態度はちょっと気になったが、こちらもあまり時間がない、ありがとうございますと告げて、すぐに部屋を出ようとドアノブに手をかけようとしたところで、
「ちょっと大佛君! どこに行くつもり!」
 案の定、鈴木さんが声をかけてきた。一瞬、柳沼先生に鍵を返しに行く、と言おうかと思ったが、写真部でよくこの特別校舎を使う僕と違って、バレー部の鈴木さんにはここの仕組みはよく分からないだろう。だとしたらそれを一から説明するのは面倒だ。そんなわけで、
「ちょっとトイレ! すぐに戻るよ!」
 それだけ言い残して部屋を飛び出した。それにトイレに行くというのも、決して嘘ではない。
 部屋を出たついでに中庭の時計を確認しておくと、先生の言うとおり、時計は五時五十分を指していた。

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カノン 事件編その3
 トイレから出て最初に思った感想は、間が悪い、の一言に尽きた。
 特別校舎は中が吹き抜けになっているため、廊下の様子は同じ階ならほぼ全面が、上下の階なら対面は見通すことができるようになっている。そんなわけで、対面に位置しながら、二人の様子――柳沼と碧さん――は良く見えた。
 二人の様子は決して友好的なものではなく、しつこく言い寄る柳沼を、碧さんが拒絶しているのがここからでも見てとれる。
 ここに柳沼が多くの生徒から嫌われている所以がある。柳沼は若い女性教師――たとえば碧さんのような人にことあるごとに声をかけて、交際を求めるのである。噂では、美術部の生徒にも声をかけているとかいないとか。これで柳沼が皆の目を引く好青年なら話は別だったのだろうが、残念ながら、柳沼は地味で冴えない容貌をしていた。結果として柳沼に対する評価は、キモいの一言に集約されてしまうわけである。
 見なかったことにしてしまいたいが、二人は部屋の前で話をしている。おそらく碧さんが文化祭の準備を一通り見終えて部屋を出たところに、運悪く、巡回を開始した柳沼と遭遇してしまったのだろう。無視して通ることは出来ない。
 それに他ならぬ碧さんをこのまま放っておくわけにもいかないだろう。僕は深いため息を一つつくと、二人の下へと向かう。
「しつこいですよ! 柳沼先生! 先ほどからご遠慮しますと申し上げているじゃないですか!」
「だからねー、山崎先生、そんなに気負う必要はないんですよ、俺はただ……」
「あのー、どうかしましたか?」
 さも二人の間に流れる険悪な雰囲気に気付いていないかのように、あくまで平然と声をかける。そこで初めて二人とも、僕のことに気がついたようだった。
 会話を遮られ、気勢を削がれてしまった柳沼は、忌々しげにこちらを睨みつけると、あからさまに舌打ちをして見せてから三階へと上がっていった。
 僕は無言でそれを見送り、碧さんはそれを……あかんべーで見送った。
「碧さん、いくらなんでもそれはないんじゃないですか?」
「あらぁ、いいのよ、あんなやつにはこれくらいしたって。それはさておき、ノンちゃん、学校では碧さんじゃなくて、山崎先生でしょう?」
「それを言ったらみど……山崎先生だって、今、ノンちゃんって言ったじゃないですか」
 途中で睨みつけられてしまったので、山崎先生と言いなおす。
 碧さん――この場では山崎先生――は確かに教師であるが、それ以上に僕にとっては一番上の姉の悪友である。姉たちほど性格がねじれているわけではない分、マシではあるけれど、それでも学校の関係者に僕のトラウマについて深く知る人がいるのはあまりいい気分ではない。
「あらほんと、うっかり口を滑らせることがないように気をつけないとね」
 そう言ってから軽く顔の角度を変えて、眼鏡をキラリと反射させる。まさしくさっき、泉から連想した悪の参謀の仕草である。それゆえに全てを語らずとも、彼女の言いたいことは伝わってくる。
 昔のことをバラされたくなかったら、大人しく言うことを聞くのね、と。
「……了解しました、山崎先生」
「うむ、分かればよろしいのだよ、分かれば」
 言って、満足げに何度も頷く。
