「メビウスの輪」の表側
福岡の某大学に通う学生が、日々のどうでもいいことを備忘録代わりに書き記したり、オリジナルの推理小説を中心とした様々な小説をを発表したりするブログです。
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悪魔に会うために プロローグ
 プロローグ

 まず断っておくと、俺はあの四日間の出来事を克明に記すことができると断言できるほどの自信を持ち合わせていない。俺の筆力が圧倒的に不足していることは言うまでもないだろうが、彼女は残念ながら物理的には存在していなかったため、写真や映像が残っていない分、彼女に関するすべての記録は俺……いや、俺たち――木山光一・木山春奈・薗部ほのか・下川政史・藤崎卓弥・太田直之――の認識のみに頼らざるを得ない以上、仕方がないことだと思ってほしい。
 そしてついでにもうひとつ断っておくのなら、俺たちはあの出来事がなぜ、誰が、何のために起こしたのかを説明する術を持たない。彼女の言葉を借りるのなら、あの四日間は『神様の神様のいたずら』ということになるのだが、それを答にするわけにもいかないだろう。
 曖昧だらけであまりにも非現実的な四日間だったが、それでもその四日間に関する事実の中で、ひとつだけ確かなことがある。

 俺は、あの四日間を――――そして彼女――――薗部佳歩のことを絶対に忘れない

 ――さて、前置きはこのへんにして、話を始めよう。俺が物語の始まりを自覚した、三月二十八日の出来事から――
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テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学

悪魔に会うために -目次-
ある朝、木山光一が目覚めると、目の前に見知らぬ少女が。
彼女は言う、自分は自分を殺した悪魔に会うためにここへ来たのだと。
光一は友人達の協力を得て、悪魔を探す手伝いをするのだが、これといった手がかりは見つからない。
迫る刻限、悪魔とは誰なのか、そして少女はなぜ光一の下へ現れたのか。
真実が明かされるのは、最後の日――

プロローグ

第1章 In my room
 幕間 木山光一の与り知らぬ逸話―木山春奈の場合―
第2章 Order us around
 幕間 木山光一の与り知らぬ逸話―下川政史の場合―
第3章 To the memorable places
 幕間 木山光一の与り知らぬ逸話―藤崎卓弥の場合―
第4章 Meet again
 幕間 木山光一の与り知らぬ逸話―太田直之の場合―
第5章 A sad parting
 幕間 木山光一の与り知らぬ逸話―薗部ほのかの場合―
第6章 Devil's name

エピローグ

テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学

悪魔に会うために 第1章 In my room
 第一章 In my room

「光一ー、そろそろ起きなさーい」
 階下からの母さんの声に目を覚ます。首を反らせてベッドの外枠に置いてある時計に目を向けると、時刻は既に十二時を回っていた。
「寝すぎたなあ……」
 寝ぼけた頭のままひとりごちた第一声はそれだった。しかし段々と覚醒するにつれ、満更寝すぎたわけではないことに気がつく。なぜなら昨日――正確には昨晩から今朝にかけて――「大学に入る前に一度くらいは挑戦しようじゃないか」という政史の提案で、初めてカラオケのオールに挑戦した結果、ベッドに入り込んだのは七時前だったのだから。睡眠時間五時間強は、むしろ最近の自分にしては少ない。大学に入ったら、毎日こんな感じになるんだろうか。
 そんなことをぼんやりと考えつつ、伸びをしながらゆったりと上半身を持ち上げると、違和感を覚えた。何かがいつもと違う。
 なんだっけ。
 ああそうか、日光だ、と考える。いつも通りの時間に起きれば、上半身を持ち上げたとき、開け放たれたカーテンから差し込んだ日光が丁度顔の辺りに当たり、俺の重いまぶたをこじ開ける手助けをしてくれる。
 だが今朝(正確にはもはや朝ですらない)はいつもより起きる時間が遅かったから、そういうことにはならなかったんだ、と勝手に納得していると、
 
 視界にセーラー服が入った。

 ん? 今のは一体? そんな単純な考えでセーラー服が視界に入った方向――つまり部屋の反対側に目を向ける。そして俺の認識は良くも悪くも間違っていたことを知る。
そこにはセーラー服が雑然と置かれていたわけではない。とはいえ、セーラー服が無かったといえば嘘になる。回りくどい言い方をしたが、話は単純だ。

そこには単にセーラー服があったわけではなく、セーラー服を着た少女が眠っていたということだ。

 さらに悪いことに、その少女は年齢は俺と同じくらいで十八歳前後と思われ、ショートカットで、目は閉じているからはっきりとはわからないが、まつげは長すぎず短すぎず、整った鼻筋に、全体的に小さめの顔にフィットした小さめの唇を持っていたのだが、俺はそんな組み合わせの顔つきを持った少女を今まで見たことはなかった。

 一言で要約しよう。ある日、俺の部屋に、何の前触れもなく見知らぬ少女が現れたのだ。

 そこまで考えて、一気に目が覚める。
 これは一体どういうことだ?
 視線を彼女に釘付けにしたまま、いくつかの可能性を考える。
 目が覚めたという事実と矛盾するが、真っ先に考えたのがこれが夢である可能性。
 そこで自らの頬をつねってみる。それほど鋭い痛みではないが、痛みは間違いなくある。やはり夢ではないらしい。なぜ頬をつねるという手段が、夢かどうかを確かめるための手段の代名詞になったのだろうと現実逃避ができるほどだ。
 次に考えたのは妹の春奈のイタズラである可能性。
 だがさすがにこれは却下していい案だろう。あいつがイタズラ好きとはいえ、いくらなんでも兄の部屋に制服を着たまま眠っている少女を入れるなんてことはしないだろう。というか、そんなことをすることがあれば、もはやそれはイタズラと呼べたものではない。
 俺が次なる可能性を検討しようとしていると、少女の体が動いた。俺がこのまま彼女を見つめ続けていいものかどうか逡巡しているうちに、彼女の目がゆっくりと開かれていく。
 結局、俺は彼女から目を逸らすことはできなかった。ショートカットの髪のすきまからこぼれる、彼女の意志の強さを感じさせる瞳は、俺が目を逸らすことを許してくれなかったからだ。
 彼女が目を開けたところで改めて彼女の印象を端的に表すなら、それは「美麗」。そしてそれを象徴するのが、先ほどまで閉じられていた彼女の瞳だった。ただきれいなだけではなく、凛々しさも兼ね備えたその瞳は、まさに「美麗」と呼ぶに相応しかった。
 そう、俺は彼女の、とりわけ瞳をじっと見つめていた。そんな時に彼女が顔を上げれば、必然的にある状態が導かれる。
 俺と彼女の視線がぶつかった。
 俺は言葉に詰まる。さて、何から聞くべきか。いや、しかし彼女が現状を理解しているとは限らない。やっぱり最初は無難にあいさつからか?
 彼女は彼女で、目を見開いたまま、何も言ってくれない。

 暫しの沈黙。

 先に沈黙を破ったのは、彼女の方だった。慌てて居住まいを正すべく正座すると、
「あ、えっと、すみません、いきなりこんなところに現れたりして。驚かれたでしょう?」
 そう尋ねてきた。
 どうやら少なくとも彼女は現状を理解しているようだった。さっき懸念した、彼女さえも現状を理解していないという最悪の状態は回避されたようだった。
 それにホッとしたからか、彼女につられる形でベッドの上で正座しながら、
「まあ驚いたかどうかといえば驚いた」
 とひどく間抜けな返事をしてしまう。返事ついでに、なんとなく自分が寝間着のままであることがひどく申し訳ないことであるような気がしてくる。そんな俺の様子を見てクスリと笑うと、彼女は言った。
「思ったより落ち着いていらっしゃるんですね、木山光一さん」
「いや、落ち着いているというよりはこれ以上ないくらい驚いて、もはやリアクションをとることができないというかなんというか……」
 そこまで言ってはたと気づく。彼女は俺の名前を知っている。俺は彼女のことを少しも知らないが、彼女は俺のことを知っているようだった。どうやら現状もある程度は理解しているようだった。
 この混乱しきった状況をいち早く理解するためには、彼女から話を聞くのが手っ取り早く、かつ確実な方法であるらしい。そう思い当たった俺は、彼女に質問をぶつけることにしたが、寝起き直後でかつ混乱しきった頭で導き出せる答えは非常にちんけなものだった。
「てか、君は、誰?」

 その一言、たった一言で彼女は寂しげな表情を浮かべたように見えた。

だがそれは本当に――本当に一瞬のことで、すぐに何事も無かったかのように笑顔を見せて彼女は答える。
「そうですね、ではまずは自己紹介から。私の名前は薗部佳歩です」
「薗部?」
「はい!」
 彼女の顔が希望に溢れる。その意味も分からないまま、俺は思ったことを素直に口に出す。
「薗部ってことは、お前はほのかの親戚か何かなのか?」
 薗部ほのかは家の二軒隣に住んでいる、まあ言ってしまえば幼なじみってやつだ。確かに言われてみれば、どことなく彼女はほのかに似ているような気がしないでもない。どこがと具体的に問われると困るのだが――
 だがそんな俺の問いに、彼女はとても残念そうな表情を見せつつ、それでも笑顔でポツリと呟いた。
「やっぱり、私のことなんて覚えていてくださらなかったんですね」
 そのとき初めて俺は、彼女と今までどこかで会ったことがあるような気がした。それもそんなに最近のことではない。むしろ、何年も前にどこかで――
「俺は……お前と会ったことがあるのか?」
「いえ、ありませんよ」
 あっさりと彼女は否定する。
「え?」
 それなら、さっきの呟きは一体どういう意味だというのだろう。
「会ったことはありませんけれど、あなたは私のことを知っているはずです。現に今、私のことが見えているし、私とこうして話しているでしょう?」
 混乱は解消されるどころか、ますます深まっていく。
「何の話だ? なんでお前と話していることが、お前を知っていることの証明に――」
 言いかけて気づく。
 いや、別に彼女の発言の意味するところに気づいたわけではない。俺が気づいたのは、誰かが階段を上ってくる足音だった。急ぐでもなく、ゆったりと踏みしめるようなその足音は――
「母さんか……」
 扉の方に視線を移しつつ、母さんが彼女のことを知っている可能性を考慮する。彼女の正体云々に気をとられて忘れていたが、そもそも彼女がどこからどうやってこの部屋に入ってきたのかを、俺は知らない。別にこの部屋には鍵はついていないから、母さんか春奈の手引きがあれば、俺の部屋に入るのは苦もない。しかし俺の直感は、彼女は母さんや春奈の手を借りることなくこの部屋にやってきたと告げている。それに、あえて彼女がどちらかの手を借りたとするならば、それはきっと春奈だろう。即ち、母さんは彼女のことを知らない。
 俺がその結論に至ったのと、部屋のドアノブが下がるのはほぼ同時だった。当然といえば当然である。我が家の構造は、未来から来た某猫型ロボットが居候している家とほぼ同じであり、階段の段数なんて大したことはない。俺が足音に気づいた時点で、考える時間なんてあってないようなものだったのだ。
 扉が開ききる前に、さっき以上のスピードで現状を考察する。
 主観的に見れば、俺は、いつの間に部屋に入り込んだのか分からない少女を前にうろたえる一学生に過ぎない。だが客観的に見ればこの状況は――目を覚ましたばかりの時間に、自分の部屋で同じ年頃の異性と一緒にいるなんて状況は――
 結論が出る頃には、扉は開ききっていた。母さんと目が合う。
 さて、俺は一体どんな言い訳をすればいいんだ? 正直に何も分からないと言えば、俺はこのどうしようもない現状を打開できるというのだろうか。俺がなんと言えばいいのか迷っているうちに、母さんが先に口を開く。

「なんだ光一、起きてたんならさっさと降りてきなさい。昼ご飯用意してあるから」

 母さんの言っていることが、理解できるがゆえに理解できなかった。母さんは彼女のことを気にもかけていないようだった。いや、気にかけていないというよりはむしろ気づいていないというかなんというか……
 ハッと、そこでさっきの彼女の言葉を思い出す。

「現に今、私のことが見えているし、私とこうして話しているでしょう?」

 まさか、俺は彼女のことをたとえ今は忘れているにしても、知っている。だから、彼女の姿を見たり彼女と会話できたりするんであって、母さんは彼女のことを知らないから彼女のことが見えない――そういうことだというのだろうか?
「多分、今お考えの通りですよ」
 声の方を見ると、これでわかってくれましたか? と得意げな表情を見せる、彼女の姿があった。春奈、他多数が証言するところによると、俺はすぐ顔に考えていることが出る性質らしく、これはそんな俺の性質を示すモデルケースと言えるかもしれない。
「どうしたの、光一、そっちに何かいるの?」
 そんなことを考えつつ、今度は母さんの声の方を見る。母さんは母さんで、彼女がいる方向を見てはいるものの、本当に彼女に気づいていないらしく、首を傾げてから再びこちらに視線を向ける。
「そういえば、どうして正座なんかしてるの?」
「あ、いや、別に深い意味はないよ」
 足をくずしながら母さんの顔をじっと観察する。とぼけているようには見えないし、やっぱり母さんは本当に彼女のことが見えていないようだ。
「ふーん、そう。じゃあ昨日も言ったとおり、母さんはそろそろ出かけるから、ちゃんと昼ご飯食べときなさいね」
 そう言ってドアを閉めて階段を降りていく。
 足音が聞こえなくなってから、再び視線を彼女に戻す。
 起きてから容易には理解できない事態が起こってばかりだったが、今のは本当に理解できなかった。だが、さっきよりはマシに頭が働いてくれた結果、俺は我ながらなかなか上々な質問をすることができた。
「最初から、順を追って説明してくれないか」
 彼女はコクリと頷いた。

「では改めて自己紹介させていただくと、私の名前は薗部佳歩です。服装を見ていただければ分かると思いますけれど、鶴畑高校の生徒です。いえ、生徒でした、という表現が適切かもしれませんね」
 一瞬、それは自分と同じようにこの春で高校を卒業したってことだろうかと考える。が、さっきのことを思い出してもっと納得の行く説明に思い至る。
「なんせ私は、もう既に死んでしまっているのですから、鶴畑高校の生徒って表現には語弊がありますよね」
 やっぱりというかなんというか、彼女はこの世の人ではないらしい。
「つまり……あれか、お前は幽霊だってことなのか?」
「それはそれで語弊がある気がしますけれど、そう考えてもらって構いません」
 幽霊……か。そう呼ばれる存在に遭遇したのが生まれて初めてであることを差し引いても、どうもピンとこない。なんと言っても彼女の存在感が有りすぎるのが問題だ。足もあるし、透けてもいない。これで幽霊と言われても、どうにもすっきりしない。
 とはいえ、彼女がそういった存在の一種であるらしいということは、さっきの母さんの反応からして間違いないだろうから、納得せざるを得ない。
「ちなみにさっきもチラッと聞いたが、お前はほのかの親戚か何かなのか?」
 さっき聞いたときは有耶無耶になってしまった質問を、改めて投げかける。
「いえ、親戚……というわけではありませんね。無関係というわけでもないですけれど」
 言葉を選ぶようにしながら、彼女はそう告げた。
「無関係じゃない……か、具体的にはどんな……」
「言えません」
 それまでの慎重な、どちらかといえば低姿勢な物言いからはかけ離れた、やけにきっぱりとした口調で話が遮られる。その勢いにたじろぎつつも、問う。
「言えないって……どうして?」
「それが『ルール』だからです」
 噛み締めるように、彼女は『ルール』という言葉を使った。
「『ルール』って、一体何の?」
「それは……うん、やっぱり順番に話した方が分かりやすいと思うんで、先に私がどうしてここに現れたのかを説明したほうがいいかと思うんですけれど……」
 確かにそれは、ぜひとも聞いておきたいことではある。何の理由もなく、伊達や酔狂でいきなり部屋の中に幽霊が現れた……ってんじゃ、納得できるものではない。
「それが先のほうが分かりやすいっていうのならそれで構わない。先に話してくれ」
 俺が思いつく限りでは、幽霊が現れる理由の定番は、この世の未練を晴らすためだ。だとすると、この薗部佳歩と名乗る少女もまた、この世になんらかの未練を残しているということなのだろうか。
 俺の返事を聞くと、彼女はコホンとわざとらしく咳払いを前置きにして、告げた。

「私がここに現れたのは、私を殺した悪魔に会うために……もっと正確に言うなら、悪魔に会ってある人の名前を言わせるためなんです」

 気が遠くなりそうになる。サラリと自分は殺されたと言ってのける彼女に、そして幽霊の次に悪魔がお出ましするという事態に。果たして俺は、どこまで彼女の話を信じていいのだろう。
 空耳の可能性を考慮して、あえて尋ねる。
「……お前を殺した悪魔に会って、ある人の名前を言わせる?」
「はい、その通りです」
 躊躇なく返事されてしまった。悪魔の存在が仮に彼女にとって日常的であったとしても、せめて自分が殺されたという事実に対してはもう少しためらいがあっていいのではないだろうかと思いつつ、あえて聞く。
「念のために確認しておくと、その悪魔ってのは本当の本当に悪魔なのか?」
「あ、正確には勿論『悪魔のような人』って意味ですよ。他にもいくつか呼び名みたいなものがありますけれど、ややこしくなりますし、とりあえず『悪魔』って呼ぶことにさせてください」
 少しホッとする。この少女の存在自体肯定していいものかどうか悩みどころだが、さらに悪魔まで肯定させられた日にはたまらない。
 ただ冷静に考えれば、彼女がその誰かのことを、『悪魔のような人』と形容するのも当然のことかもしれない。彼女はその悪魔に殺されたと言った。誰だって、自分を殺したやつのことを、悪魔呼ばわりしたくもなるだろう。
「で、その目的がどういう風に『ルール』ってのに繋がる……」
 途中までいいかけて、また気づく。
 今度はバタバタと小走りの足音だった。こんな足音をたてるのは、我が家において一人しかいない。
「次は春奈か……」
 ぼそりと呟く。さっきのように慌てることはない。春奈にも彼女の姿は見えないだろうから、ゆったり構えていればいい。そう考えながら、ドアの方へ視線を向ける。
 ……でも春奈が彼女のことを知ってたら、見えちゃうんだっけ。
 そう思い当たるのと、ドアが乱暴に開かれるのはほぼ同時だった。
「光一ー、休みだからっていつまで寝て……」
 最後まで言わずに、春奈の視線が彼女とぶつかる。

 暫しの沈黙の後――

 ドアは乱暴に閉められた。春奈には全力で見なかったことにされてしまった。
 ……春奈にも彼女の姿は見えるのか……
「ちょ、ちょっと待った!」
 慌てて立ち上がり、ドアを開ける。そこにはまだ呆然と立ち尽くしたままの春奈がいた。
「誤解するなよ、春奈。言っておくけどあいつは……」
 そこで言葉に詰まる。なんと言えばいいんだろう。
 結局さっきは言い訳を考える時間はなかったわけで、おまけに俺が彼女について知っている情報はまだ決して多くはない。その情報を全てそのまま伝えたところで、何の説明にもならないだろう。
「べ、別にいいんじゃないの、光一も四月から大学生なんだし、彼女の一人や二人連れ込んだって……」
 らしくない気の回し方をされて、逆に困惑する。てか、大学生だろうとなんだろうと、彼女を二人連れ込んだらまずいだろう。
「だからー、あいつはそういうのじゃなくて……」
 言いかけた俺を遮ったのは、階下から聞こえてきた電話のベルだった。
「あ、あたし電話に出てくるよ!」
「あ、おい、待てよ!」
 これ幸いといわんばかりに、春奈は、止めるのも聞かず、振り返ることもせずに階段を駆け下りていく。
 まあ電話を無視するわけにもいかないし、どうせここにいたって俺にまともな説明ができたわけでもないだろうから、ある意味正しいっちゃ正しい選択なんだろうけれど。
 釈然としない思いを抱えつつ、ベッドに戻る。
 さて、どこまで話していたかなと考えていた俺に、彼女はとんでもないことを言ってのけてくれた。
「春奈さんって、光一さんのお姉さんだったんですね」
 彼女の顔を見る。嫌味など少しも感じられない、純粋に、新たな発見を喜ぶ表情だった。それだけに効果は抜群だった。
 深いため息をつきつつ、かなり久々のその言葉を告げる。
「……春奈は、俺の姉じゃない……妹だ」
「え!? だってあのしんちょ……」
 最後まで言わずに口を噤んでくれた心遣いが逆に悲しい。
 そう、俺の身長は一七〇センチ強と、この年齢としてはまずまずの身長なのだが、いかんせん春奈の身長が一八〇センチ弱とでかすぎるのだ。結果として、俺は二つ年下の妹に、背の高さで負けてしまっているのである。我ながら不甲斐ないことこの上ない。
 昔はそのことが原因で、いろいろな場で俺の方が年下に見られてしまっていた。最近ではそういう機会――春奈と一緒に、自分たちのことを知らない誰かと会う機会――がほとんどなかったので、妹より年下に見られるという精神的ダメージは忘れかけていたダメージだった。というか、正直、できればこのまま永久に忘れておきたいダメージだった。
「あ、あの、すみません、失礼なことを言ってしまって……」
「いや、いいんだ……あいつの方が俺より背が高いのは事実だし、いつもあいつは家の中じゃ俺のこと呼び捨てにしているし……」
 もう一度深いため息をつきつつ、改めて彼女と向き合う。
「まあとりあえず、あいつに説明ができる程度には、お前の話を聞いておこうか。さっきから言っている『ルール』ってのは何のことだ?」
「あ、そうですね、そもそも私が悪魔にある人の名前を言わせなくちゃいけないのは……」
「おにいちゃーん、電話ー、ほのかさんからだよー」
 今度は春奈の大声で話が遮られる。さっきから遅々として話が進まない。
 イライラしながら、後でかけなおすように伝えてくれ……と言いかけて気づく。このタイミングでのほのかからの電話は果たして偶然なのだろうか。もしやほのかは彼女のことについて何か知っていて、それで電話してきたのではないだろうか。
 そうでないにしても、ほのかが彼女のことについて何かを知っている可能性は高い。何せ苗字が同じなのだ。何らかのつながりがあると考えるのが無難だろう。実際さっき彼女自身も、親戚ではないものの無関係ではないと言っていた。
 それに正直、彼女の話を自我を保ちながら一人で聞くのは、段々きつくなりつつある。ここで気の置けない仲の友人を巻き込むのも一つの手かもしれない。
 そこまで思い至ると、「ちょっと待ってくれ」と彼女に告げてから、俺は階段を駆け下り、春奈から受話器を奪い取る。
「もしもし、ほのかか? 今からすぐそっちに行くから、ちょっと待っててくれ」
『え? 今から来るって、別にそんなわざわざ来てもらうほどの用事じゃ……』
「俺の方にわざわざそっちに行かなきゃいけない用事があるんだよ。そうそう、春奈とあともう一人連れて行くからそのつもりで」
 後ろから「ちょっと、なんであたしまで」という抗議の声が聞こえるが気にしない。
『ちょっと、突然そんなこと言われても……』
「じゃ、また後で」
 みなまで言わせず、電話を切ろうとして、一つだけ最後に確認しておくことにした。
「ちなみにお前、薗部佳歩って名前に聞き覚えはあるか?」
『佳歩? さあ、私の知り合いにはいないと思うけれど……』
「そうか、それならいい」
 やはりというかなんというか、ほのかが彼女のことについて何かを知っている可能性についてはあまり期待できないなと思いつつ、電話を切り、すぐに横にいる春奈に聞く。
「母さんはもう出かけたか?」
「とっくにね、でもどうしてあたしまでほのかさんの家に……」
「すぐに準備しろよ、俺も準備するから」
 言い捨てて今度は階段を駆け上がる。
 部屋の中ではさっきから正座を崩さないままの彼女がいた。
「予定が変わった。今からほのかのところに行くことにしたから、話の続きは行きがけと向こうで頼む」
 告げながら、たんすの中から着替えを取り出していき、じっとこちらを見つめる視線にハタと気づく。
「ついては着替えなくてはならないので、部屋の外に出てもらえると助かるのだが……」
「ああ、そういうことですか」
 ポンと顔の前で両手を叩くと、彼女はいそいそと開け放たれたドアから部屋を出て行く。
 彼女が部屋を出ると、俺は扉を閉め、さっさと着替え始めた。



 後から考えると、この時の会話には不可思議な内容ばかりでなく、不自然な内容も随分含まれていた。
 しかし信じられないと心の中でぼやきつつも、無意識のうちに彼女の話を全面的に信じている自分がいたこと、そしてなんだかんだ言いつつ彼女の助けになろうとしていた自分がいたことは、否定しがたい事実である。
 そしてそれもまた、ある意味では、俺が彼女のことを心の中のどこかでは覚えていたというささやかな傍証になるのかもしれない。
 もっとも、それもその時点では全く意味をなさないことではあった。
 そう、悪魔にある人物の名前を言わせるための四日間において、俺が彼女のことを心の中のどこかで覚えていたなんてささやかな事実は、それだけでは本当に少しの意味もないことだった。

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悪魔に会うために 幕間 木山光一の与り知らぬ逸話―木山春奈の場合―
 幕間 木山光一の与り知らぬ逸話 ―木山春奈の場合―

 薗部佳歩が現れる数ヶ月前の八月某日――


 森に囲まれた、よく言えば静かな、素直に言えばさびれた墓地の中で、比較的新しく、こぢんまりとした墓石の前にあたしは立っていた。
 その墓石には、小林家之墓と記されている。
 あたしはそこでゆっくりとしゃがみこむと、静かに目を閉じ手を合わせた。
 不思議な感じだった。ここは去年まで、あたしにとっては伯父と伯母の墓――はっきり言ってしまえば、顔を見たこともない誰かさんの墓でしかなかった。
 でも思いもしないことに、三月のあの日、この墓にはそれ以上の意味が与えられることになった。そう、それは――
「なんだ、こんなところにいたのか、春奈」
 声の方を振り返ると、そこには兄――木山光一がいた。今日だけは――今日だけはできることなら、一人にしてほしかった。二人は気を遣ってくれたけれど、何も知らない光一にそれを求めるってのも無理な話か。
「そう、こんなところにいたんだよ。光一も一緒に墓参りしない? あたしがどれだけ大きくたくましく育ったのか、折角だから光一と比較して見せてあげたいし」
 途端に光一の顔がしかめ面になる。最近ではこのネタでからかわれることは多くなかっただけに、しかめ面度は通常の二倍弱といったところだろうか。
「ったく、最近はそのネタを聞かないから、てっきり自粛したのかと思っていたが――」
 自粛……ねえ。まあそれもまんざら間違っていないけれど。
「まあいいか、そうだな、今のうちに伯父さんと伯母さんに挨拶しとくかな」
 そういうと光一はさっさとあたしの横に座って目を閉じ、手を合わせた。あたしも慌てて再び姿勢を元に戻す。
 目を閉じる前に、チラリと横を見る。長い間一緒に暮らしてきたあたしだから言えることだが、普通にしていれば大したことない光一も、眼を閉じた横顔だけは反則的にかっこいい。この中途半端振りが光一らしいといえば光一らしいのかもしれないが。

 ――いや、そろそろけじめをつけてもいい頃だろう。折角手に入れたこのチャンスを他ならぬあたしが認めなければ、あたしのこの想いはいつまで経っても報われない。そう、あたしは――――
「よし、じゃあそろそろ行くか」
 いきなり立ち上がられて思わず驚き、そしてまだ墓に向かって肝心なことを伝えていないことを思い出す。
「あ、ちょっと待って……じゃなくて、待たなくていいや、もう少しだけやっておきたいことがあるから先に戻っていいよ」
「そうか、じゃあ先に行ってるな」
 兄の、いや、義兄の後姿を見送ると、再び正面に向きなおり、胸の内で呟く。

『お父さん、お母さん、見ていてくれてますか? あたしは元気でやっています』

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悪魔に会うために 第2章 Order us around
 第二章 Order us around

 着替えを終えて階段を駆け下りる。短い廊下を曲がり、玄関へ向かうと、二人の視線がこちらに突き刺さってきた。
 一つは春奈のきつい視線で、もう一つは薗部佳歩のいたたまれなさげな視線だった。
「待たせたな、じゃあさっさと行こうか」
「ちょっと待ってよ、光一。まずはあたしにも分かるように説明してもらってもいいと思うんだけど」
 いらだたしげに春奈が尋ねる。普段なら人前では俺のことを「お兄ちゃん」と呼ぶだけの分別があるのだが、今はそれもない。
「それができれば俺も苦労しないさ。ま、俺が分かる範囲なら歩きながらでも話すし、わからない分についてはこいつから聞くしかない」
 言いながら、あごで薗部佳歩を示す。
「大体そもそも、この人は一体誰なのよ! それくらい教えてくれたっていいでしょう?」
 左手で薗部佳歩を指しながら、噛みつかんばかりの勢いで春奈が尋ねる。
 あまり期待はしていなかったが、春奈は春奈で、薗部佳歩のことを知ってはいても現時点で覚えているわけではないらしい。念のために確認しておく。
「やっぱりお前は、こいつのこと知らないのか?」
 言われて春奈はきょとんとした表情になる。
「あたしがこの人を? 多少は鶴畑に知り合いがいるけれど、この人は初めて見る顔だよ」
 返答は予想通りのものだった。やはりここでグズグズしているのは勿体無い。
「そうか、ならやっぱりさっさとほのかの家に行くことにするか」
「ちょっと、どうしてそういうことになるの? まずは説明してもらわないと……」
 さて、どうしたものか。俺の場合は彼女のことを知らない母さんのリアクションで彼女が幽霊のような存在であると信じることができたが、今、母さんは家にはいない。どうすれば春奈にそれを信じさせることができるだろうか。
 そんなことを考えつつ、春奈の文句を背中で聞き流しながら、下駄箱から靴を出すときに気づく。
「そういえばお前、靴はあるのか?」
 薗部佳歩の方を振り返りながら聞く。
「言われてみれば……ありませんね」
 言うまでもなく彼女は、靴下は履いていても靴を履いてはいなかった。玄関にそれらしい靴も見当たらない。考えてみればどうやって彼女が俺の部屋に入ったかはまだ聞いていないが、少なくとも玄関から堂々と、というわけではないらしい。
「そうか……なら春奈、どれでもいいからこいつに靴を貸してやってくれないか?」
 春奈の表情がさらに険しくなる。
「靴を貸すって……まあ別にいいけどさ、どうしてこの人は靴を持ってないわけ? まさか靴下のままで家まで来たわけじゃないでしょう?」
 確かにその通りなのだが、どうしてと聞かれても説明できないものはできない。どうしたものかと考えていると、
「あのー、お気遣いは嬉しいんですけれど、靴は結構です。どうせ私には、靴を履くことなんてできないんですから」
 薗部佳歩の自嘲気味な呟きが、会話に割り込んできた。それは一体どういう意味だと聞こうとして、目の前の光景に釘付けになる。
 彼女の左手の手首から先。あるべきそれが、そこになかった。いや、正確には下駄箱と一体化していて見ることができない、と言うべきだろうか。
 彼女の左手は、まさしく幽霊のように下駄箱をすりぬけていたのだ。
「私はこの世界に物理的に干渉することはできません。ですから靴を貸していただいても、残念ながら、私にはそれを履くことはできないんです」
 サービス精神が旺盛とでも言えばいいのだろうか、彼女は自分の手を下駄箱にすり抜けさせて、また戻して、という作業を繰り返しして見せてくれた。
 さっきこいつは、自分のことを幽霊のような存在だといっていたが、それに対する客観的な――とはいえ必ずしも誰もが知覚できるわけじゃないから、正確には主観的と言うべきなのかもしれない――証拠が一つ増えたわけだ。
 釘付けになっていた視線を無理やり外して春奈の方に視線を向けると、春奈の表情は今までに見たことないほどに蒼白になっていた。俺とは違って前情報がなかった分、衝撃も大きかったのだろう。
「な、なんなのよ……これ……一体どういうこと?」
「俺が聞きたいくらいだよ、だからすぐにほのかの家に行こう」
 考えてみると、だからの前後に全く相関関係は見られないのだが、それほど衝撃が大きかったということだろう。春奈は素直にコクリと頷いてくれた。
 結局、薗部佳歩を靴下のままで外に出して、施錠をしてからほのかの家へと向かう。
 徒歩で一分も必要としないそこへ向かう最中に、一つだけ彼女に確認しておくことにした。
「ほのかの家に着く前に確認しておきたいんだが、さっきの質問の答え、まだ聞いていなかったよな」
「さっきの質問、ですか?」
「そう、『ルール』ってのが一体何なのかって話だよ」
「ああ、そのことでしたか。平たく言ってしまえば、私が蘇るための『ルール』と言ったところでしょうか」
 ……こいつの言うことに、一々驚いていたら身が持たないのではないだろうか。
「……今、蘇るって言ったか?」
「はい、あ、そういえばさっきはそれを言いかけて終わったんでしたね」
 忘れていました、とぼやいてから、彼女は告げた。

「悪魔に私の大切な人の名前を言わせることができれば、私は蘇ることができるんです。だから私は、悪魔に会ってその人の名前を言わせるためにここにやってきたんです」

 大きなため息を一つ、つく。
 ――道すがらに話を聞こうとしたのが馬鹿だった。さっきまではこいつの話を全面的に信じようが信じなかろうが、俺に損得は一切なかった。
 しかし今、俺は、彼女の話を信じるならばとても大きなものがかかっていることを知ってしまった。もしこれで俺が何もしないで、彼女の存在が消滅することになったら、俺にはもれなく罪悪感がついてくる。
 急に話が重くなっちまった、と思う。幸か不幸か、既にほのかの家の目の前だ。
「やっぱり話の続きは、後でゆっくり頼む」
 そう告げてから俺は、気持ちの整理を後回しにして玄関のチャイムを鳴らした。

 チャイムを鳴らしてすぐに、ほのかが玄関を開けてくれた。
「どうしたの、いきなり? わざわざ家に来るなんて……」
 改めてほのかの顔を見て思うのは、やっぱりどことなく薗部佳歩はほのかに似ている、ということだった。具体的にどこが、とはまだ言えないが、あえて言うならば雰囲気が似ている。
 薗部佳歩が着ているのは鶴畑高校の制服。ほのかが着ているのは、比較的ラフな私服。だが二人が身にまとう雰囲気は、なぜかどことなく近いものを感じる。
 薗部佳歩はほのかと『親戚ではないが、無関係でもない』と言っていた、後でその点について改めて聞いてみたほうがいいかもしれない。
 さて、俺がそんなことを考えている間に、ほのかは視線を薗部佳歩へと向けていた。
「ああ、その子がさっき電話で言ってたあと一人?」
 まずは第一段階クリアと言ったところだろうか。少なくともほのかは、彼女のことを知っているようだ。
「そう、まあちょっといろいろと確認したいことがあって。ちなみにほのかは、こいつのこと知ってるか?」
「私? さあ……見覚えはないけれど……どこかで会ったことあった?」
 とはいえ、やはり俺たち同様、彼女のことを知ってはいても覚えてはいないらしい。
「そうか……それならいいよ。とりあえず上がっていいか?」
「ま、とりあえずリビングでよかったら大丈夫だけど……」
「リビングね、了解」
 リビングと言われれば、そこは勝手知ったる他人の家。靴を脱ぐとさっさと俺は廊下を直進する。
 一瞬、薗部佳歩が靴を履いていないことをつっこまれたらどうしようかと思ったが、幸いにもほのかはすぐに俺のあとに続いたので、そこには気づかなかったようだった。
 どこから説明したものだろうか、と考えつつリビングに入ると、カウンターの向こうで洗い物をしているほのかのお母さんがいた。
「あ、どうも、お邪魔します」
「あら光ちゃん、家に来るのは久しぶりね」
「あれ、そうでしたっけ?」
「そうよ、たまにはおばちゃんにも顔を見せてくれないと。光ちゃんが東京に行っちゃったら、なかなか会えなくなるだろうし、そしたらほのかも……」
「も~お母さん、そんな世間話をしてる暇があったら、ジュースくらい出してよ」
 すぐ後ろにいたほのかが、堪らず、と言った感じに話を遮る。
「はいはい、そうね」
 それに答えて、苦笑ながらもほのかのお母さんはコップを出し始めた。
 そんな様子を横目で見つつ、テーブル前の椅子に腰掛ける。ほのかは俺の向かい、春奈と薗部佳歩は俺の両隣に座った。
 ちなみに薗部佳歩に関しては、座ったとはいっても、正確にはひいてあった椅子に合わせて浮かんでいるだけなのだが、見た目は明らかに座っているので、便宜上座った、と記しておく。
「で、光一。わざわざ家に来るほどの用件ってのは一体何?」
 ほのかが口火を切る。
「そうだな、どこから話したものか、俺自身よく分かっていないわけだけど……とりあえずちょっと話が長くなりそうなのは間違いないから、先にそっちの用事からどうぞ」
 さっきは慌てていて聞けなかった、ほのかの用件を先に聞いておくことにする。
「私の用事? 私はただ、光一がいつ東京に行くのか、具体的に聞きたかっただけだけど」
 なるほど、確かにそれならわざわざ俺が出向くほどの用事ではない。
「それなら四月一日の昼だよ。前に言わなかったっけ?」
「そう、じゃあやっぱり明々後日しかないわけだ……」
 残念そうにほのかが呟く。
「明々後日って、何かあったか?」
「うん、まあ、あるといえばあるんだけど、心当たりがないなら当日のお楽しみってことで。ただ、天気予報だと雨だから、それがちょっと心配かな」
 そんなことを呟きつつ、外していた視線を再びこちらに向ける。
「で、結局のところ用事ってのは一体何? その子に関係があること?」
 と言って、今度は視線を薗部佳歩へと向ける。
 関係あるのは間違いないが、最初から正直に彼女について話したところで、簡単には信じてもらえないだろう。どんな手段が一番手っ取り早い手段だろうかと躊躇しているうちに、目の前にオレンジジュースが注がれたコップが置かれた。
 もちろんほのかのお母さんがしてくれたことである。そしてこれが結果的に、事態を進展させる。
 何のことはない、コップが三つしか出されなかったのである。
「あれ、お母さん、コップが足りてないよ」
 ほのかが当たり前のように尋ねる。
「何を言ってるの、ちゃんと三つあるじゃない、いくらなんでも二つと三つを間違えるほどボケてはいないわよ」
 ほのかのお母さんも笑いながら、当たり前のように答える。
 我ながら、随分単純な見落としをしてしまったらしい。ほのかのお母さんには、薗部佳歩のことが見えていない。薗部佳歩が、ほのかと親戚ではないというのは、あながち嘘でもないようだ。あくまで、彼女が言う彼女を見るための条件が本当ならば、だけれども。
 兎にも角にも、ここであまりゴチャゴチャ言っていても仕方がない。あまり事態をややこしくしたくもなかったので、キョトンとした表情のほのかの足を軽く踏む。
 驚いてこっちを見たほのかにアイコンタクトを送る。後で説明するから、ここはごまかせ、と。こういう時、表情に考えていることがすぐに出るのは役に立つ。
「あ、ごめんごめん、私の数え間違いだったみたい。ちゃんと揃ってるね」
「そうでしょう? まったく、あんたも四月から大学生なんだから、いつまでもそんなに抜けてちゃダメよ」
 などと言ってから、
「じゃ、お母さんは洗濯物を片付けてくるから、後はごゆっくり」
 と告げて、ほのかのお母さんはリビングを出ていった。
 リビングの扉が閉まるのを確認してから、すぐさまほのかが尋ねる。
「何、今のは一体どういうこと?」
「ほのかのお母さんには、こいつのことが見えてなかったってことだよ」
 右隣の薗部佳歩をあごで示しつつ、返答する。
「見えてなかった? それって一体……それにそもそも、この子は一体誰なのよ?」
 少しずつほのかが混乱の兆しを見せ始めている。が、今なら俺の話も信じてくれる可能性が高い。
「こいつの名前は薗部佳歩、分かりやすく言えば……」
 今度は視線を薗部佳歩に向ける。アイコンタクトの内容は、さっきのをもう一遍やってくれ。俺の言わんとしたところを理解してくれたらしく、彼女はコクリとうなずくと、今度はテーブルに自分の手を上げ下げして、通過させる。
 ほのかから、そして改めて春奈からも「ヒィ!」と引きつるような悲鳴が上がる。
「幽霊だそうだ」