 ……うん、根は悪い人じゃないってのは分かってるよ。この人は面白ければなんでもいい、という点において姉と強烈なシンパシーを感じて、友達をやっているような人だってことも、それ以外の点においては、普通の人以上の優しさを備えていることも。だからこそ嫌いになれないんだよね……
「でも柳沼のやつもいい加減諦めたらいいのに。ここまで来ると執念ですよね」
 話を逸らしたくて、話題を柳沼に移す。
「本当に、いつになったら脈がないことに気付いてくれるのかしら。これだからモテない男は……」
 返ってきた返事は、予想以上に辛辣なものだった。これだからこの人は油断ならない。そのせいもあって、僕もついつい調子に乗ってしまう。
「馬鹿は死ななきゃ治らないっていいますしね、もうここまで来ると、一回死なないとあの人の馬鹿も……」
「ノンちゃん! 冗談でも言っていいことと、そうでないことがあります!」
 一転、碧さん……いや、山崎先生の厳しい声が飛ぶ。そこにあるのは紛れもない教師の顔だった。
「……はい、すみません……」
 その剣幕に押され、呼称を訂正させることも忘れて謝ってしまう。これだからこの人は嫌いになれない。
「いいわよ、分かってくれれば。まあ柳沼先生には、諦めてくれるまでこちらも粘り強く頑張っていくわよ」
 気楽にそう言ってのけるけれど、あの先生のしつこさは、誰が見たって折り紙つきだ。おそらくそう簡単なことではあるまい。そう考えていることが顔に出たのだろうか。碧さんは笑って言った。
「大丈夫よ、私はあなたのお姉さんと友達やってたのよ。それに比べればこの程度のこと、造作も無いわよ」
 それは僕にとって、何よりも説得力を持つ言葉だった。

 部屋に戻ると、皆の作業は片付けへと移行しつつあった。あまり帰りが遅くなってもよくないし、妥当な頃合だろう。
「よう、トイレにしては遅かったんじゃないか?」
 身の回りの道具を片付けていた泉が声をかけてくる。
「そうか? それほどでもないと思うけれど」
 適当にはぐらかしつつ、僕もその作業に加わる。
 現段階でそれなりに形になっている展示物をとりあえず部屋の隅にまとめておく。テーマの普遍性のおかげで、文化祭当日までこの部屋を使えるのは幸いだ。ただ、この部屋に当日、わざわざ足を運ぶ人がどれだけいるのかは、甚だ疑問ではあるけれど。
 作業は順調に進んでいく。だが作業を進めていくうちに、何かが足りない気がことに気がついた。
 何だっただろうか……何かあるはずのものがないような気が……
 釈然としない気持ちを抱いたまま、作業を続ける。時間はあっという間に過ぎ去り、部屋の片付けは終わり、皆もほとんど帰り支度を終えていた。さあ帰ろうという段になって、やっと気がつく。
「ああそうか、足りないのは何かじゃない、高山さんだ」
「ん? 高山さんがどうかしたか?」
 俺の呟きを聞き取った泉がオウム返しに尋ねてくる。
「いや、高山さんがいないなって気がついたからさ」
「高山さん? ああ、それならお前がさっきトイレに行ってるときに……」
 しかし泉の言葉を最後まで聞くことはできなかった。
 ドカッと何かくぐもったような音と、バリンといくつものガラスが割れる甲高い音。
それらが一斉に廊下から響いてきたからである。
「今の音は?」「なになに、なんなの?」「なんかすげー音だったよな」
 部屋の中が騒然とする。誰かが爆発という単語を口にすると、部屋の中は一気に混乱の極みになった。
「爆発って一体どこが?」「ちょっと、ここ、安全なの?」「まさかそんなはず……」
 誰かの言葉を口火に、皆が一つしかないドアへと雪崩れ込む。僕もその流れに巻き込まれる形で、部屋を飛び出す。
 たたらを踏んで廊下に出ると、異常が発生している場所は一目で分かった。化学準備室である。そこのドアが外れ、廊下にしだれかかるとともに、細い煙が上がっている。いや、異常はそれだけに止まらない。ドアの陰には……
「え?」
 心臓がドクンと大きく跳ね上がる。まさかそんなことがあるわけが……
 皆が何かを恐れるかのように遠巻きに眺める中を、急いで駆け寄る。遅れて、他にも駆け寄る幾人かの姿が視界に入るが、それを気に留めることなく、ドアをどける。
 そこにいたのは、紛れも無く――!