 とりあえず、薗部佳歩の特異性について信じさせるのには成功したといって間違いないだろう。代わりに非常に痛い沈黙が、場を支配することになってしまったわけだが。
 仕方がないので、黙ったままの二人に対し、先ほどからの出来事を伝える。
 ――目が覚めたら部屋に薗部佳歩がいたこと
 ――母さんには彼女の姿が見えなかったこと
 ――彼女の姿が見えるのは彼女のことを知っている人だけだということ
 ――彼女は既に死んでいるらしいということ
 ――彼女は自分を殺した悪魔のような奴に会うためにここへ来たこと

 ――そして、悪魔に彼女の大切な人物の名前を言わせることができれば彼女は蘇ること

 かいつまんでそれらのことを伝える。
 話し終えてから暫くの間、二人は黙ったままだった。やはり信じてもらえなかったのだろうか、と俺が不安に思い始めたそのとき、ほのかは問うた。
「それで、光一はどうしたいの?」
「え?」
 考えてもいなかった質問を受け、返答に窮す。
「わざわざ私の家に来て、どこからどこまで信じればいいか分からないファンタジーを聞かせて、それで自分はどうするつもりなの? 私にどうしてほしいの?」
「それを考えるためにここに来たというか、なんというか……」
 予想だにしないきつい言葉に、回答がしどろもどろになる。だが――
「それならもう私に話を聞かせてる間に、考えは決まったんじゃないの?」
 そう、ほのかの言うとおりだ。そしてそれにあわせたかのように、ほのかはテーブルを乗り出して、問う。
「光一の考えを聞かせて」
 俺は自信を持って、いつの間にか決まっていた答えを出す。
「とりあえずこいつの話を信じられなくなるまでは信じてみる、そしてこいつが蘇る助けをしてやりたいと思う」
 多分常識的に考えれば、そんな馬鹿な話あるわけないと一蹴して、何もしないのが正しい選択だろう。けれども俺は、人の話をすぐに鵜呑みにしてしまうたちで、毎年エイプリルフールには騙されるようなやつだから、今のところ彼女の話を疑うことができずにいる。だからこそ、彼女が蘇る手助けをしてほしいというのなら、それを無視することなんて到底できそうにないことだった。
 そしてそんな俺の言葉を聞いて、ほのかが微笑んだ。
「その言葉が聞きたかったのよ」
 そう言って席に着くと、満足気にうなずき、尋ねる。
「で、私は何をすればいいの?」
「手伝ってくれるのか?」
「やるって決めたんでしょう。悪魔を探すなんて、高校時代最後の思い出には結構刺激的だしね。私にできることならやってやろうじゃない。それに……」
 言いつつ、視線を薗部佳歩へ向ける。
「なんでかな……私自身、なんだかこの子のことを助けてあげなきゃいけない、そんな気がするから」
 そう言って微笑むほのかの顔を見て気づく。薗部佳歩とほのかの似ているところ。それは強い意志を感じさせる瞳だった。薗部佳歩を見たときには一番目についた瞳が、ほのかだとすぐには気づけなかった。慣れのせいだろうかと思いつつ、今度は春奈に視線を向ける。
「お前は、手伝ってくれるか?」
 軽くため息をつくと、春奈も頷く。
「ほのかさんが手伝うって言うのに、妹のあたしが手伝わないわけにも行かないでしょ、ね、お兄ちゃん」
 生意気に、不敵に、そう答える。
「お二人ともありがとうございます、それに光一さんも、私なんかのためにこんなに頑張ってくださって……」
 そんな俺たちの様子を見て、薗部佳歩が涙ぐみながら頭を下げる。
「何を言ってるんだ、俺はまだ何もやってないさ、ただほのかに助けを求めただけで――」
「そうそう光一、手伝うに当たって一つ確認しておきたいんだけれど」
 俺の言葉を遮りつつ、ほのかが尋ねる。
「なんだ?」
「さっきも聞いたけれど、私は具体的に何をすればいいの?」
「え?」
「だってさっきまでの話を聞いた限りでは、私はタイミングよく電話をかけたばっかりに巻き込まれただけのように思えるんだけど……」
「うっ」
 図星なだけに言葉に詰まる。確かにそれは否定できない。あのときあの電話がなければ、まだ俺は自分の部屋でウダウダしていたに違いない。
 俺の心の機微を顔で悟ったらしいほのかは、深いため息を一つつくと不意に立ち上がった。
「お、おい、一体どこに」
「電話をかけるのよ、どうせだったらもっと巻き込んでやろうじゃない。私に光一、それに春奈ちゃんに見えたってことは、多分あとの三人にも見えるでしょう」
「確かに……そうかもしれないな」
 三人とはいうまでもない、昨日一緒にカラオケに行った下川政史、藤崎卓弥、太田直之の三人――小学校からの腐れ縁の三人だ。
「直之以外は今日暇なはずだから、電話すればすぐに来てくれるでしょう」
「直之は何か用事があるのか?」
「なんでもお祖父ちゃんの家に行ってるそうよ、明後日には帰ってくるって言ってたけれど」
 ふ~んと呟きつつ気づく。あいつは今朝まで、一緒にカラオケにいた。
つまり直之は、カラオケで徹夜した後、祖父の家へと向かったわけだ。
「相変わらず、タフな奴だなあ……」
 電話をかけるほのかの後姿を眺めつつぼやく。するとタイミングよくほのかが振り向いた。
「何か言った?」
「いやいや、こっちの話」
 俺のぼやきを耳ざとく聞きつけたほのかの質問を軽く受け流す。
「そう? じゃあ、二人が来るまでにまだ時間はあるし、もうちょっとこの子の話を聞いてみましょうか」
「というと?」
「さっきの光一の説明じゃ、まだ全然何をすればいいかわからないってこと」
 あっさり返される。俺が軽く凹んでいるうちに、電話を終えたほのかが再び着席する。
「二人ともすぐに来るみたいよ。ま、光一ほどにすぐってわけじゃないだろうけれど」
 さすがに政史と卓弥の家は、数軒隣とかいったレベルの距離にはないので、言葉通りすぐに家を出たとしても、十分程度は必要になるだろう。
「それじゃあ佳歩さん、だったわよね。二人が来る前に、いくつか聞いておいていいかしら?」
 質問を受けて、薗部佳歩はコクリと小さく頷く。
「それじゃあ、最初に一番大事な質問。あなたはもちろん、自分が探している悪魔が誰なのか、当然知っているのよね」
「はい、それはまあ一応」
「じゃあ単刀直入に聞くわよ、その悪魔って誰?」
 そういえば、そんな大事なことを俺は聞いていなかった。まあ色々とあって聞きそびれた側面が多分にあるだろうが。
「残念ながらお答えすることはできません」
 心底悲しそうに、薗部佳歩が首を横に振る。
 意外な返答だった。つまり俺たちは、誰だか分からない悪魔を探し当てなくてはならないというのだろうか。だがそう思ったのは、俺だけだったようだ。
「ま、そう簡単には行かないでしょうね……」
「そうね、これが一つのチェックポイントってところかしら」
 春奈の呟きに、ほのかが応じる。どうやら二人の間では、既になんらかの共通認識が組みあがっているらしい。
 いつの間にか主導権を二人に奪われているなと思いつつ――まあいつものことなのだが――尋ねてみる。
「なあ、どうして悪魔が誰なのか聞けないのが当然、みたいなリアクションなんだ。それじゃあ俺たちが、一体どうやってその悪魔ってのを探せばいいか分からないじゃないか」
 俺の疑問を聞いて、二人が同時に呆れた顔をする。
「当たり前でしょう、お兄ちゃん、そんなに簡単に蘇ることができるわけないんだから。自分で『ルール』のことについて触れといて、それはないんじゃない?」
 俺がそれを聞いてさらに首を傾げると、やれやれといった面持ちで、ほのかが引き継ぐ。
「いい? 誰が決めたかは知らないけれど、彼女は何らかの『ルール』に縛られている。言い方が悪いかもしれないけれど、言ってみればこれは誰かが作ったゲームなわけよ」
 ゲームか……なるほど、言い得て妙かもしれない。確かに彼女の数々のセリフや、『ルール』という言葉はそれを連想させる。
 俺が納得したのを確認して、次は春奈が告げる。
「この場合は、最終目的は悪魔に佳歩さんの大切な人の名前を言わせることなわけで、当然そこまでの間にいくつもの障害があるはず。そして悪魔の正体を教えてもらえないことは、その障害のうちの一つって言えるでしょうね」
 なるほど……でもそれって、気づくのが普通なんだろうか、比較対象がいないからいまいち分からない……
「さてと、でもまあこんな風に一々『ルール』に引っかかるかどうか確認するのも面倒ね……先にその『ルール』とやらを教えてもらうことはできる?」
「はい、もちろんです!」
 ほのかの質問に対し、嬉しそうに薗部佳歩が頷く。
「そうですね、まずは大前提として、私は嘘をつけません」
「嘘をつけない? つかない、ってわけではなくて」
 俺が素っ頓狂な声をあげると、彼女は少しだけ寂しそうに笑って頷いた。
「はい、いわゆるプロテクトのようなものがかかっていると考えてもらえれば分かりやすいでしょうか。とは言ってもこの『ルール』は、信じていただけないことには始まらないってことを伝える役割を持った『ルール』と考えてもらって構いません」
 確かに、彼女の現実離れした話のどこか一つでも疑ってしまえば、きっと彼女の話、何もかもが信じられなくなってしまうだろう。気休め程度とはいえ、これは俺たちのためにつけられた『ルール』と考えていいだろう。
「次に、悪魔の正体、及び私の大切な人に直接言及するような質問には、答えることができません」
「あっちゃ~、そっちも伏せられちゃうのか」
 春奈がぼやく。確かに悪魔の正体だけでなく、悪魔に言わせねばならない名前まで伏せられるのはきつい条件だ。
「あと薄々お気づきだとは思いますけれど、私自身の情報についても、他の誰かとの関係性について尋ねる質問でしたら、お答えすることができません」
「それはつまり……」
「それはつまり、あなたのことについては、自分たちで思い出せってことなわけね」
 俺が言おうとしたことを、ほのかが言ってしまった。軽い敗北感。
「そういうことになります、あと、これは先ほども説明しましたけれど、私のことが見えるのは私のことを知っている人だけです」
 確かにこれも『ルール』と言えるだろう。
「他にも細かい『ルール』がないこともないですが、基本的に今まで説明した『ルール』の延長にありますから、説明は省きますね。そして最後の『ルール』です」
 いよいよ最後の『ルール』か。

「私に与えられた時間は、出現してから七十七時間。つまり三月三十一日の正午になったら、私はこの世界から完全に消滅して、二度と蘇ることができなくなります」

 一瞬、頭が真っ白になる。
 確かにこれがゲームだと言うのなら、制限時間はあってしかるべきかもしれない。その制限時間が七十七時間という中途半端な時間なのは気になるが、一日が二十四時間だから、七十七時間は三日と少しということになる。
 これが長いと感じるか、短いと感じるかは人それぞれだろうが、少なくとも俺には短いように思えた。俺たちはまだ、薗部佳歩のこともよく分かっていない。おまけに悪魔が誰なのか、それに薗部佳歩の大切な人の名前は何なのか、と分からないことだらけである。
 はたしてどこから手をつけたものかと考えていると、チャイムの音が聞こえてきた。
「どちらかが来たみたいね」
 言うなり席を立ち、ほのかが玄関に向かう。
 間もなく、二人分の「おじゃまします」が聞こえてくる。おや、と思うと、案の定ほのかの後ろにいたのは、政史と卓弥の二人ともだった。
 卓弥は同年代の中でも背が高く、逆に政史は背が低い。この二人が揃うと、政史がボケを担当し、卓弥がツッコミを担当する凸凹コンビのでき上がりだ。世の中うまくできている。
「家の前でたまたま会ったんだって。これで説明の手間が半分になったわね」
「説明って?」
 ほのかの言葉を聞いて、キョトンとした表情で政史が尋ねる。
「そこの鶴畑の女子に関することじゃないか」
 卓弥のツッコミにより、卓弥が薗部佳歩について知っていることが当確する。さて、政史の方はどうだろう。
「鶴畑の女子? ああ、確かに見ない顔やね」
 政史の方も問題なし。この分だと今この場にいない直之も、おそらく彼女のことが見えるに違いない。
「よし、じゃあ二人に今からすごいものを見せてやるから、それを見てから俺の説明を聞いてくれ」
 そう言ってから、薗部佳歩に目配せをする。彼女はコクリと頷くと、先ほどと同じように自らの手を上げ下げして、テーブルに通過させる。
「えっ!」
「むっ?」
 二者二様の驚き方をしてみせる二人。純粋に驚いているのが政史で、疑い半分の驚きになっているのが卓弥だ。
 政史はその場で硬直したままだったが、卓弥は前に進んで彼女の手元をじっと眺め始めた。そしてどんどん顔が蒼白になっていく。
「こ、これは一体……」
「見ての通りさ。彼女は幽霊なんだよ」
「な、何をそんな馬鹿な」
 そうは言うものの、卓弥の言葉には、いつものような覇気が感じられない。
「ゆ、ゆゆゆ、ゆうれい?」
 政史にいたっては完全に取り乱している。
「まあ二人とも落ち着けよ。お前たちには、彼女が蘇るための手助けをしてもらいたいと思っているんだから」

「……というわけだ」
 流石に二回目ともなれば、説明の要領も少しはよくなる。先ほどに比べてスムーズに説明を終えることができた。
「なんだ、ようはその悪魔のようなやつに名前を言わせればそこの女の子は蘇るってわけね。おいらはてっきり、祭壇に捧げるイケニエをつれて来いとでも言われるのかと……」
「バカ、そんなことやれって言われたって、光一たちが俺たちに助けを求めるわけがない」
「わ、分かってるよ、ちょっとしたボケだってば~」
 政史のボケに、卓弥がツッコミを入れる。俺たちにとってはいつも通りのやり取りで、今更笑いが起きることも――いや、一人だけ例外がいたか。
 薗部佳歩だけはクスクスと笑った。
「卓弥ー、おいらたちの漫才に久々に笑ってくれる人が現れたよー」
 政史が感涙と思しき涙を流しながら言った。
「別に俺は漫才をやってるつもりはないんだが……」
 うんざりといった調子で卓弥が呟く。
「す、すみません、つい……」
 薗部佳歩が謝ると、
「いえいえ、俺も慣れてますから」
 と卓弥はいつも通りの返事をする。それにしても本当に随分久々のやり取りだ。
「ま、それはともかくとして、だ。俺は手伝うことについて異論はないぞ。お前や直之と違って、別に東京に行くわけじゃないからそれほど忙しくもないし」
「あ、もちろんおいらもおいらもー」
 断られることなんて考えていなかったが、賛同が得られてやはりホッとする。
「ちなみに政史に同調するわけじゃないが、俺も悪魔に名前を言わせて終わりって条件はどうもあっさり過ぎる気がする。悪魔ってのは彼女を殺した以外はただの人なわけだろう。どうしてそんなやつが名前を告げるだけで、彼女が蘇ることになるんだ?」
 そのゴールも、現時点では決して容易いものではないらしいことが分かっているが、確かに人を一人蘇らせる対価としては安い気がする。
「そこのところはどうなの、佳歩さん?」
 ほのかが尋ねる。
「まあそこは、神様が最初に『ルール』をお作りになられたときは、少し違う条件でしたから。その条件を満たすことができれば、自動的に神様がお作りになった条件も満たすことができるようになっているんです」
 一瞬、皆、言葉に詰まる。
「今、俺の聞き違いでなければ、神様って言ったか?」
 おそらく皆が思った疑問を代表する形で俺がぶつける。
「はい、言いましたけれど、それが何か?」
 さも当然と言わんばかりに彼女は返事した。幽霊、悪魔と来て次は神様か……あと残っているのは天使くらいのものではないだろうか。
「……つまり、君がこんなゲームに挑戦することができるのは神様のおかげと言うことか?」
「あ、それは違います。神様にはそんな力はありませんよ」
 卓弥の質問に、即答である。ホッとしていいのかどうか分からないが、こんな事態を引き起こしているのは神様とやらではないらしい。

「そんな力を持ってるのは、神様の神様です。現に私が今ここにこうしていられるのは、『神様の神様のいたずら』のおかげなんですから」

 改めて薗部佳歩以外の誰もが絶句する。
 神様の神様とは、また予想外の存在が出てきたものだ。
「ちょ、ちょっとタンマ! 神様の神様って何それ、神様に神様がいるってどういうこと? おいらにも分かるように説明してくれない?」
 政史が先陣を切って尋ねる。
「残念ながら、『ルール』違反になってしまうので、お答えすることができません」
 そして返答は容赦ない。
「待って、一旦整理するわよ。つまり今回のゲームの基本的な『ルール』を作ったのは、神様で間違いないわけよね」
 春奈が冷静に割り込む。
「ええ、確かに」
「でも神様には、その『ルール』を実現するだけの力がなかった。だから神様の神様が、その『ルール』を実現した、そういう考え方でいいのかしら?」
「過程を大幅に省略して、結果だけ見ればそう言っても間違いないと思います」
 単語のインパクトが強烈だったせいでピンと来なかったが、順を追って整理してみればなんのことはない。
「つまりこの話は、あんたを蘇らせるのにあまり関係ないわけだ」
「普通に考えればそうでしょうね」
 だったらそう言ってくれればいいのに、と思ったのはきっと俺だけではないことだろう。

「さてと、ちょっと横道に逸れちゃったけれど、そろそろ本題に入るわよ」
 いつの間にかほのかが議長を務め、薗部家のテーブルは、今やもう定員の六名が座る会議場となっていた。
「私たちに与えられている時間は決して長くはないわ。私たちは何をすべきか、まずはそこから考えていきましょう」
 ほのかが呼びかける。
 さて、これでようやっと具体的に何をするのか、その答えが出ることになるはずだ。
「まずやらなきゃいけないのは、目的を確認すること、さっきの言葉を使えば、障害を確認することじゃないか」
「うん、それだそれだ、さすがは卓弥」
 卓弥の指摘に、政史が勝手に横で頷く。
「それもそうよね、ほのかさん、紙とシャーペン貸してください」
 春奈は紙とシャーペンを受け取ると、すぐに何やら紙に書き込み始めた。
「ま、今のところはこれくらいよね」
 そう言って春奈が中央に置いた紙には、次のように書かれていた。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 調べなくてはならないこと
・誰が悪魔なのか
・佳歩さんの大切な人の名前は何なのか

 そのためにできること

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「そのためにできることが空白になっているけれど、これはどういう意味?」
「仕方がないじゃない、まだ思いつかなかったんだから」
 俺の疑問に、春奈はふて腐れながら答える。
「まあ確かに、どうやって考えればいいか、今のままじゃ見当もつけにくいか」
「佳歩さんのことを調べたらいいんじゃない?」
 俺の言葉を遮ったのは、政史だった。
「だって調べなくてはならないことって、結局のところ、どちらも佳歩さんにつながるってことでしょ。誰も佳歩さんのことは覚えていなかったんだし、そこから始めるのが一番いいと思うけれど」
 いつもなら卓弥が言いそうな冷静な判断を、政史が告げる。
「なんだか違和感があるな~」
「ん、何かおいらの意見に文句でも?」
「いや……別にそういうわけじゃないけれどね」
 でもまあ昔から、ここぞという時に政史が鋭い意見を出すときはあった。抜けてるように見えて、意外としっかりしてるということだろう。
「そうね、確かにそこから始めるのが無難かもしれないわ。じゃあ具体的にどんな方法があるかしら」
 はるかの提案に、一同が押し黙る。そりゃあ人の素性調査の方法をパッと挙げることができたら、それはそれでどうかと思うけれどね。
 そんな中、口火を切ったのは卓弥だった。
「まずは、誰に彼女の姿が見えるか確認するのが先決じゃないか? 今のところ俺たちには見えるが、光一の母親とほのかの母親には見えなかったんだろう? それに誰に彼女の姿が見えるのかを把握しておけば、後々悪魔を探すのにも繋がるはずだ」
 言われてみればそうである。彼女のことを殺したという悪魔が、彼女のことを知らないはずがない。つまり必然的に、彼女の姿を見ることができる人物を探すことは、悪魔を探すための布石にもなるはずだ。
「念のために聞いておくけれど、あなたの姿を見ることができる人を教えてもらうことはできないのよね?」
 春奈が尋ねる。
「残念ながらできませんね、私自身と他者との関係性についての質問になってしまいますから」
 やはりそう易々とはいかないか。
「そうね、じゃあまずは彼女の姿を見ることができる人を探してみることにしましょうか」
 探すって言ったって、一体どうやって……と聞こうと思ったら、やおらほのかが席を立った。皆もそれに続く。どうやら今から何をするか理解していないのは、俺だけらしい。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。探すったってどこでどうやって?」
「どこで……ってのは適当に歩きながら考えればいいんじゃない? どうやってってのは、言うまでもないでしょう、お兄ちゃん」
 春奈が当然のように尋ねる。俺が返答に詰まっていると、
「彼女は物理的に干渉することができない。だから靴を履けないんだろう? それなら彼女を外に連れ出して、怪訝そうな顔をしている人がいれば、それは彼女の姿を見ることができるってことだ」
 卓弥が解説してくれた。なるほど、そんな探し方があったわけか。
「でも実は、その子の姿を見ることができる人を見つけることができても、その人の素性をどうやって調べるのかって問題は残っちゃうけれどねー」
「ま、それについてはその時考えましょう」
 政史の呟きをほのかがフォローする。
「とにかく何をするか分かったでしょ、それじゃあ佳歩さんの姿が見える人探しにレッツゴーよ!」
 高らかにほのかが宣言した。

 しかし結果は予想以上に芳しくなかった。
「まさか、誰一人気づかないなんて……」
 ほのかがため息混じりに呟く。結局あれから数時間歩き回ったものの、誰一人として薗部佳歩のことが見えてるような素振りを見せる者はいなかった。薗部佳歩を通り抜ける人、というなかなかにシュールな光景には何度か遭遇したのだが。
 今、さすがに歩きっぱなしで疲れた俺たちは近くにあった公園で休憩をとることにしたのだ。肉体を持たず、ゆえに疲れを知らない薗部佳歩を除く全員がベンチに腰掛けていた。
「おいらたちにしか見えない……ってことはないと思うんだけどなあ……」
 政史がぼやく、が、こうも見える人がいないとそう思いたくもなる。彼女がかつてこの世に存在したというのなら、そんな馬鹿なことがあるはずはない。現に、俺たちは誰一人として彼女のことを覚えていないのに、彼女のことを知っている。特段、彼女と親しかったわけでなくても、彼女のことを知ることはできる、ということである。通行人の中に、そんな人の一人や二人いたっておかしくないはずだ。それなのに見つからないということは……
「探し方が悪いのかなあ……」
 空しくひとりごちる。
 何の気なしに、彼女の方に目を向けると、彼女はぼんやりと空を眺めていた。彼女の視線の先には夕陽があるくらいで、特に変わったものは見受けられない。
「空に何かあるのか?」
 尋ねるが、返事はない。聞こえていないのだろうか。
「聞こえてるか?」
 今度は少し大きめの声で尋ねる。
「え? あ、はい、何でしょう」
 するとやっと、彼女は返事をしてくれた。
「いや、そんなにじっと、何を見ているのか聞きたかっただけさ」
「ああ……いえ、ただ、夕陽ってこんなに綺麗だったんだなと思って」
 言われて改めて夕陽を眺める。何の変哲もない、ただの夕陽だ。別にこれと言った感銘を受ける程では……
 そこまで考えて唐突に気づく。だからこそ彼女は、この夕陽を美しいというのではないだろうか。
 生きているときには当たり前だった風景。だが同時に、死んでしまえばそれが当たり前でなくなってしまう風景。
 彼女はとりあえずの命で、再びそれを見ることができることになった。そしてそれによって、彼女は気づいたのだろう。いつもと同じで、それでいていつもとは違う夕陽の輝きに――
 そこまで思い至って、改めて強く思う。
 俺はなんとしても、こいつを助けたいと。
 そこで改めてさっきまでの探し方を振り返ってみる。探し方に何か問題はなかっただろうか。
 俺たちはとにかく人通りの多い場所を進んで歩き回った。そうすれば少しは彼女のことを見ることができる人がいるだろうと考えたからだ。
 だが実際には、彼女の姿を見ることができた人は現れなかった。なぜだ? 彼女と関係性が薄いはずの俺たちの間では五人も彼女の姿が見えるって言うのに。……待てよ、関係性?
「なあ、どうして俺たちはこいつのことが見えるんだろう?」
 俺の質問提起に、皆が首を傾げる。
「どうしてって、私たちが佳歩さんのことを知っているからでしょう?」
 何を言いたいのだろうか、と言った口調でほのかが返答する。
「違う違う、俺が言いたいのはそういうことじゃなくて、どうして俺たちは、皆、彼女のことを知っているんだろうってこと」
「そうか……関係性のことだね?」
 政史が呟いた。
「そう、それ!」
 他の皆はまだ何を言っているのか分からない、といった表情だ。先ほどまでの立場が逆転した気がして、少し優越感に浸る。
「だから、これだけ歩き回っても、俺たちはこいつの姿が見える人を見つけられずにいる。つまりこいつのことを知っている人の絶対数はそれほど多くはないってことになるんだ。でも俺たちは皆して知っている。つまり俺たちはこいつのことを、テレビとか新聞とか、そんな不特定多数に送られる情報ではない何らかの手段で、一緒に知ったんだよ」
「そうか……私たちと佳歩さんの関係性は分からないけれど、私たちの間での関係性ならよく分かってる。その関係性を辿ればどこかで……」
「この子にぶつかるってわけね。やるじゃない、お兄ちゃん」
 二人の言葉に満足しながら薗部佳歩の方を見る。彼女も嬉しそうに微笑んでいた。彼女が嘘をつけないというのなら、この方向性でどうやら正しいと言えるらしい。
「となると次は俺たちの関係性を辿っていけばいいわけだな。具体的にはどうする、光一?」
「はーいはい、おいらに提案があるよ!」
 威勢よく政史が手をあげる。
「一体どんな案なの?」
 ほのかが尋ねる。
「フフ、よくぞ聞いてくれました」
 勿体つけて咳払いをしてから、政史は告げた。

「おいらたちの思い出の場所を巡るんだよ、小学校とか中学校とか。そうすればおいらたちの関係性も辿れるし、光一が東京へ行く前の思い出作りにもなるでしょ。どう、おいらの案?」

テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学

悪魔に会うために 幕間 木山光一の与り知らぬ逸話 ―下川政史の場合―
 幕間 木山光一の与り知らぬ逸話 ―下川政史の場合―

 薗部佳歩が現れる前日の某カラオケ店にて――


「次は……『Dessert Days』だって。誰が入れたのかな?」
「あ、俺だよ俺」
「それじゃあ俺々詐欺じゃないか」
 ワイワイと、いつものようにカラオケに興じる仲間たち。やはりオールとは言っても、カラオケはカラオケということだろう。まあいつもとは違ってほのかちゃんや春奈ちゃんがいない分、濃い目の選曲が多い気がするのは気のせいではないだろうけれど。
「どうした、政史。気分でも悪いのか?」
 いつの間にか黙り込んでいたおいらを心配してくれたのか、卓弥が尋ねる。
「ん? いやいや、おいらが気分が悪いなんて、そんなことがあるはずないよー」
 そう、別に気分は悪くない。ただ――ただ、こんなことができるのはこれで最後なのだろうかと漠然と考えていただけだ。
 この春、光一と直之は東京の大学に進学する。そりゃあ二人とも実家はこっちだから、長期休暇の時には帰ってくるだろうけれど、それにしたってそう気軽には会えなくなる。いつまでおいらは、この仲間たちとこの関係を維持できるのだろう。
「大丈夫だ」
「え?」
「光一も直之も、どこにいたって、あいつらのままだよ。心配しなくても俺たちは俺たちのままだ」
 驚いて卓弥の方に首を向ける。卓弥は素知らぬ振りしてカラオケの画面を見ていた。
 ……全く、澄ました顔して……
「ちぇ、顔に出るのは光一だけだと思ってたのに……でも……」
 なんとなく自分の考えが見抜かれたのが悔しくて、反撃に出る。
「お前はそれでいいのか?」
「何の話だ?」
「お前はこのまま、仲間のままでいいのかってこと」
 一瞬言葉に詰まるが、卓弥も負けていない。
「その言葉、そっくりそのまま返す。それにライバルがいるお前より、ライバルがいない俺のほうがまだ望みがある」
 言ってくれるねえ、と思いながら、視線を残りの二人に向ける。
 一人は色恋沙汰について何を考えているのかは、正直よく分からない直之。そしてもう一人、おいらにとってのライバルで、こっちは何も考えていないことがよく分かる――光一。
「ま、おいらとしてはこの春休みの間に決着をつけられたらいいなと思っているんだけど……」
「そうか、まあ焦らずにやれ」
「素晴らしい応援痛み入ります」
 それを聞くと、卓弥はフン、と笑い飛ばしてくれた。丁度その時、光一の歌が終わった。
「えっと、次の『レースのカーディガン』って誰だ?」
「あ、僕だよ僕」
 マイクが光一から直之へと渡る。
「それにしてもおいらが驚きなのは、普段の直之はあれでも抑えてたんだなってことだったりするんですが、そこのところいかがでしょうか、先生」
「同感だ。俺も今のところ直之が歌った曲の中で、知ってる曲が一曲もない」
 卓弥とそんな軽口をたたきあいながら思う。
 残り短い春休みだけれども、皆のこれまでの繋がりを振り返りつつ、仲間から一歩進んだ関係に踏み出せるような、そんな都合のいいハプニングが起こったりはしないだろうかと。
「ま、そんなことあるわけないか」

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悪魔に会うために 第3章 To the memorable places
 第三章 To the memorable places

 目覚ましの音で目を覚ます。
 上半身を起こすと、常のように日光が当たり、俺の重たいまぶたをこじ開ける手伝いをしてくれた。
 現在時刻は三月二十九日の午前七時。集合時間まではまだまだ余裕がある。
 そう、俺たちはこれから、昨日の政史の提案どおり思い出の場所を回ってみることにしたのだった。とりあえず今日のところは中学校と小学校(高校はバラバラなので必要ない)。それでも俺たちと薗部佳歩の関係性、ひいては悪魔の正体が分からなかったときは、またそのとき考える、という行き当たりばったりな要素の強い計画ではあるが、ほかにこれといった手がかりがないから仕方が無い。
 これらのことを漠然と決めていく上で問題になったのは、果たして薗部佳歩との接点が、俺たちの普段の行動範囲の中のものであるか、という点であった。彼女が着ている制服は鶴畑のものだし、鶴畑は公立だから、市外生の割合は決して大きくない。だから大丈夫だろうという大まかな見当はつけていた。
しかし結果的に、この見当は昨日の帰り道で、思わぬ形で裏づけされた。

 *

「そういえば、お前はこの後どうするんだ?」
「え、私ですか?」
 政史の提案が了承され、今日は時間が遅いからまた明日ということになり、さて解散となってからのことである。俺が薗部佳歩に問いかけると、彼女はそんな反応を示した。
「ああ、大体さっきまで気づかなかったけれど、俺たちと一緒にいるばかりでいいのか? お前だって家族はいるんだろう? 家族のところに顔を出すとか、やるべきことが他に……」
 最後まで言えなかった。彼女の顔が寂しさと悲しさが入り混じった表情になっていることに気づいてしまったからだ。
「……スマン、お前もしかして家族がいないのか?」
 俺は自分の浅はかな質問を恥じた。家族の下に戻ることは、俺たちの誰が言わなくとも、彼女自身が真っ先に考えたはずだ。それなのに彼女がそれを言い出すことが無かったのは、きっと彼女にそうできない理由があったからなのであろう。そう考えた上での謝罪だった。
「いえ、謝っていただたかなくても結構です、ご質問にはお答えできませんけれど……ただ、今の私が家族の下に戻ることができないってことだけはお伝えしておきます」
「ま、あたしでもあなたみたいなことになったら、ちょっと気軽には家族の前には姿を出せないかもしれないわね」
 どこから話を聞いていたのか、春奈が会話に入ってきた。だがその言葉で、彼女の家族がまだ健在であるという可能性にも思い至った。
「……そうか、俺たちでも幽霊ってことで充分驚いたけれど、それがよく見知った誰かだったら驚きはもっとすごいことになるわけだ」
 そうなると、自分が置かれている立場の説明は、俺たち以上に手間取ることになるだろうから、蘇るための条件を説明することもままならないわけだ…………いや、でも待てよ?
「そういえば、肝心なことを聞いていなかった」
「なんでしょう?」
 確かに、説明はままならないかもしれない。だが……
「お前が俺の部屋にやってきたのは、いつのことで、それはどうしてなんだ? あっと、これは答えられない質問だったりするか?」
 俺たちは、彼女のことを覚えてはいない。なぜそんな希薄な関係性しか持たない俺たちのところに、彼女はわざわざやってきたのだろう? 本当に蘇りたいのなら、自分のことをよく知っている人たちのもとに現れて――さらに言うならば、悪魔の正体を知っている人たちの前に現れるほうが効率がいいのは間違いない。
「いえ、別に構いませんよ。まず、あなたの部屋にやってきた時間についてですが、やってきた……というよりは、現れた……といったほうが正しいかもしれませんね」
「な……それって」
「はい、私がこの世に仮初の生を受けた今日の午前七時から、私はあなたの部屋にいたわけです」
「え!」
 やはり横で聞いていたのであろう、ほのかの驚きの声があがる。驚いたのはこちらも同じだ。それってつまり……
「つまりお前は、七十七時間って制限のうちの五時間近くを、ただ黙って俺の横に座って無駄にしたってことなのか?」
「無駄にしたって表現はどうかと思いますが……でも私なんかのわがままのために起こすのもどうかと思いましたし、それにグッスリ眠っていらっしゃる姿を見たら、やっぱり起こすのがはばかられてしまって……」
「そこで遠慮してどうする!」
「す、すみません……」
 恐縮する彼女を尻目にかぶりを振りつつ、こいつは本当に蘇る気があるんだろうかと考える。七時ってことは、俺が寝てすぐだ。まあ俺の頭が数分の睡眠で、すぐに正常な思考を取り戻せるほどに回復できるかといえば、それはできないだろうが、それにしたって五時間も黙って俺が起きるのを待ってたってのは馬鹿としか言いようがない。
 ……あ、そういえば俺が起きたとき、こいつ寝てたんだだっけ、じゃあ寝てた間は、俺を起こすこともできないから仕方がないか。
 って、いや、そもそも自分に七十七時間しかないってのに、その最初の数時間をいきなり寝て過ごすってのはどうだろう。それはそれでやっぱり馬鹿だろう。
 俺が結局こいつは馬鹿だという結論に至るとともに、おずおずと薗部佳歩が口を開く。
「あのー、続けてもいいですか」
「ん、あ、そうか、続けてくれ」
 そういえば肝心の俺たちの元に現れた理由をまだ聞いていなかった。
「私がここに現れた理由、それはここが一番悪魔に会いやすい場所だったからです」
 一拍、言葉に詰まる。言ってること自体はわかるのだが、その言わんとするところがわからなかった俺に対し、横の二人はちゃんと理解したらしく、なるほどと言った面持ちで首を縦に振る。
 俺が理解していないことを悟ったらしく、ほのかが説明してくれる。
「つまりさっきみたいにゲームで説明すれば、佳歩さんはいきなり最終ステージからスタートしている状態なわけよ」
 ああ……なんとなく言いたいことが分かった。そうか、まあ確かに七十七時間で悪魔を見つけて大切な人の名前を言わせる……なんて、土台無茶な話だ。
 もし仮にスタート地点が悪魔のいる場所から遠く離れてたりすれば、その時点でゲームオーバーが確定するおそれもある。そういった意味では、七十七時間という制限時間に対抗するために彼女が与えられたアドバンテージが、出現地点だったということだろう。おかげで彼女は一面からコツコツ攻略することなく、ラストステージに向かえるわけだ。
 ……おや? ということは……
「なあ、つまりそれって、やっぱり俺たちの行動範囲より外のことを考える必要はないってことじゃないか?」
 今度はほのかと春奈が、さっきまでの俺がしていたであろう表情を見せた。
「だから、俺たちが行動範囲の外にいるときに彼女のことを知ったって可能性よりは、彼女が自分の行動範囲を外れて俺たちの行動範囲に入ったときに、彼女のことを知ったって可能性が高いんじゃないかってことだよ。そう考えたほうが、俺たちのところに現れた理由が、悪魔に一番会いやすいからって言うのも納得できるだろう」
 二人とも、ああ、と納得の声をあげる。
「確かに裏づけとしては弱いけれど、それなりに説得力はあるわね、ほのかさんはどう思う?」
「私もその考えで良いと思うわ、これで明日の方向性にちょっと自信が出てきたわね」
 そう言ってほのかは微笑んだ。
 二人の賛同を得たことで、俺の期待は否が応でも高まるのだった。

 *

 そして今朝である。
 昨夜の夕食のときもそうだったが、今朝の朝食も心苦しいものがあった。
 何せ薗部佳歩はこの世の物に物理的に干渉できない。ゆえに当然食事をとることができないわけである。そんなやつを目の前にして自分だけ食事をする、というのは、なんとなく後ろめたさを感じずにはいられない。感じたところでどうしようもない、と分かっていてもだ。
 ちなみに言うまでもないことだが、彼女は昨夜春奈の部屋で寝た。流石に二日連続で目を覚ましたら少女が……って展開は心臓に悪そうだったので、それを避けられたのは素直に嬉しい。――なんとなく勿体無い気がするのもまた事実だが。
 それはさておき、そんなこんなの過程を経て身支度を整えると、俺たち――俺、春奈、薗部佳歩――は待ち合わせ場所へと向かった。
 待ち合わせ場所は昨日解散した日の出公園で、俺やほのかの家からは若干遠い。しかし俺たちの母校である東谷中学校への道のりと他の面々の住所を考えると、そこが丁度いい待ち合わせ場所だったので仕方がない。
 道すがら、昨日眠る前にふと疑問に思った質問をしておくことにした。
「一つ気になったことがあるんだが、聞いてもいいか」
「聞く分には構いませんよ、それが『ルール』に引っかかるようでしたらお答えできませんけれど」
 流石に『ルール』という言葉に違和感がなくなってきた自分の適応能力に半ば呆れつつ、とはいえ、やっぱりこんなこと聞いてしまっていいんだろうかと迷う自分を抑えて尋ねる。
「お前、蘇るって言ったけれど……お前が死んだってことは周りの人は皆もう当然知ってるわけだろう。蘇るったって、そこら辺の面倒ごとをどうやって処理するのか、お前は考えていたりするのか」
 それは昨日、彼女が家族の下に戻ることができないと言ったことに端を発する疑問である。つまり彼女は、家族に幽霊となった自分を見せることを恐れているのではないだろうか。だとしたらちゃんと(?)蘇ることができたにしても、それはそれで家族にとっては幽霊のようなものなわけで、やっぱり同様の問題に直面するだろう。
 別に俺たちがそこまで面倒を見る義理はないだろうが、手を貸せることがあるなら手を貸すべきだろうとは思う。そう考えたうえでの質問だったが、返答は意外なものだった。
「それについては心配いりません」
 彼女は本当に何の気負いもなく、そう告げた。
「あれ、そうなの?」
 思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。
「はい、私の大切な人の名前が分かれば、その理由もお分かりになると思いますよ」
 彼女の言葉にハッとなる。これって結構重要な手がかりではないだろうか。
 とりあえず今俺たちは悪魔の正体を突き止めることに躍起になっているわけだが、後々は彼女の大切な人の名前も突き止めなくてはならないのだから。
 …………でも、名前だけでどうして彼女が蘇った後のことが分かるって言うんだろう。
 俺は軽い困惑に陥るのだった。