「碧さん!」「山崎先生!」「ちょっと大丈夫なの!」「誰か、救急車!」
 もはや自分が何を叫んでいるのか、そもそも何か言葉を発しているのかも分からない。飛び交う怒号や悲鳴の中、真っ白になった頭に、カタンと甲高い音が響いてきた。
 ゆっくりと視線を音のほうへと向けた。
 そこには今まさに山崎先生の手から落ちた、ライターが転がっていた。

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カノン 事件編その4
「突然のことで皆さん驚きでしょう、ですが事件を一刻も早く解決するためにも、皆さんにはぜひともご協力いただきたい」
 秋捨(あきすて)と名乗った、この場の責任者らしき警官はそう宣言した。三十代くらいに見えるが、さっき漏れ聞いた話からすると、どうやら階級は警部らしい。それが高いのか低いのかはよく分からないが、少なくともこの場の責任者たる風格を備えているのは間違いない。
 今、この場にいるのは、文化祭の準備で特別校舎に残っていた面々である。グループ分けをすれば、一年二組、美術部が数人、そしてカードゲーム部と――柳沼だった。
 碧さんは病院に搬送されていて、この場にはいない。彼女の容態について本当に軽い説明が終わると、
「さて、まずは今回の事件のあらましを整理してみましょう。何か間違いがありましたら、どなたでも構いません。すぐに教えてください」
 そう前置きした上で秋捨警部による確認が始まった。
「事件が起きたのは今日の午後六時半頃。今から三十分ほど前ですね」
 もう三十分か、とも思うし、まだ三十分しか経っていないのか、とも思う。ドアの陰で血を流して倒れていた碧さんを見てから、僕の中の時計は明らかに狂っている。さっき中庭の時計を見たら、それまで止まっているのに気付いたときは笑ってしまった。
「事件現場はここ、特別校舎の化学準備室。そこで何らかの原因により、爆発が起き、それに山崎碧さんが巻き込まれた。爆発の原因については現在鑑識が調査中です。が、はっきり言ってしまえば、具体的に爆発の原因が何であるかは大した問題ではないのですよ。問題は、この爆発が人為的なものなのか、それとも単なる事故なのか、その点にあります」
 言って、秋捨警部は視線を柳沼へと向ける。言わんとするところを理解したのだろう。柳沼は肩をすくめて答える。
「事故ではありませんよ、保証します。現に管理者である私が、事件発生の三十分前に部屋を訪れて何もなかったんですから」
 そう、これは事故ではないだろう。だって事故だとしたら……
「そうですか。ならおそらく犯人は、準備室に何らかの時限装置か、ドアを開いただけで起動する自動装置を仕掛けたのでしょうな。まあそれについては、今はいいでしょう。ではついでにもう一つお尋ねします。このライターに見覚えはありませんか?」
 言いながら、秋捨警部はビニル袋に入ったライターを掲げた。そう、事故だとしたら、碧さんがライターを握っていた理由が分からないではないか。
「ありますね、私のです。一週間ほど前に無くしたと思っていたんですが、どこから出てきましたか」
 まだ柳沼の表情は、平然としている。
「山崎碧さんの手の中からですよ。どうしてあなたが一週間前に無くしたライターを、被害者である山崎碧さんがお持ちだったのでしょうか?」
 流石に今度は、柳沼の表情が蒼ざめる。
「どうですか? 柳沼さん? 納得のいく説明をしていただけますか?」
 秋捨警部が一歩詰め寄る。それに合わせて、一歩下がった柳沼だったが、わなわなと唇を震わせながら、搾り出すように呟く。
「……だ」
「え? 何ですって? もう一度お願いします、柳沼さん!」
 秋捨警部が大声で攻め立てる。ここまでの態度を見れば、明らかだ。秋捨警部は今回の事件の犯人が柳沼だと思っているらしい。いや、秋捨警部だけではない。僕だってそう信じている。秋捨警部がどこまで掴んでいるかは知らないが、柳沼には動機だってある。いくら言い寄ってもなびかない碧さんに対する逆恨み。定番だが、十分な動機だ。
 それに、碧さんが握っていたライターが、何よりの証拠だ。あれが碧さんが残したメッセージでなくてなんだと言うのか。さあ、一体なんと言って赦しを請う? 柳沼?