ヒントの意味を吟味しているうちに、待ち合わせの十分前である九時五十分にはそこに到着することができた。待ち合わせ場所が待ち合わせ場所だったので、早目に家を出たのが功を奏したらしい。
 ただし、待ち合わせ場所にはまだ誰も来ていなかった。しかも結局待ち合わせの時間に間に合ったのはほのかだけで、政史と卓弥は揃って十分ほど遅刻してきたのだった。
「遅いぞ、二人とも」
「いんやー、調べ物をしてたらちょっと」
 政史がそう言うのと同時に、意味有りげに卓弥が視線を一瞬、薗部佳歩へと向けた。しかしそれだけで何も言わない。その意味するところは分からなかったが、具体的に何か言いたいことがある、という風でもなかったので気にせず話を進めることにした。
「まあいいか、じゃあまずは俺から報告しておきたいことがあって……」
 昨日の会話の内容をかいつまんで説明し、捜索範囲が俺たちの行動範囲内で良さそうなこと、そして先ほど得たばかりの情報である薗部佳歩の大切な人に関する情報を告げる。
「へえ、名前が分かればアフターケアの保証書が付いてくるってわけなんだね、そりゃすごい」
「そのたとえはどうかと思うが、そういうことになる。政史はそれで心当たりがあるか?」
「いんや、残念ながら」
 大きくかぶりを振って、政史は否定の意を示す。
「皆は?」
 他の皆も、やはりパッとは意見が浮かばないらしく、発言の気配を見せない。ただ一人を除いて――
「つまり、彼女が死んでいたという事実をなかったことにできるというのなら――」
 卓弥だ。
「要人じゃないか?」
「要人って、具体的に言うと?」
 俺が促すと、少し考え込む姿を見せた卓弥だったが、すぐに答えた。
「総理大臣とか?」

 卓弥の意見に俺たちはしばし硬直することとなったが、いつまでもそうしているわけにもいかない。だが、ことの真偽は、薗部佳歩に聞いたところで『ルール』に引っかかってしまうので分からない。
 結局、卓弥の意見は頭に留めておく程度にしておいて、とりあえずは中学校へと向かうことにした。したのだが……
「ここの……階段って……こんなに……きつかったっけ?」
 東谷中学校は、ちょっとした丘の上にある。そのため学校に行くためには、ぐるっと大回りする坂を上るか、今俺たちが通っている階段を上るかしなくてはならなかった。だから俺は中学生の頃は当然この階段を毎朝上っていた。上っていたのだが……
「ここの……階段って……こんなに……長かったっけ?」
「ああもう、お兄ちゃん、うるさいよ。部活もしないで家でゴロゴロしてばかりいるからそうなるんだよ」
 春奈の言葉が耳に痛い。一応は受験勉強のせいであまり運動していなかったという言い訳が立つのだが、どちらにせよ部活をしていなかったのが主因であることは事実なので言い返せない。
 そのまま黙って上っていると、果てなく続くと思われた階段もやがて終わりを告げ、視界が開ける。
「うーん、侮りがたきかな、子供の頃のおいらたち。毎朝こんな運動してたんだねえ」
 そういう割には、政史はあまり応えてるようには見えなかった。はるかがちょっときつそうなくらいで、他もピンピンしている。
 東京に着いたら、密かに筋トレをしようと心に決めつつ東谷中学校へ向かう。階段を上れば、東谷中学校はもう目と鼻の先だ。
 間もなく東谷中学校と、それを囲む三分咲きと言ったところの桜並木が見えてきた。この時期でこれくらいなら、今年の新入生は満開の桜に出迎えられて入学を果たせることだろう。
 そんなことを考えながら、俺たちは懐かしの学び舎に足を踏み入れた。

 卒業してからまだ三年ほどしか経っていないのに、そこは懐かしさに溢れた場所だった。皆して懐かしい、懐かしいと連呼しながら学校を見て回る。
「ねえねえあれ見てあれ、まだ残ってたんだー」
「あ、逆にこっちは建て替えられてるよ、やっぱり変わるところは変わるんだねえ」
 そんなことを言いながら夢中になっている皆につられて俺も懐かしさに浸っていたが、ここに来た本来の目的を思い出し、慌てて咳払いをする。それで皆、ハッとした表情になり、慌てて話し合いを始める。
「え、えっと、じゃあどこから手がかりを探していこうか」
 ほのかの質問に、すぐに返事が返ってくる。
「職員室からでどうだ」
 卓弥の提案は見事に支持を得た。確かに俺たちと薗部佳歩との関係性を探る上で、俺たちのことを知っている人と話をするのは有益だろう。ひょっとしたら薗部佳歩のことを知っている先生もいるかもしれない。
 だが俺には、どうも皆が恩師との再会を楽しみにしている節があるように思えてならなかった。それが悪いとは言わないが、なんだか本来の目的がおまけになっている感が否めず、俺は人知れず嘆息をつくのだった。

 しかし職員室に行ってみると、残念ながら、俺たちの恩師は既にほとんどが他の学校へと転勤していたことが判明した。去年卒業したばかりの春奈はともかく、確かに三年も経てば教員の顔ぶれは随分と変わるものである。それに一・二年の頃にお世話になった先生の中には、卒業を待たずに転勤なさった方々もいる。このような結果となるのは、至極当然のことかもしれない。
 とはいえ、全く残っていなかったわけではなく、俺たちは唯一学校に残っていた恩師、三葉先生のもとへと向かった。
 扉をノックする。
「どうぞー」
 と声が聞こえてくる。扉を開けると、何か金管楽器(多分トロンボーン)をチューニングしている三葉先生の姿があった。そう、ここは音楽準備室で、音楽担当である三葉先生は、俺たちが中二のときに副担任だった先生だ。また、授業だけなら三年のときにもお世話になった。
「あら、あなたたち、随分懐かしい顔が揃ったわねー、今日はどうしたの?」
 俺たちの副担任だった頃、まだ四十にはギリギリ届かない、けれども四捨五入すると三十にはならないという年齢に相応な雰囲気をまとっていた三葉先生。一言で言えばオバサンだったわけだが、今もそう変わらないようだった。
 三葉先生は作業の手を止め、立ち上がってこちらを見つめる。これといって変わったリアクションが見られないあたり、どうやら薗部佳歩には気づいていないようだ。
「いえ、大した用事があるわけじゃないんですけれど、俺たち高校を卒業したことですし、上京する前に中学校を見ていこうかなって」
 代表して俺が、適当に応えておく。満更嘘ではないとも言える。
「あら、あなたたち、皆、東京に行っちゃうの?」
 三葉先生が驚きの声をあげる。
「いえ、東京に行くのは光一と直之だけですよ、後はみんな地元で進学です」
「あらそう、光一君……そうか、木山君のことね?」
 そう言って眼鏡越しにこっちを真っ直ぐ見つめてくる。三年ぶりだというのによく覚えているものだと思いながら、頷く。
「直之君は……そう、太田君だったわ、ここにはいないみたいね。彼、面白かったわよね」
 何かを思い出したらしく、クククと笑いながら言葉を続ける。
「だってあの子ったら、ガガーリンをガチャピンと間違えるのよ。いつからガチャピンが地球で一番最初の宇宙飛行士になったのよ。フェルマータに至ってはフェルトペンよ、信じられる?」
 そこまで言うと堪えきれなくなったのか、ワハハハと大声で笑い出してしまった。
 その笑い声を聞きながら、そういえばそんなこともあったなあと思い出す。確かに直之のやつ、横文字を覚えるのが絶望的に苦手だったからな……でも音楽の時間になんでガガーリンが出てきたんだっけ、などと考えている間に三葉先生は笑いつかれたのか、笑うのをやめた。
「ハア、ハア……ま、それはそれとして、木山君、今でもピアノはやってるの?」
 内心ギクリとする。
「え、ええと、最近はもう弾いてませんね」
 ピアノを習っていたのは幼稚園から小学生の頃の話だ。中学校に入ってからは、たまに思い出したように弾く程度だったのに、どうして先生が知っているんだ……と考え、すぐに思い出す。そういえば合唱コンクールのときに、ピアノが弾ける人って聞かれて馬鹿正直に手をあげたんだったっけ。まさかそれを覚えていたとは……
「そう、じゃあ折角だからここで一曲弾いていかない?」
「い、いや、いいですよそんなの全然、時間も無いですし」
 言いつつ薗部佳歩の方をチラッと見る。まあ三葉先生には聞こえないけれど、俺の言葉を肯定して、援護射撃をしてほしかったからだ。だが俺の期待はあっさり打ち砕かれる。
「私も、光一さんのピアノ、聴いてみたいです!」
 心が揺らぐ。正直俺のピアノは、謙遜抜きに大したことない。たまに気が向いたときに弾くことは弾くが、練習があまり好きではないので、ほとんど上達というものがないのだ。ゆえに春奈でさえも、最近は俺のピアノを聞いていない。いや、正確には聞かせていない。
 それなのに、ここで二人の人物(三葉先生と薗部佳歩)からピアノを弾けと申し付けられてしまった。しかもそのうちの一人は、自分がピアノを弾かないで済むように口実にさせてもらうはずだった人物だ。
 他の言い訳も考えようかと思ったが――薗部佳歩の顔を見て、それが馬鹿馬鹿しくなった。
「わかりました、じゃあ一曲だけ――」
 それを聞いて、皆が拍手で迎える。だからそんな大した腕じゃないってのに!
 ため息をつきつつ、椅子に座り、ピアノに向き合う。弾く曲は迷わない。迷う余地も無い。俺が今でもそらで弾ける曲なんて、一曲しかないのだから。

 それは小学生の頃、母に弾くようにせがまれた曲で――

 当時の俺は悪戦苦闘しながら覚えて――

 やっとのことで弾けたと思ったら――

 それからは毎年のように機会があるごとに弾かされて――

 辟易しつつもなんだかんだで俺自身も気に入ってしまっていたその曲は――

 なんでもドラマの中で主人公が弾いてた曲だとかで――

 タイトルはそう、『Close to you』――

 感慨に耽りながら奏でた曲は、途中で何度か間違えつつも、止まらずになんとか弾ききることができた。間違いもそんなに酷いものではなかったし、多分三葉先生以外にはばれていないだろう。数ヶ月……いや、多分一年ぶりくらいに弾いた割には良いできだった。
 ほんの数人分のものとはいえ、拍手の音が部屋を満たす。
「……いやあ、光一のピアノを聴いたのはおいら初めてだけど、こんなにうまかったとはねえ」
「よせよ政史、ほめられるほどのものじゃないんだから」
「あら、そうでもないわよ、これならやっぱりあなたに一度くらい合唱コンクールの伴奏をさせとくんだったわね」
「そうですよ、私もこんな良い曲聴いたことありません!」
 それはほめすぎだろ、と三葉先生に悪乗りする薗部佳歩に突っ込もうとして気づく。春奈が、そして卓弥がいない。
「あれ、そういえば春奈と卓弥は?」
「春奈ちゃんは途中で抜け出して、卓弥はそれを追いかけていったけど……」
 春奈が途中で抜け出した? トイレにでも行きたくなったのだろうか?
「まあ、春奈ちゃんのことは、卓弥に任せておけばいいと思うよー」
 政史の言葉にそれもそうだということになり、結局そのまま俺たちは、三葉先生に一言お礼を告げてから音楽室を退室した。

「さて、次はどこに行ったものか……」
「屋上はどうかしら? ほら、昼休みによく一緒に行ったでしょ」
 ほのかの提案にそれもそうだということで、皆して屋上へとあがった。
 屋上の扉を開けて真っ先に視界に飛び込んでくるのは……
「わあ、ここも綺麗に桜島が見えるんですね!」
 開口一番、そう言ったのは薗部佳歩だった。そう、この学校は多分市内で一番桜島が綺麗に見える中学校だろう。丘の上に位置するがゆえに、遮るものが何一つ無く桜島を見ることができる。別に屋上からでなくても十分に見栄えはよいが、やはり屋上からの眺めは格別だ。
「ここもってことは、お前の家からも桜島が見えたりするのか?」
「いえ、私の家からじゃなくて、鶴畑高校からですよ」
 言われてみて思い出す。鶴畑高校には一度だけ、小学校の遠足で行ったことがある。まあ、行ったとは言っても通過しただけだが、確かにあそこからの眺めもなかなか良かった。
 正門あたりから真っ直ぐに桜島の方向へと道路が延びているおかげで、さながらモーセが海を割るように、建物が桜島への視界を開けているのだ。あちらにはここと違った風情がある。
 そう一人で納得していると、何かが視界にチラついているのに気づいた。
「雪?」
「いやいや、雪と灰を間違ってどうする。大体桜島が噴火しているのは、見りゃ分かるだろ」
 俺がツッコミを入れると、言われてみればと彼女もぼやいた。大体三月だし雲ひとつ無いのに(噴煙は上がっているが)雪が降るわけが無い。
 ただそれはそれとして、ここまで分かりやすく火山灰が降るのも最近にしては珍しいと思う。桜島は一応活火山だし、噴煙が上がること自体はそれほど珍しくもないが、最近は勢いがそれほどでもないおかげで、市内に積もるほどの灰、いわゆるドカ灰が降ることはなかった。それにどれだけの勢いで噴火したとしても、風向きによってはこちらまで火山灰が飛んでくるとは限らない。そういった意味では今日は運が悪かったと言えるだろう。
 家に帰ったら、母さんに灰を片付けるように言われる可能性に思い当たり、積もってほしくないなと漠然と考えていたら隣で薗部佳歩がぼそりと呟いた。
「積もってほしいですね」
「え?」
 思わぬ発言にギョッとする。
「あ、もちろん、これが雪だったらって話ですよ」
 そんな風に慌てて入ったフォローにホッとしつつもあえて言う。
「そうか? 俺はこれが雪でもあまり積もってほしくは無いぞ」
 雪なんて積もったところで、滑るし、歩きにくいし、列車は止まるし、不便だし……実用性なんて少しも無い。
「ほっほー、光一はそんなことを言うわけだ。おいらは雪が積もると嬉しいけどねえ」
「私もやっぱり、雪が積もるとちょっと嬉しいかも。ほら、なんだかロマンチックだし」
 残念ながらこの場に俺の味方はいないようだった。
「そ、そりゃあ俺だって、子供の時は雪が積もると嬉しかったけれどさ……」
 こんな南国で雪が積もるなんて滅多にないことだから、雪が積もった日にはそれはもう目一杯雪と戯れたさ。
 でもいつの頃からか、なんだか雪が積もっても嬉しくなくなってしまって……
 むしろ邪魔だなと思うようになってしまって……
 あれはいつの頃からだろう……
 具体的にいつ、と言えるものではないが、でもあえて言うならばそれは、

 大人になった時。

 なんてね。
 そんな考えをごまかすように、薗部佳歩に尋ねる。
「なあ、何でお前は、雪が積もるといいなって思うんだ?」
「え、私ですか?」
「ああ」
 彼女はつと視線を空に向けると、
「やっぱりロマンチックだからですかね、それに……」
 そこまで言ってから一度目を閉じ、そして再び開けてから告げる。
「それにどうせ降ってきたのなら、自分がいた証をできるだけ残していってほしい、そう思いたくなるじゃありませんか」
 そしてこちらに微笑みを向ける。

 それは普通のときに見ればきっととびっきりの微笑みだっただろうに、今の彼女にはとても痛々しくて――

 俺たちは誰一人として直視できなかった。

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幕間 木山光一の与り知らぬ逸話 ―藤崎卓弥の場合―
幕間 木山光一の与り知らぬ逸話 ―藤崎卓弥の場合―

 薗部佳歩が現れてから二日目の正午前、東谷中学校にて――


 俺がやっとのことで春奈に追いついたとき、春奈は――

 人通りの少ない廊下の隅で泣いていた。

 声をかけるのははばかられたが、だがこのまま皆のところに引き返すわけにも行かない。声をかけるべく、肩に手を置こうとしたその時、
「どうしてなの!」
 春奈は叫んだ。驚いて目を丸くする俺に構わず、春奈は続ける。
「どうして、どうしてほのかさんは何も文句を言わないの! どうしてほのかさんはあの人の好きにさせてるの!」
 何が言いたいのかは分からない。どうやらほのかに何か不満があるようだが、とりあえず言わせるだけ言わせて話を聞いてみることにする。
「どうして……どうして光一は、あんなやつのためにピアノを弾いたりしちゃうのよ……」
 最後の方は、段々弱い声になっていく。だが、それだけ聞けば十分だった。
 そっと春奈の両肩を抑えてやる。
「深く気にすることは無いさ、あいつはいつも何も考えてないんだから」
 少なくとも、あいつは異性の気をひくためにピアノを弾く、なんて器用な真似ができるやつじゃない。
「でも……でも、あたしが弾いてって頼んでも弾いてくれないピアノを、光一は弾いたんだよ、あいつが……あいつが弾いてって頼んだから……」
 ボロボロと涙を流しながら、春奈はそう訴える。改めて、あいつは何も考えていないだけだと否定しようとして、だがそれより先に春奈が言葉を続ける。
「それに光一は……あいつのことをこいつとか、お前とかって呼ぶんだよ? あたし、今まで光一が女の子のことをそんな風に呼ぶところ……見たことが無い」
 首を激しく振りながら、春奈はまた叫んだ。
 それは俺も気になっていることだった。確かに光一の薗部佳歩に対する扱いは、いささかぞんざいすぎるきらいがある。あんな態度、ほのかに対してさえとったことはないだろう。あるとすれば――チラリと本人の姿を見つつ思う。

 あるとすればそれは、春奈に対してくらいのものだ。

 そしておそらくそれに、本人は気づいていない。さて、どう説明したものかと思ううちに、春奈の独りよがりな妄想は一人歩きを始める。
「きっと光一は、薗部佳歩のことを前から知ってたんだよ。でもあたしたちにそれがばれるのが嫌だから、知らない振りしてるんだ。それならあいつが光一の部屋に現れたのだって納得できるし!」
「落ち着くんだ、光一はそんな器用なことができるやつじゃないって、春奈が一番よく知っているはずだろう。あの薗部佳歩とか言うやつが嘘をついていることはあっても、光一が嘘をついているはずがない」
 あくまで声を荒げることなく諭す。俺の言葉に、春奈はキョトンとした顔になる。
「あの子が……嘘をついている?」
 一瞬しまったと思うがもう遅い。諦めてため息を一つつき、教える。
「今朝、俺と政史が遅れて来ただろう。あれはちょっと確認することがあったからなんだよ」
「確認って……何を?」
「名前だよ、名前」
 一呼吸おいてから告げる。
「ここ数年間の新聞の死亡記事を調べたんだが、少なくとも市内で薗部佳歩という名前が載った死亡記事は発見できなかった。それどころか、だ。彼女の名前は、鶴畑高校の過去二十年間の入学者名簿の中のどこにも見当たらなかったんだよ」
「そ、それって一体……」
「つまり彼女は、鶴畑高校の制服を着てはいるが、あそこの生徒ではないということだ」
 それを聞くと、力が抜けたのか、ストンと自分の体を俺に預けてきた。慌てて手に力を入れて支えてやる。
「へえ、そうなんだ……あいつが嘘を……」
 無防備にそう呟く春奈にドギマギしつつも、俺は心の中で呟く。

 政史、お前にとってのライバルは、どうやら俺にとってのライバルでもあるらしいぞ、と。

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悪魔に会うために 第4章 Meet again
第四章 Meet again

 目が覚める。
 時計を見ると、目覚ましが鳴る二分前だった。珍しいことがあるものだと思いつつ、目覚ましを鳴り出す前に止め、体を起こす。二分程度ではそう陽の当たり方も変わらないので、俺のまぶたをこじ開ける役目はちゃんと果たしてくれている。
 そこまでいつものように終えてから、いつもとは一味違う風景に、分かっていてもギョッとしてしまう。
 そう、部屋の隅には二日前同様、薗部佳歩が眠っていた。
 三日目の朝、現在時刻は三月三十日の午前七時。彼女に残された時間はあと二十九時間。
 そして協力者は俺を含めて四人――――それゆえに薗部佳歩は今俺の部屋にいるのである。
 昨日、春奈はなぜか中学校で機嫌を損ね、俺たちと一緒に小学校へ行くのを拒否した。卓弥の説得にも応じず、結局俺たちは春奈をおいて小学校へ行ったのだった。もっとも、そこでは中学校以上の大した成果を得ることはできなかったのだが……
 それはさておき、問題はその後である。特段、考えることなく薗部佳歩を家に連れて帰ったのだが、なんと春奈は彼女に対する協力を断っただけでなく、彼女を部屋に入れることまでも拒否しやがったのである。
 流石にこれには俺も堪忍袋の緒が切れたが、敵も然る者、強情なことこの上ない。
 結局、春奈の説得を諦めた俺は、彼女を部屋に入れることにした、というわけだ。
ちなみに彼女は自分は廊下でもどこでも構わないと言ったが、いくらなんでもそういうわけにはいかない、むしろベッドをお前が使って、俺が廊下に出るべきだとこちらは主張した。両者が譲歩しあった結果、ようは一日目と同じシチュエーションという解決で落ち着いた、なんて蛇足をつけ加えておく。
 さて、昨日はこれといった手がかりを集められなかったわけだが、今日はどうやって手がかりを探すことにしたかというと……
「リーサル・ウエポンの到着を待つってのは、他力本願もいいところだよなあ」

 午前中は、一応またほのかの家に集まって、軽く意見を出し合った。もちろんここにも春奈の姿は無い。なおかつ、これといった有益な意見が出ることもなかった。まあこの程度で答が出るなら苦労しない。それに皆、ある連絡が入るのを待っていたため、気もそぞろになっていたし、仕方がないことだろう。
 連絡が入ったのは、正午を回って暫くしてからだった。
 電話をとったほのかは軽く会話を交わし、すぐにこちらに戻ってきて告げた。
「今帰ってきたところだって。すぐこっちに来てくれるそうよ」
 俺たちは一様にホッとした表情になる。
「どなたか、こちらに来られるんですか?」
 不思議そうな表情で薗部佳歩が尋ねる。
 俺たちは顔を見合わせた。昨日の時点では他力本願であるがゆえの心苦しさから、彼女には何も伝えていないのである。とはいえここまで来れば隠しておくのもどうかと思う。皆を代表して、俺が答える。
「ああ、俺たちが知っている中でお前の姿を見ることができる、多分最後の一人、太田直之が来るんだ」
 直之は二日前から祖父の家にいっていたので、なかなかコンタクトがとれなかった。一応留守電にメッセージは残していたので、あいつならとりあえずは来てくれるだろうという思いはあった。だが、それなりに長時間の移動を終えた直後だから疲れていて来ないのではないか、という不安もあったわけで、結果としてそれは杞憂に終わったらしい。
 とにもかくにも、これで直之が薗部佳歩のことを覚えていてくれれば、それで万事解決と相成るはずなわけだけれど、さてそう上手くいくかどうか。仮に覚えていなかったとしても、どん詰まりになった現状に新しい意見を与えてくれれば、それだけで有意義だろうけれど。

 それから待つこと半時ほど、インターホンが鳴らされた。
 ほのかが玄関へと向かい、すぐに直之を連れて戻ってきた。
「皆、久しぶり、元気にしてたー?」
 いつものように明るい口調で、開口一番、直之はそう声をかけた。
「たったの二日なのに、相変わらず大げさな」
 苦笑交じりで卓弥が呟く。
「もちろんおいらたちは元気だよ。でも直之、そのスコップは?」
 そんな卓弥のツッコミを意に介せず、政史がそう尋ねる。確かに直之は、この場に似つかわしくないスコップを持参していた。
「え、何って、僕はてっきり今日……」
 言いかけた直之の視線がある一点へと引き寄せられる。そして直之の目が驚きで見開かれる。その視線の先にいたのは、やはりというかなんというか……薗部佳歩だった。
「直之、お前彼女に見覚えがあるのか?」
 返事がない。
「直之?」
「ん、あ、ああ、ごめん。僕は見覚えがないけれど、彼女がどうかしたの?」
 なんとなく違和感を覚える。直之のリアクションが、今までの誰とも微妙に違うような気がする。まだ何も、彼女が幽霊であることを示していない状態でこれだと、今までのように彼女が幽霊である証拠を見せたらどうなることだろう。
 少し不安に思ったが、話を進めるためには今までと同様のことをする必要があるだろう。
「とにかく直之、まあお前にも彼女の姿が見えるのは間違いないよな」
「彼女って……そこの鶴畑高校の制服を着てる子のことだよね? だったらそりゃあ見えるに決まってるけれど……見えないってことがあるの?」
 それだけ確認できれば十分だった。俺は薗部佳歩に合図を送り、いつものように手を机に通過させ、そして告げる。
「こいつの名前は薗部佳歩。見ての通り幽霊だ。ついては彼女のことで色々と協力してくれないか?」
「ま、まさかそんなことが……」
 やはり他の皆と同様に、直之の顔面も蒼白になる。だが……だがどうしてだろう。直之の驚き方は、他の誰とも違う気がする……
「直之、お前本当にこいつに見覚えはないんだよな?」
 俺がそう尋ねると、直之はハッと気を取り直して、
「うん、僕は今まで一度も彼女を見たことはない」
 そうキッパリと答えた。直之は嘘をつくようなやつじゃないから、ここまでキッパリと言い切るなら本当のことだろう。まあどうせ、直之が答を知っているなんて都合の良い展開にはあまり期待していなかったから、それはそれでよしとしよう。
「そうか、じゃあ今からこいつのことについて話すから、とりあえず荷物はそこら辺に置いて、よく聞いてくれ」
 薗部佳歩に関する説明も、今ではもう三回目。俺も慣れたもので、周りのフォローを受けつつ、比較的スムーズに説明をすることができた。
「そういうことだったんだね……もちろん僕も協力させてもらうよ」
 直之は予想通り、協力を快諾してくれた。
「ありがとうございます、太田さん」
 そう言って深々と薗部佳歩が頭を下げる。これで春奈が欠けているとはいえ、フルメンバーと言って差し支えない状態となったわけだ。
「じゃあ早速だけど直之、佳歩さんについて、あるいは悪魔の正体について知るためのいい案は何かない? 正直私たちはどん詰まりで」
 本当に早速、ほのかが尋ねる。
「うん、そのことなんだけど、光一、さっき僕に説明するときにメモとか見ることなく説明してたよね」
「え、あ、ああ」
「じゃあ、今まで分かってたことをメモにとったりはした?」
「いや、そういうことはしてないな……」
「じゃあまずはそこから始めようか。こういうことは案外、書き出してみると意外な発見があるものだよ。それにそうすれば、共有しきれてない情報に気づけたりするからね」
 直之の言うことはもっともだった。そこでほのかに何か書くものを頼もうとしたのだが、それを見て計ったかのように……というか多分、実際にタイミングを合わせたのだろうけれど、卓弥が紙とペンを手渡した。
「あ、ありがとう……ってこの紙は」
 卓弥の方を見ると、卓弥はそっぽを向いて知らん振りを決め込んでいた。
「……ま、いいか」
 その紙は、春奈が二日前に本当に少しだけ書き込みをしてそれっきりだったあの紙だった。幸いにも書き込むスペースは十分にあるし、まあよしとしよう。
「じゃあ最初は、とりあえず僕が今聞いた情報を整理して書いてみるね。で、足りないところがあったら、そこは説明不足ってことで、誰かが改めて説明してくれた上で書き足してくれればいいから」
 皆もそれに賛同する。確かにそれが一番効率のいい方法だろう。
 直之が手を加えたメモは次のような形に仕上がった。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
∧ルール∨
薗部佳歩は
・悪魔に大切な人の名前を言わせることで、蘇ることができる
・彼女のことを知っている人にしかその存在は知覚されない
・嘘をつくことができない
・悪魔、及び大切な人に直接言及するような質問に答えることはできない
・自分自身と他者の関係性についての質問に答えることはできない
制限時間は七十七時間、つまり三月三十一日の正午まで。それを過ぎると二度と蘇ることはできない。

●現時点で薗部佳歩を見ることができた人物
・薗部ほのか
・木山兄妹
・下川政史
・藤崎卓弥
・太田直之

●悪魔について
 薗部佳歩を殺した人物のことを指す。本当に悪魔であるわけではない。

●薗部佳歩の大切な人について
 名前が分かれば、薗部佳歩が蘇ることによる混乱が起きるわけがないことが分かるような名前。どこかの要人?

●今回の事件を引き起こした存在について
 神様が大枠を決め、神様の神様が詳細を決めて実行したらしい。詳細不明。

 調べなくてはならないこと
・誰が悪魔なのか
・佳歩さんの大切な人の名前は何なのか

 そのためにできること
・薗部佳歩と自分たちの関連性を探す→失敗
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「こんなところかな?」
 なるほど、なかなか上手く仕上がってるようだ。要点がキチンとおさえられている。
「一つ気になるのは、蘇るための条件だよね」
「悪魔に大切な人の名前を言わせるってやつか?」
「そうそう、どうして誰かの名前を告げるだけで、人が蘇ることができちゃうんだろうね」
「どうしてって……そういう『ルール』だからだろう?」
 俺がそう返事すると、直之は首を振った。
「違う違う、もっと根本的に、どうしてそんな『ルール』を作ったんだろうってこと。確かこの条件は、神様が決めた大枠を自動的に満たすことができる条件みたいなことを言ってたよね。最初に神様が大枠を決めたときから、まさかそんな条件だったのかなあ」
 返答に詰まる。そう言われてもパッとは浮かばない。
「ま、そこはそれでよしとするしかないかもね。で、分かってるのはこれだけ?」
「そうだな、俺たちが今分かっているのは、こんなものだろう」
「本当に?」
「え?」
 逆に問い返されてしまい、ちょっと焦る。
「このメモを見る限りだと、肝心な情報がいくつか欠けてるなって思うんだけど」
「肝心な情報って、具体的に何のこと?」
 ほのかが尋ねる。
「まずは、薗部佳歩に関する情報が足りてないよね」
「それは、だって『ルール』のせいで質問できないから……」
「質問はできなくても、自分たちで調べることはできるでしょ。図書館に行って新聞記事を調べるとか」
 うう……手厳しい。とか思っていたら、卓弥と政史が目配せをしている。何だろうかと思ったら、意外な発言が飛び出した。
「俺たちが調べた限りでは、市内でここ最近薗部佳歩という名前の少女が死亡した記録はない」
 卓弥の意外な発言に驚く。いつの間にそんなこと調べていたんだろうかという驚きと、なぜそのことを黙っていたのだろうかという驚きである。
「そう……じゃあ記事にはなっていないんだろうね」
「それはちょっと短絡じゃない? 彼女が鶴畑高校の生徒だからって、市内の生徒とは限らないわけだし、それにもしかしたらまだ行方不明の扱いかもしれないでしょう?」
「ん? ま、そういう可能性もあるね」
 ほのかの指摘に、やや歯切れ悪く返答する直之。いきなりさっきの鋭い指摘が霞んでしまう。
「よし、じゃあそれはそれとして、後一つ、どうして彼女は光一のところにやって来たの?」
「あ、それは言い忘れてたな。何でもここが一番悪魔に会いやすい場所だからだそうだ」
 俺の言葉を聞いて、直之が黙り込む。
「なんでもこれをゲームにたとえるなら、いきなりラストステージに現れるようなボーナスだろうってほのかが言っていたけれど、言ってることは分かるよな?」
「……やっぱり、そうなのか……」
 搾り出すように直之が呟いた。
「やっぱりって、何がやっぱりなの?」
 ほのかが尋ねる。
「彼女に与えられた制限時間は七十七時間、そして残された時間はもう一日を切ってるんだよね」
「そういうことになるねー」
 政史が直之の問いかけを受けて返事する。
「でも、今のところ、彼女の姿を見ることができた人物――つまり彼女のことを知ってる人ってのは僕たちだけなんだよね」
「そういうことになるな」
 今度は卓也が返事する。直之が何を言おうとしているのかはまだ分からない。でもなぜだろう……何か嫌な予感がする。
「それでいて彼女がここに現れた理由は、ここが悪魔に一番会いやすいところだからってのはおかしいと思わない? もう残り時間を随分消費しちゃってるのに、悪魔に会える気配すらないよね」
「それは確かに……おかしいと言えばおかしいかもしれないけれど……」
 ほのかが答える。
「だからここは発想を転換するべきじゃないかな」
「え?」
 俺が思わず問い返す、そして、直之は、告げる。

「そう、悪魔の正体が僕たちの知らない誰かって、無意識の考えが間違っているんだよ。悪魔は僕たちの中にいるって考えるのが無難だと思うんだけど、どうかな?」

テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学

悪魔に会うために 幕間 木山光一の与り知らぬ逸話 ―太田直之の場合―
幕間 木山光一の与り知らぬ逸話 ―太田直之の場合―

 薗部佳歩が現れてから三日目の夕方、図書館にて――


「ここにいらっしゃったんですか」
 声の方を振り向くと、そこに立っていたのは薗部佳歩だった。
 今僕たちは、図書館で過去の新聞を洗っている。まあ僕が言いだしっぺみたなものだし、あまり文句は言えないけれど、それでも絶対に成果が出ないと分かってる作業をするのはやはり辛い。それだけに薗部佳歩がわざわざ来てくれたのは嬉しかった。
 だからこそ、開口一番、こう告げる。
「まさかこんな風に君と会える日が来るとは思わなかったよ」
「やっぱり、太田さんは私のことを覚えていてくださったんですね」
 心底嬉しそうに彼女は笑った。
「まあね、僕の場合は他の皆とちょっと条件が違ったから」
 そう、僕の場合は他の皆よりもう少しだけ深く……そう、あいつの次くらいに彼女のことを知っていた。彼女に幼い恋心を抱いてしまうくらいに。
「それにしては、堂々と私のことを知らない、なんて言ってらっしゃいましたね」
「別に僕は嘘をついたわけじゃないよ、君のことを見覚えがないって言っただけだ」
 だからこそ彼女を最初に見たときは、あれほど驚いてしまった。そして彼女の名前を聞いて予感は確信に変わった。
「まあ、嘘をつかずに人を騙すなんて」
「それは君も一緒だろう?」
 僕の言葉に彼女はハッとした表情になる。
「そうですね、確かにそう言われても仕方がないかもしれませんね……」
「ま、仕方がないとは思うよ。君が求めてるのは過程であって結果じゃない。そのためには一足飛びに結果を導かせるわけにはいかないわけだから」
 ただこれほどヒントを出されながら、あいつは薗部佳歩のことを思い出せずにいる。このままではあと一日で結果まで至ることができるとは到底思えない。
「確かにその通りなんですけれど……やっぱり太田さんはそこまで見越して知らん振りしてくださっていたんですね」
 薗部佳歩が微笑む。この笑顔がもう明日には見られなくなるというのは非常に悔しくてならなかった。こうなってくると、祖父の家に行った二日間が無駄に思えてならない。この、俺たちによってのみ認識される、薗部佳歩というあまりにも希薄な存在とともにあれたはずの二日間が……
「あいつは……自分の幸せに気づいていないんだよな……自分がピグモンの恩恵をうけているって言う幸せに……」
「ピグモンの恩恵ですか?」
 彼女が問い返す。
「そ、ピグモンの恩恵」
 そうひとりごちて前置きしてから、告げる。
「あいつは今、ピグモンに最も遠い立場にいるくせに、ピグモンの恩恵をうけてるんだよ」

テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学

悪魔に会うために 第5章 A sad parting
 第五章 a sad parting

 時計を見る。現在時刻は三月三十一日の午前六時を回った辺り。もう四月は目の前だと言うのに、この時間でこの寒さはないだろう、と思えるくらいの寒さが身に染みる。
 眠れない夜を過ごすというのは正直初めてだった。薗部佳歩が蘇るために残された時間はあと六時間弱。それなのに俺たちは悪魔の正体はおろか、彼女の大切な人の名前すら分かっていない。その事実、そして昨日の直之の言葉が俺に安眠を与えてくれなかった。
 のっそりと起き上がり、床を見下ろす。寝袋に包まった三人――向かって右から順に藤崎卓弥、下川政史、太田直之――そして向かいの部屋にいる春奈とほのか、本当にこの中に薗部佳歩を殺した悪魔がいるというのだろうか。
 改めて考えるが、やはり納得できない。まず俺たちの誰かが人を殺すなんてどうしても考えられないし、第一、薗部佳歩の態度が全てを物語っている。彼女は俺たち皆と、普通に会話したり、行動したりしている。そこに自分を殺したものに対する気負いのようなものは感じられない。
 それでも気になるのは、あの時の彼女の表情だった。直之が言った、「悪魔は僕たちの中にいる」という言葉。それを聞いた彼女が見せた表情は、否定というよりはむしろ肯定に近い失望の表情に見えた。もちろん『ルール』に引っかかるので、その答が正しいかどうかは分からなかったわけだけれど。
 首を何度も振る。
 こうやって一人でスッキリしない頭で考えたって仕方がない。顔を洗ってせめて頭をスッキリさせよう。そう考えて皆を踏まないように注意しながら、俺は部屋を出たのだった。
 
 今、俺たちは皆で俺の家、つまり木山家に集結していた。結局あの後図書館でも有益な情報を得ることができなかった俺たちは、その場の思いつきで我が家に泊まることにしたのだった。それで男三人はともかく、ほのかまであっさり宿泊が許可されたのは、信頼の賜物と言ったところか。
 とにもかくにも、集結した俺たちだったが、その後もこれといった打開策が出ることはなく、ジリジリと時間だけが過ぎていった。本当ならこのメンバーで宿泊! なんてことになれば、もっと修学旅行的なノリになってもよかったのだろうが、メンバーの間に微妙に差した陰がそれを許さなかった。
 陰の正体は言うまでもない、昨日の直之の言葉、即ち「悪魔は僕たちの中にいる」である。
 皆、口には出さないものの、その言葉を少なからず気にしているのは明らかだった。少し会話が続いても、すぐにそれは途切れてしまう。
 結局、泊り込んだ割にはあまり有意義な話し合いもできぬままに、俺たちは床に着いた。
 顔を洗いながら考える。
 そういえば結局、春奈は薗部佳歩の入室を認めたのだろうか。昨夜は寝る前に何か騒いでるのが聞こえたが……まあ、今、廊下に誰もいなかったという結果から見れば、認めたということだろう。後でどうやって説得できたのか、ほのかあたりに聞いておきたいところだ。
 顔を洗い終え、二階の自分の部屋に戻る。三人ともまだ眠っていた。隣の部屋の方もこんなものだろう。
 起こすのも忍びないので、俺は皆が起きるまでの間、今の俺にできることをずっと考えていた。
 窓の向こうからは、いつのまにか降り出した雨の音が聞こえてきていた。