 皆の注目を一身に集めた柳沼は……叫んだ。
「これは罠だ! 俺ははめられたんだよ!」
 皆が呆気に取られる。こいつは何を言っているんだ? と。
「考えてもみろよ! 事件現場は俺の管理する部屋、それに山崎先生が握っていたのは俺のライター。怪しすぎるだろう! いくらなんでも! 俺は犯人じゃない! 俺は被害者なんだよ! ……そうだよ、一歩間違えれば、あの爆発に巻き込まれたのは俺だったかもしれない! ハハハ、笑えるなー、被害者の俺を犯人呼ばわりだと? ふざけるな!」
 誰も言葉を返せなかった。そりゃそうだ、まさかこうも堂々と開き直られるなんて、誰も考えない。皆があきれて何も言えずに沈黙の帳が下りる。それが僕を冷静にした。
「……けるなよ」
 そう、僕は、怒りを冷静に沸点までたぎらせた。
「ふざけるなよ! 柳沼! お前が被害者だと! 寝言は寝て言え! お前じゃなきゃ一体誰が、準備室に仕掛けをセットできるって言うんだよ!」
 柳沼に飛び掛ろうとして、寸前で泉と、他数人に止められる。構わず前に進もうとするが、流石に数人がかりで抑えこまれてはそうはいかない。振りはらおうと足掻いていると、顔を引きつらせながら柳沼が反論する。
「べ、別に俺じゃなくてもできるさ。準備室の鍵はいつも開けてるからな。俺が部屋を出た六時より後にその仕掛けとやらをセットすればいい。部屋の鍵が開けっ放しだってことは、お前だって知ってるだろう?」
 返答に詰まる。それは確かにその通りだ。準備室の鍵が開けっ放しだってことは、特別校舎を普段から利用する人なら、誰でも知っている。それは柳沼が犯人であることの決定的な証拠にはならない。……いや、待てよ。
「……そうだよ、六時以降のアリバイを調べればいいんじゃん」
 呟いて、秋捨警部の方を向く。
「秋捨警部、僕は五時五十分頃にトイレのために部屋を出た後は、部屋から出ていません。それは皆が証言してくれると思います」
 秋捨警部が怪訝そうな顔を見せる。
「だから、僕には六時以降のアリバイがあるってことですよ!」
 ようやっと言わんとするところを理解してくれたらしい。秋捨警部は得心した顔でうなずくと、皆を見回して言った。
「さて、すみません、たいへん申し訳ありませんが、これから皆さんが、六時以降何をなさっていたかを教えていただけませんか」
 そう、これで皆に六時以降のアリバイがあれば、柳沼が犯人だということは、今度こそ決定的になる。
 僕は柳沼に対する勝利を確信した。大きな落とし穴の存在に気付かないまま……

「それじゃあ改めて確認するが、君が部屋を出たのは五時五十分頃。そして間違いなく六時になる前には部屋に戻っていた、と」
「ええ、その通りです。そうだよな、皆」
 周りの皆も頷いてくれた。既にカードゲーム部と美術部のアリバイは確認がとれており、この場にいるほぼ全員のアリバイが確認できたことになる。そう、柳沼ただ一人を除いて。
「さて、これでも言い逃れをしますか、柳沼さん」
 ぐうの音も出ないとはまさにこのことだろう。プルプルと体を震わす柳沼の姿は、まさに負け犬のそれだった。誰もが柳沼の弁解を待ちわびているであろうその時、意外なところから横槍が入った。
「あのー、お取り込み中申し訳ありません、警部」
 それは今までどこにいたのか、随分と気弱そうな警官だった。
「なんだ牛尾。用事なら後にしろ」
 牛尾と呼ばれたその警官は、秋捨警部の言葉におどおどしながらも、答える。
「はー、そう思いまして、さっきまでずっと待っていたんですけれど、流石にそろそろ彼女を待たせるのも悪いかと思いまして……」
「彼女だと? 一体誰が待って……」
 牛尾さんが示す方向を見た瞬間、秋捨警部の言葉が止まる。つられて視線を向けた僕たちもまた同様に絶句する。
 そこにいたのは高山さんだった。
「はあ、何でも彼女、忘れ物があって、それを取りに戻ってきたらしいんですが……」
 ここにいた人については、皆のアリバイが確認されている。そう、ここにいる人については、だ。既に帰った人物についてのアリバイは確認されていない。
「……さて、君はどれくらい今の話を理解しているんだい?」
 秋捨警部がそれまでとはうってかわった親しげな口調で問う。
「そうですね、アリバイが無いのは柳沼先生と私だけだって程度には話を理解していると思います」
 それを聞いて秋捨警部は深いため息をつくと、皆の方を向きなおってから告げた。
「皆さん、今日のところはお帰りいただいて構いません。後日、また詳しい話をお聞きすることになりませんが、その時はご協力お願いします。ああ、高山未羽(みう)さん、君は残ってもらえるかな」
 それは考えうる限り最悪の展開だった。

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