 結局、皆が起きだして朝食の席に着いたのは、八時になってからだった。
 今この場にいるのは、俺、薗部佳歩、卓弥、政史、直之、ほのか、そして――昨日あれだけ協力を渋った春奈だった。別に朝食のために渋々、というわけではないらしい。まあ確かに渋々といった表情が見えないでもないが、朝食をとり終えたのに席を立つ気配が無いということは、協力の意思があるとみていいだろう。
 このメンバーで残された時間は、あと四時間――
「皆、食べながらでいいから聞いてくれないか」
 皆の顔が一斉にこちらを向く。
「こうなったらもう、物量作戦で行くしかないと思う」
「物量作戦?」
 卓弥が疑問の声をあげる。
「ああ、とにかく皆で、片っ端から人の名前をあげていくんだよ」
 皆が呆気にとられた表情になる。
「まさか……とにかく人の名前をたくさん挙げて、その中のどれかが佳歩さんの大切な人の名前と一致するのに賭けようってわけ?」
 ほのかが呆れをにじませた口調でそう言った。
「ああ、そういうことだ」
「でも、光一、それ自分で言ってて分かってるー? それってつまり昨日直之が言っていたことを……」
「いや、俺が言いたいのはそういうことじゃないんだ」
 政史の言葉を遮る。確かに、昨日の直之の発言が大きなヒントになったことは間違いない。だが、決して俺は、俺たちの中に悪魔がいると認めたわけではない。
「覚えてるか、昨日直之が言っていたことを」
「だから、その……悪魔はおいらたちの中にいるーってセリフでしょ」
 言葉を濁しつつ、政史が答える。
「いや、俺が言いたいのはそっちじゃないんだ」
 皆の顔に疑問符が浮かぶ。
「ほら、言ってただろう、どうして神様の神様は薗部佳歩が蘇るための条件をこんなにへんてこにしたんだろうって、そうだったよな?」
「ん、ああ、そんなことも言ったね」
 直之の返事にコクリと頷く。最後のインパクトで薄れ気味なセリフではあったけれど、今の俺にとっては深い意味を持つ言葉だ。
「そう、そして直之はそれが、そもそも神様が決めた大枠に関係しているかもしれない、って言ったわけだけど、そこで俺は考えた。そうだとしたら、その大枠とやらは一体何なんだろうかって」
 はっきり言って、これは俺の希望的観測に過ぎない。それでも俺はその希望的観測にすがりつきたい。
「これはあくまで俺の仮説だけど、その大枠ってのは、とにかく誰でもいいから、彼女の大切な人の名前を、そうだと意識した上で告げることなんじゃないか?」
「ばっかじゃないの、そんなことあるわけないじゃない!」
 思いがけないところから反論が飛び出る。春奈だった。
「もし仮にこうい……お兄ちゃんの言うとおりだったとしたら、どうして悪魔を探す必要なんかあるの? 初めっから大切な人の名前だけ考えてもらった方がよっぽど効率がいいよ!」
 昨日までとは打って変わった熱意を、春奈からは感じられた。これは本当に後でほのかに説得の方法を聞かねばなるまい。
「それだったら説明できなくもない。その、薗部佳歩の大切な人の名前を知ってるのは、悪魔くらいなんだよ。だから一見遠回りに見えても、悪魔を探すという段階を踏むことが必要なんだ」
 こじつけと言われればそれまでだが、一応筋が通っている、と思う説だ。
「そこまで言うなら光一、そう思う根拠があるのか?」
 冷静に卓弥が切り返してくる。
「根拠は……はっきり言って、ない」
「ない、と来るとはねー」
 政史が苦笑気味に答える。
「でも、俺たちに残された手は他にもうないはずだ。その僅かな可能性に賭けてみてもいいとは思わないか」
 暫しの沈黙が降りる。
「光一がそこまで言うのならいいだろう、その手にのってみようじゃないか」
 沈黙を破ったのは意外にも卓弥だった。ありがとう、と礼を言いかけてよどむ。卓弥とまっすぐ視線が交錯したからだった。そして卓弥の視線は、俺の考えを見通していることをはっきりと伝えていた。
 ああ、分かっている、俺は卑怯者だ。口では皆を信用すると言いながらも、こうやって俺が出した案は、俺たちの中の誰かが悪魔であることを前提にしたとしても十分に成り立つ案である。むしろ、そちらこそが正式な前提であると言えるかもしれない。
 そう、結局は悪魔が答に当たりさえすればいいのだ。皆で名前を告げるのは、気休めと言ってしまってもいいだろう。もちろん俺の仮説が正しくて、悪魔でもなんでもない誰かが答を当てれば、それですむ、という可能性が完全に潰えたわけではない。だがその考え方は、なんの根拠もない妄想と言って切り捨てることが十分に可能だろう。
「一ついい?」
 ほのかが手をあげる。
「ああ、もちろん」
 何だろうかと怪訝に思いつつも、素直に了承する。
「つまり光一の案は、過程を捨ててでも結果を手に入れようとする案ってことよね」
「……まあそういう言い方もできると思うけれど……」
「それでいいの?」
「え?」
「だから、光一はそれでいいのかって聞いてるの。過程を一切求めずに、結果だけを求めるようなやり方で」
「……仕方がないだろう、この場合は。だってこの場合は、結果を出さなければもう取り返しがつかないんだぜ。確かに過程が大事なときもある、でも過程はともあれ、結果を出さなきゃいけないときもある。そして今がその時、だろう?」
 どちらかといえば俺も、普段は過程に価値を見出す傾向がある。だが今は、場合が場合だ。結果をださなければならないときなのだ。
「……そう、わかった、そういうことならいいわ、光一の案に乗ってみましょう」
 ほのかの言葉にホッとしつつも、気づく。ほのかの表情……そしてその横にいる春奈の表情が、今までみたこともないくらい沈鬱なことに。
 そしてもう一人、それと負けず劣らず沈鬱な表情をしていることに気づく。
 なぜだろう、それは今から形はどうあれ、核心に近づくはずの薗部佳歩だった。

 俺たちは場所を二階の俺の部屋に移して、片っ端から人の名前をあげていく、という不毛な作業を開始した。
 やってみてわかったが、これは想像以上にしんどい作業だった。何せ手がかりらしい手がかりといえば、その名を聞けば、薗部佳歩が蘇っても混乱が起きるわけがないと分かる名前だと言うことだけ。自分の出す名前が答に近いのか、遠いのか、その手応えさえないというのはいささか辛い。
 最初に俺たちがあげつらねたのは、今を席巻する、名だたる要人たちの名前だった。わざわざインターネットのニュースサイトを回って、片っ端から名前を挙げていく。だが、答に辿りつく気配は全く見えない。
 彼女の大切な人が、何も日本人とは限らない、ということになって、自然と日本に限定されていた枠が世界へと広がる。
 それだけ手間も増えたが、やはり答には至らない。
 そして次第に俺たちの出す名前は、時代を遡っていく。
 ここまで来れば、もはや彼女の大切な人としての現実性は失われていた。それでもそんなことお構いなしに、俺たちはただひたすらに人の名前を挙げていく。
 歴代首相の名前は全て挙げた。
 戦国時代の武将の名前もほとんど挙げた。
 だが答には結びつかない。
 有史以来の世界史に登場する名前を丸ごと挙げた。
 神話や伝説に登場する架空の人物の名前も知りうる限り挙げつくした。
 それでも答は出なかった。
 そんなことをしている間にも、当然刻一刻と時間は過ぎてゆき――そして、その時が訪れようとしていた。

「次は、ヤマトタケルノミコト、それから――」
「光一」
 政史に呼び止められ、作業を遮られる。
「なんだ? もしかして、何か心当たりが?」
 期待をこめて俺が尋ねると、政史はゆっくりと首を振った。
「そうじゃない、もう無理なんじゃないかな」
「馬鹿、そんなこと言う前にとにかく名前を挙げるんだ、こんな話をしてる時間は――」
 言いつつ時計を見て、愕然とする。時計は十一時五十分を指していた。俺たちに残された時間は――もはやたったの十分しかない。
 慌てて周りを見回すと、皆、既にぐったりしており、黙って視線をこちらに向けている。
「ど、どうしたんだよ皆、もうあまり時間はないんだぞ。早く……早く名前を……」
「駄目だよ、こんな方法じゃ、いつまで経っても答は見つからない」
 妙に冷めた口調で、春奈に言われる。
「な、何言ってるんだよ、まだ俺たちが挙げてない名前がきっとあるはずだ。……そうだ、最近の歌手なんかはどうだ。その人にとってどうかはともかく、それが薗部佳歩にとって大切な人の名前って可能性も……」
「どちらにせよ……無理だ。時間が足りなさすぎる」
 春奈以上に冷めた、もう冷酷と言っても過言ではないほどの口調で卓弥が断定する。
「で、でもそれじゃあ……」
「もういいんです」
 声の方に、皆の視線が自然と集まる。そこにいたのは――
「もう、いいんです。私は十分皆さんに良くしていただきました」
 紛れもなく薗部佳歩で――ああ、それ以上は言わないでくれ――
「これ以上多くは望みません」
 お前がそんなことを言ってしまったら――
「私の最後のわがままです。皆さんの時間を十分間、私にいただけませんか?」
 薗部佳歩がそう言い終えるのと、俺が力なくうなだれたのはほぼ同時のことだった。

「まずは……春奈さんとほのかさん」
 そう言って薗部佳歩が春奈とほのかがいる方へ相対する。どうやら、皆に向かってそれぞれ最後の言葉をかけようということらしい。
「お二人には本当に謝らなくてはいけませんね。私がこんなところに現れたばっかりに、余計な混乱を巻き起こしてしまって……」
「そのことなら、別にもういいのに……」
 春奈が呟く。
「でも、こう言ってはなんですけれど、昨夜は修学旅行みたいで、本当に楽しかった……ここに今いる自分の幸せを噛みしめられるくらいに――自分の置かれてる立場を忘れてしまいそうになるくらいに」
 気づけば、春奈もほのかも涙ぐんでいた。佳歩の話は続く。
「それでも私は私であることを忘れられなかった。それは本当に申し訳ないと思っています。それでも――それでも最後だけはこう呼ばせてください」
 そこで一息ついてから佳歩は告げた。
「春奈ちゃん、ほのかちゃん」
 二人の瞳から涙がこぼれる。春奈はただ泣きじゃくるばかりだったけれど、ほのかは薗部佳歩を抱きしめようとして――そこでそれができないことを思い出すと、上げた手を下ろしてからただ一言、告げた。
「こちらこそ、楽しかったよ、佳歩ちゃん」
 それを聞くと、佳歩は嗚咽とともに涙を流しながら、大きく頷いた。彼女のほほを伝う涙は、床に落ちることなく霧散する。それに一抹の寂しさを覚えるのは、俺だけだろうか。
 少しの間を置いて、涙を拭うと、次に薗部佳歩は、卓弥と政史に相対する。
「お次は……卓弥さんと政史さん」
 決然とした表情で、彼女が告げる。
「お二人には、別の意味で感謝しなくてはなりませんね。何せ私の秘密に気づきながら、それとなく隠していただいたのですから」
 二人は驚きの表情を見せる。
 それに負けず劣らず驚いて、薗部佳歩の秘密とは何なのかを問いただそうと立ち上がりかけた俺を、直之が手で制す。確かに彼女の秘密も気になるが、今はそれを問いただすべき時間ではないだろう。俺は彼女に十分間を預けたのだから。
 俺は黙って頷き、直之に従い話の続きを聞く。
「それでも私のことを思い出していただけなかったのは残念ですが……そこまで望むのは高望みと言うものでしょうね」
 自嘲気味にそう呟く。だがその表情は、どこか吹っ切れた様子が見てとれる表情とも言えた。
「はっきり言って、お二人の目指す道は険しいでしょうけれど、頑張ってくださいね。特に卓弥さんは、一昨日相当いいところまで行ったんですから。私も草葉の陰から応援しています」
「なんで知ってるんだ……」
 苦々しげに卓弥が呟く。政史の表情も苦々しさではどっこいどっこいだ。
 結局、二人の話にしてもいまいち掴めないところはあったが、後でゆっくり問いただすことにしよう。
 次に彼女が向き合ったのは、直之だった。
「そして……直之さん」
 向き合う直之の表情は、どこか穏やかだった。
「欲を言えば、直之さんとはもっと早くにお会いしたかった」
「僕も心からそう思うよ」
 昨日から印象に残ることばかり言っているから忘れかけていたが、直之が薗部佳歩と出会ったのはまだ昨日のことだ。今の俺にはそれがひどく勿体無いことのように思えた。
「結局、あまりお二人でお話しする時間はありませんでしたけれど、それでも……それでも直之さんのおっしゃってくださったことは、やっぱり法外に嬉しかったです。ただ、最後に一つだけ――」
 そこまで言うと、薗部佳歩は体をそっと前に傾け、直之の耳元に口を寄せると、ボソボソと何か囁いた。それを聞くと、直之は、
「え? そうだったの!」
 と素っ頓狂な声をあげ、彼女はそれに対し、
「はい、昨夜聞いたところによるとそのようです」
 クックと鳩のように笑いながらそう告げた。直之の焦る姿は、子供の頃から変わらない見慣れたものだったが、それゆえにどこかしら安堵感を抱けるものだった。
 それにしても、今のところ一人の例外もなく、薗部佳歩に関して何か秘密を隠している、という事実は、少し寂しく思えてしまうことだった。
 だが、哀愁に浸る暇は無かった。薗部佳歩が俺に向き合う。
「最後は……光一さんですね」
 そして、別れの刻が、一歩近づく。

 こうやって真正面に向き合うのは、最初の日くらいだった気がする。
 改めて薗部佳歩……いや、佳歩を観察する。
 外見年齢は、十八歳前後。おそらく俺たちと同じか、少し下くらいだろう。そういえば結局、彼女の実年齢を俺たちは知ることができなかったわけだ。
 髪はショートカットにしていて、チャームポイントであろう瞳を埋没させることなく、その切れ目からしっかり見せてくれている。
そのチャームポイントたる瞳はと言えば、一言できれいなだと片付けるには勿体無い。凛々しさも兼ね備えたその瞳を一言で表現するならば、まさに「美麗」が相応しいだろう。長すぎず短すぎないまつ毛も、そんな彼女の瞳に丁度いいアクセントとなっている。
顔立ちの、それ以外のところも忘れてはならない。整った鼻筋に、全体的に小さめの顔にフィットした小さめの唇と、どこをとっても文句のつけようがない。
 結局のところ、最初に見たときとそう印象が変わっているわけではない。我ながら、焦りながらもそれなりに観察はしていたんだなあと感心してしまう。
「そんなにじっくり見ないでください」
 気のせいか僅かにほほを紅く染めながら、佳歩が呟く。
「ああ、ごめんごめん」
 だってこれが見納めになるかもしれないじゃないか、とは言えなかった。
「光一さんは、見知らぬ私なんかのために本当に尽力してくださって……本当に感謝しても感謝しきれ……」
 言いかけて佳歩が――そして俺を含めた皆が気づく。
 佳歩の姿が、少しずつ透明になり始めていた。慌てて時計を見る。我が家の電波時計は、十一時五十九分を指していた。
「どうして! まだ一分あるのに!」
 俺の悲痛な叫びをものともせずに、淡々と薗部佳歩は呟く。
「……ああ、どうやら時間とともにいきなり消えてしまうわけではなくて、制限時間に向けて少しずつ消えていくみたいですね。心の準備ができて、いいかもしれません」
 最後の方は、自分に言い聞かせるためであろうか、随分と小さな呟きであった。
 だが佳歩に自分の消失を受け入れる準備ができていても、俺にはまだそんな準備はできていない。むしろ、突如目に見える形で現れた、彼女が消えるという事実は、俺の心を意味もなく焦らせる。
「失敗しちゃいましたね、まさか好きなものは最後に食べる性格が、こんなときに裏目に出ちゃうなんて」
 そんな彼女の呟きを聞いたとき、不意に俺は、この中で誰より彼女の喪失を悲しむのは、自分ではないだろうかと思えた。それには何の根拠もない。さっきのような下心もない。
 だからこそだろう。その時俺は、まだ告げてない名前の存在に気が付いた。
 我ながら馬鹿な考えだと思う。でも、やってみなくては気がすまない――そんな風に思える名前だった。
 だからこそ、告げる。

「木山光一」

 佳歩が俺の言葉を聞いて、呆気にとられた表情になる。構わず俺は続ける。

「俺は悪魔でもなんでもない、ただ君に巻きこまれただけの存在だけれど、それでも――それでも君の大切な人が俺で、その名を告げれば君が救われる、なんて馬鹿な考えが通用してくれたりはしないだろうか」

 言ってしまってから気づく。自分が相当恥ずかしいことを言っていたということに。慌てて今言ったことを取り消そうとして佳歩の顔を見て――俺は息を呑んだ。
 佳歩の表情は、とても不思議なものだった。強いて言うなら、嬉しさと切なさが等しく混在している――そんな不思議な表情だった。
 そんな表情のまま、何か言おうとした佳歩だったが、チラリと時計を見て諦めたように口を閉じる。そしておそらく代わりに、ということであろう。
「最後に、一つだけ言わせてください」
 こう前置きしてから、告げた。

「ダメですよ、神様が私なんかにそんなことを言っちゃ。それとこれとを勘違いしないようにしてください」

 そう言って、大輪の向日葵のような笑顔になる。それは、とても間もなく消えてしまう人が見せる笑顔だとは思えなかった。
 そしてそれが、正真正銘佳歩の最後の言葉だった。
 佳歩はこの四日間で最高の笑顔を俺たちに見せると

 消えた。

 完全に、きれいさっぱり、跡形もなく。

 *

 俺たち、特に俺は呆然としていた。
 佳歩を失った喪失感と、最後に佳歩が見せた笑顔と、最後の佳歩の言葉で受けた混乱と――それらがごちゃ混ぜになって、今まで経験したことのない形の感情に仕上がる。
 改めて、最後の佳歩の言葉が反芻される。

『ダメですよ、神様が私なんかにそんなことを言っちゃ。それとこれとを勘違いしないようにしてください』

 最後の最後で時間がなかったとはいえ、佳歩の言わんとするところは全く分からなかった。なんと言っても最大の疑問は、佳歩が俺のことを神様と呼んだことだった。
 まさかあのタイミングで、俺のことを誰かと間違えたということはないはずだ。だがそれにしたって、一体どういう意味なんだ――
 とにかく頭の中がグチャグチャだった。そんな状態に沈黙は都合がよかった。
 多分皆にとってもそうだろうと思っていたのだが、少なくとも一人にとってはそうでなかったらしい。
 唐突に、沈黙は破られた。

「それじゃあ、行こうか」

 声の方を向く。そこにいたのは――直之だった。
「……行くって、どこへ?」
 無視することもできずに、思わず問い返す。そして直之は、とんでもない一言を、告げる。

「決まってるでしょ、僕たちの知ってる薗部佳歩に会いに、だよ」

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幕間 木山光一の与り知らぬ逸話 ―薗部ほのかの場合―
 幕間 木山光一の与り知らぬ逸話 ―薗部ほのかの場合―

 薗部佳歩が消える前夜、木山春奈の部屋にて――


「だからあたしは、どうしてほのかさんがそんなに余裕でいられるのかが分からないの!」
 長い時間をかけて春奈ちゃんと話し続けた結果、やっと核心に至った感触を掴む。
「あたしは、あたしは……ほのかさんなら、ほのかさんになら光一を渡してもいいって、やっと、やっとそう思えるようになったのに」
 でもその核心は、泣きながら訴える春奈ちゃんの表情からも分かるように――
「……あたしね……最近知ったけど、養子らしいんだ」
 私が軽々しく聞くのははばかられるような話だった。確かに春奈ちゃんは光一より背が高いし、他にもいくつか心当たりがないわけではない。それでも幼なじみの兄妹が実は義兄妹だったというのは、少なからずショッキングな事実だった。
「……春奈ちゃん、そのことを光一は?」
「……知らないはず、お父さんもお母さんも……教えてないって言ってたから」
 ぐずりながら、春奈ちゃんが答える。
「そっか……それで、そのことがどうして佳歩さんに辛く当たることに繋がるの?」
「分かってるくせに!」
「そうね、なんとなく分かってる気がするわ。それでも私は、春奈ちゃんの口から直接聞きたいの」
 さっきまでの話を総合すれば、答は自ずと見えてくる。けれども我ながら意地が悪いと思いながら、私はあえて、春奈ちゃんが答を直接出すように求めた。
「だから……あたしは、お兄ちゃんのことが……ううん、光一のことが……好きなのよ! それなのに……」
 チラリと視線を、部屋の隅にいる佳歩さんに送る。
「昔からずっと一緒だったほのかさんならともかく、パッと現れた見知らぬ女に、光一をとられたくなんかないの!」
 そこまで言い終えると、肩で息をしながら春奈ちゃんは黙り込んだ。
 やっぱりというか、なんというか、私の昔からの見たては正しかったと言うべきか――そんなことを考えながら、そっと春奈ちゃんの頭をなでてやる。
「なんだ、それで光一が私じゃなくて、佳歩さんにとられるんじゃないかって焦ってたわけだ」
「そ、そうだよ、ほのかさんは光一のこと好きじゃないの?」
「好きよ、当たり前じゃない?」
 サラリと答えてやると、春奈ちゃんはめんくらった表情になった。
「あら、そんなに驚くことないじゃない。多分、光一以外は皆気づいていると思うんだけど」
「え、あ、そ、そうだよね……でもじゃあなんでそんなに余裕なの? 敵に塩を送るようなことまでして」
 私のペースに完全にはまって、さっきまでの毒気がすっかり抜かれている様があまりに可愛くて、クックと笑ってしまう。
「な、何よお、笑うことないじゃない」
「ごめんなさい。でもね、私が焦らないのは、光一が多分、まだ暫くは恋愛感情だとかに気づけないだろうなって思うからなのよ」
「……そうなの?」
「ええ、だからこそ私はこうやって何年も待ってるじゃない」
「……でも、光一の佳歩さんを見る目……ただの見知らぬ人を見る目じゃないよ! 何か愛しい人を見るような……そんな目なんだよ! それでいて、ほのかさんに送る視線とはちょっと違っていて……とにかく、あんな視線を光一が誰かに送るところ、あたし、見たことがない」
 ようやく春奈ちゃんが無意味に焦っている理由に得心がいった。まあこういうのって、なかなか自分では……ね。
「私は……見たことがあるよ」
「え?」
「だから私は、あんな視線を光一が送るところ、見たことがあるんだってば」
「一体誰に?」
 キョトンとする春奈ちゃんを指差してやる。
「あたし?」
「そう、だから私からすれば見慣れたものよ。光一のあの視線は」
「……それってどういうことなの?」
「うーん、つまりどうしてかは知らないけれど、光一は佳歩さんのことを、家族みたいな位置づけでとらえてるんじゃないかしら」
 春奈ちゃんの顔が、喜んでいいのか、悲しんでいいのか、という感情の機微を見事にあらわしたものとなる。
「で、でも……それでも万が一……」
「私を誰だと思ってるの? 薗部ほのかよ。これでも光一を狙ってきた時間は誰よりも長いんだから、光一の観察なら任せなさない! それにいざって時は、佳歩さんだろうと春奈ちゃんだろうと、押しのけてでも奪い取って見せるわよ」
 今や春奈ちゃんは、完全に私に気圧されていた。こんなことでは、まだまだ私のライバル足り得ない。
「わ、分かった……それじゃあほのかさんの余裕の意味は理解できたよ。でも、それでもほのかさんが積極的に佳歩さんのことを助ける必要はないんじゃないの? もし本当に蘇っちゃったら、ライバルが一人増えることになるんだよ?」
 その質問は、正直答えにくいところではある。なんとなく心の中のどこかで、彼女を助けなきゃいけないと思うのが理由ではいけないだろうか。
「だからそれは……」
「お取り込み中のところ、申し訳ありません」
 不意にさっきまで傍観していた佳歩さんが話に割り込んでくる。
「何か用事?」
 ぶっきらぼうに春奈ちゃんが答えた。
「いえ、先ほどから私が蘇った後のことを危惧されてるようですから、一つお知らせしようと思いまして――」
「何よ、余計なお世話よ!」
「そうかもしれませんね、でも言わせてください。私が蘇った暁には、私はみなさんとこのような形で会うことはできなくなります」
 私も春奈ちゃんも絶句する。
「ば、馬鹿なこといわないでよ。そんな話信じるわけないじゃない。それに知ってるのよ。あなた、鶴畑高校の生徒だってのも嘘なんでしょう? 最近の入学者名簿の中にあなたの名前がないってことは調査済みなんだから!」
 私は更なる驚きで声も出ない。
「ああ、それは当然ですよ。それをご存知でしたら話は早いですね」
 一呼吸置いて、彼女は告げる。

「なんせ私が鶴畑高校に入学したのは二○九八年のことですから」

 その一言と、私の思い出が結びつく。
「だから、こう言ってはなんですけれど、ある意味悪魔さんには感謝しているんですよ、こんなことでもなければ、私はお二人を含めて、皆さんにお会いすることすらできなかったわけですから」
 そう言って微笑む彼女の言葉に、きっと嘘はない。
「……嘘、そんなことあるわけ……だって今はまだ二十一世紀になってから、十年も経ってないのよ。二○九八年って、今から何年後の話よ?」
 言葉が出ない。それは春奈ちゃんのように事態を理解できないからではなく――
「そういった尺度で計るのがナンセンスです、でもあえて言うならば」
「六年前、よね?」
 佳歩さんが驚いた表情でこっちを見る。けれどもそれはすぐに、満面の笑みに取って代わる。
「思い出していただけたんですね!」
 体中の震えが止まらない。そんなことあるはずないと否定する自分がいるのは確かだけれど、でもそうとしか考えられない。
「……ええ、全部分かったわ、悪魔の正体も、あなたの大切な人の名前も、ね」
 分かったからこそ思わずにいられない。

 ――どうして……どうしてあなたは思い出してあげられないの? と。

 そしてそんな思いを抱きつつ、私は、悪魔の名を、告げた。

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第6章 Devil’s name
 第六章 Devil’s name

 直之の先導に従い、俺たちは黙って歩いていく。シトシトと降る雨が煩わしい。
 直之はなぜかスコップを持っていた。俺たちの進行方向からすると、今、向かっているのは東谷中学校だろうとあたりはつくが、スコップの使用目的はピンと来ない。
 ――だがそれは、どうやら皆が皆、というわけでもないようだ。
 表情から察するに、春奈とほのかは、今から何をするのか、はっきりと自覚しているらしい。
「直之、そろそろ教えてくれてもいいだろう? 俺たちは今から、どこで何をしようっていうんだ?」
 自分だけが置いてけぼりのような……そんな気分と、早く答を知りたいという思いがモヤモヤした形になって、それが言葉となって発露する。
 そうやって破られた沈黙だったのに、直之が何も返事をしなかったばかりに、再び沈黙が訪れる。その空気に耐えられず、再び言葉を発する。
「直之! 返事くらいしてくれたって――」
「一つ、先に言っておかなきゃいけないことがある」
 俺の言葉を遮って、直之が唐突に切り出した。そのことに文句を言おうとも思ったが、歩きながらこちらを振り向いた直之の視線に射すくめられて、何も言えなくなる。
「昨日の話の中でね、僕は一番大切なことを黙っていたんだ」
 そこまで言うと、直之は何かを躊躇するような仕草を見せた。ここまで来れば、誰に遠慮する必要もない、そう思った俺は、
「続けてくれ」
 と先を促した。そんな俺を見てコクリと頷くと、直之は先を続けた。
「薗部佳歩は僕たちのところに現れた理由を、ここが一番悪魔に会いやすいところだからって答えた。それをほのかは、いきなりラストステージに現れるようなボーナスって言っていたけれど、それって微妙に間違っていると思うんだよね」
 言いながら傘を横にして、空を見上げる。いつのまにか雨は止んでいたらしく、直之は傘をたたむ。俺たちもそれに倣う。
「もしね、薗部佳歩が、ここに来たのは悪魔に自分の大切な人の名前を一番言わせやすいところだから、って言えば、その表現は正しいと思う。でも薗部佳歩は実際には、悪魔に会いやすいからここに現れたって言ってるんだよ」
 いつの間にか、一昨日も上った階段の前まで来ていた。だが、今、俺の体には一昨日とは明らかに異なる変化があった。
 心臓が早鐘のように鼓動している。
 なぜだ? まだ階段を一段も上ってないうちから、どうしてこんな……
「だからね、似たような比喩を使うなら、薗部佳歩はラストステージにいきなり現れたわけじゃないんだよ。もっと的確な表現を使うなら、薗部佳歩はラスボスの前にいきなり現れたんだ」
 そして俺は悟る。この心臓の鼓動は、一種の警告だったことを。
 俺が受け止めるべき真実の重さを伝えるものだったことを。

「分かる、光一? つまり薗部佳歩は僕たちのところに現れたわけじゃない、悪魔たる君のところに現れたんだよ」

「へ?」
 間抜けな声をあげて立ち止まる。何を言ってるんだ? 佳歩は俺のことを神様と呼び、今度は直之が俺のことを悪魔呼ばわり。冗談がきついぜ、まったく。
 そう心の中で呟きつつも、それが気休めに過ぎないことはわかりきっていた。
 ほのかも春奈も、その表情はそれが真実であると肯定していたし、何よりますます早くなっていく心臓の鼓動が、心の奥底のどこかにいる俺の声となって伝える。

――悪魔とは木山光一、お前のことだ――

 と。
「もっと分かりやすく言った方がいいかな? つまり薗部佳歩はどこでもドアを使ったって思えばいいんだよ。君が薗部佳歩なら、あてになるかならないか分からない協力者のところに行くくらいなら、真っ先に悪魔のところに行くと思わない?」
 それは……確かに正論だった。こと、薗部佳歩の場合、制限時間より前に消滅するような条件は設けられていない。つまりいきなり悪魔の前に現れても、何ら不利益はないのだ。制限時間内に名前を言わせるためには、なるだけ早く悪魔の前に現れた方が良いに決まっている。
 でも……
「でも……俺はあいつを……いや、それどころか人一人殺したことなんてない! それなのにどうして俺が……」
 いくら心の中で、自分自身が悪魔であることを認めていようとも、理性がそれを拒否する。そう、俺は……俺は人を殺したことなんて、断じてない!
「全て分かるさ、あの場所で、また薗部佳歩に会うことで」
 そう言ってこちらを見つめる直之の瞳はどこか憂いを帯びていた。

 *

 階段を上り始めたので、てっきり目的地は東谷中学校かと思ったのだが、そうではなかった。
 途中でフェンスの切れ目を見つけると、直之はそこに体を滑り込ませていく。その光景は、俺に忘れていた何かを思い起こさせるものだった。佳歩を見たときに感じたような、曖昧な感覚ではなく、もっとはっきりした、間違いなく経験した何かを――
「昔はもっと楽に抜けられたのにな……」
 そんなことを言ってから抜けきると、直之は山の中に一歩入ってから俺たちを待つ。
 俺たちも直之に続いてそこを苦労して抜ける。特に背の高い卓弥や春奈は苦労しているようだった。結局、卓弥は諦めて、フェンスを乗り越えることにした。忍び返しもないので、そこまで危なくもない。
 俺たちが抜け切ったのを見届けると、直之はまた歩き出した。雨が止んだとはいえ空はまだ薄暗く、ただでさえそんなに明るくない山の中は、不気味な暗さを宿している。
 だがそれでも、現状を把握しきれていない俺にさえ、なんとなく目的地の見当がつき始めていた。

 今俺たちが向かっているのは、秘密基地だ。

 その秘密基地を見つけたのは、ちょっとした好奇心の賜物だった。
 当時小学生の――確か六年生だった俺たちは、東谷中学校を見学に行った帰りに、そのフェンスの隙間を見つけた。
 無理すれば大人でも通れるだろうけれど、子供なら無理せずに通れるその隙間に好奇心を刺激された俺たちは、迷わずその先へと進んだ。
 とはいえ現実はそう甘くなくて、道に迷った俺たちは、その辺をさ迷い歩く羽目になったのだった。
 だが今になってみれば、それも無駄ではなかったといえる。なぜならそれにもめげず、歩き続けた俺たちは、その秘密基地を見つけることができたのだから。
 そう、そこを曲がれば――

 一本だけぽつねんと咲いた桜が、俺たちを出迎えてくれる。
「ここまで来れば、もう分かるよね」
 直之が立ち止まり、振り返る。
「……ああ、なんとなく心当たりはついた、かな」
 ……本当に俺は馬鹿だ。どうしてこんな大事なことを忘れていたんだろう。
 そんな俺の様子を見ると、直之は桜の木を仰ぎ、そして後ろを見て、かつて秘密基地があったところを振り返る。
 そう、俺たちが見つけた秘密基地は、元は小さな防空壕だった。誰からも忘れ去られていたそこに、俺たちは暫しの間、秘密基地としての役割を与えた。学校から帰ってくると、ちょっと遠出してはここに来て、秘密基地にいる自分たちという存在に酔いしれていた。
 具体的にどれくらいの期間だったかは覚えていない。でも、それほど長い時間ではなかった気がする。ある日いつものように秘密基地へ向かうと、そこには何人かの大人がいた。
 大人たちは俺たちを見咎めると、言った。

――子供がこんなところに来るもんじゃない。もっと安全なところで遊びなさい――

 今ならその言葉が分からないでもない。確かにその元防空壕は、誰も手をつけずにほったらかしにされていて、お世辞にも子供の遊び場として安全なところではなかった。俺の記憶が正しければ、確かその頃市内のどこかで、防空壕を遊び場にしていた中学生が事故死する事件が起きていた。その関係で、忘れ去られていた防空壕が日の目を見ることになったのだろう。二度と間違っても、日の目を見ることがないように。
 だが当時の俺たちには、それが大人たちの理不尽な言い分にしか聞こえず、憤りを感じたことを覚えている。
 とにかく翌日、改めてそこに行ってみると、俺たちの秘密基地は入り口を塞がれ、完全になくなってしまっていた。悲嘆にくれる俺たちの中で、誰がそれを言い出したのかは覚えていない。だが、確かに誰かが言った。

 タイムカプセルを埋めよう、と。

 直之は桜の木と、かつての秘密基地の中間くらいに立って、穴を掘り始めた。スコップが一つしかないので、始めのうちは直之一人で穴を掘っていたが、途中で卓弥や政史に交替しながら、穴を掘り続ける。
 タイムマシンを開ける日は、俺たちの誰かがこの地を去るときと決めていた。俺と直之が上京する、この春休みが正にそのときだったわけだ。
 今になって思うと、三日前にほのかが俺の予定を確認したのはこのためだったのだろう。そして昨日、直之がスコップを持ってきたのは、直之が召集の理由をタイムカプセルの開封にあると思ったからだ。
 そう、思い出すきっかけはいくらでもあった。思い出せなかったのはひとえに俺の責任だ。
 ぼんやりとそんなことを考えている間にも、穴はどんどん深くなっていく。だが、子供の頃の俺たちの努力はなかなかのものらしく、なかなかそれに行き当たらない。おかげで俺にまで、穴を掘る番が回ってきてくれた。
 政史からスコップを受け取ると、俺は黙々と穴を掘り始めた。穴を掘りながら、一つずつ思い出してく。
 この四日間の出来事を、佳歩の言葉一つひとつを。

『俺は……お前と会ったことがあるのか?』
『いえ、ありませんよ』

 あるはずがない、俺とあいつが出会うなんて奇跡が、二度も起こるはずがない。

『お前はほのかの親戚か何かなのか?』
『いえ、親戚……というわけではありませんね。無関係というわけでもないですけれど』

 確かに親戚と言うわけではない。そして無関係でもない。何せ薗部佳歩という名前は、薗部ほのかからとった名前――ほのかの「ほ」と「か」に適当な漢字をつけたもの――なのだから。

『春奈さんって、光一さんのお姉さんだったんですね』

 あの時は、久々のショックのせいで気が回らなかったが、佳歩は木山春奈という名前を知りながら、それが俺の妹だということを知らなかった。今ならその理由にも心当たりがある。

『ただ、今の私が家族の下に戻ることができないってことだけはお伝えしておきます』

 戻れるはずもない。なんせ彼女の家族は、いや、それどころから彼女の知り合い全てはこの世界に存在しない。

『私の大切な人の名前が分かれば、その理由もお分かりになると思いますよ』

 佳歩が蘇った後の混乱をどうするのか、と聞いたときの返事がこうだった。なるほど、今になってみれば確かに、混乱が起きるわけがないと断言できる。何せ佳歩は、そもそも死ななかったことになるのだから。
 そして――

『ダメですよ、神様が私なんかにそんなことを言っちゃ』

 カツン、とスコップの先が何か固いものに当たる音が聞こえる。
 穴を掘るのをやめ、慎重に土を払う。
 地面の下から出てきた直方体のブリキ缶を取り出し、箱を開ける。中に入っているのは、たくさんの紙。その大部分を占める、数十枚の原稿用紙を取り出す。
 表紙には大きく、

『魔法世紀』 木山光一著

と書かれている。
俺たちがタイムカプセルに入れることにしたのは、未来への自分たちの手紙だった。皆は素直に手紙を書いたわけだけれど、ひねくれていた俺は、当時書いていた小説をそのまま入れたのだ。未来の自分が、これを越える作品を書いていることを信じて――
 そしてそれがこの『魔法世紀』。
科学ではなく、魔法が発達した未来の世界を舞台に繰り広げられる物語。
 黙って何枚か、原稿用紙をめくる。該当箇所はすぐに現れた。

『薗部佳歩(そのべかほ)がつっこむ。魔法が使えるようになっているとはいえ、別に気配を消すことができるわけではない。ただ単に、気づくのが遅いだけのことである。
 彼女のショートカットと、キリリとした瞳からは彼女の持つ意志の強さがにじみ出ている。ぱっと見ボーイッシュな印象を受けるが、髪をのばせばおそらくそのような印象も消えて、もっともてるようになるだろう』

 そう、この作品のヒロインの名は薗部佳歩。
 薗部佳歩というキャラクターを生み出した点から見れば、確かに俺は佳歩にとっての神様であった。
 と同時に、俺は作中で、佳歩を殺した。その点から見れば、俺は間違いなく悪魔だった。
 最後の佳歩の言葉が、改めて浮かぶ。

『ダメですよ、神様が物語の登場人物(わたし)なんかにそんなことを言っちゃ』

 佳歩の言葉の真意を悟った俺は、原稿用紙の束を胸に抱き、心の中でひたすらに謝り続ける。

――忘れていてごめん、思い出してやれなくてごめん――

 かつて、自分が生み出し、そして殺したキャラクター、薗部佳歩に向かって、何度も、何度も、いつまでも。いつのまにかに流していた涙を、拭うこともせずに。

 どれくらいの間、そうしていただろう。やがて、上のほうから声が聞こえてきた。
「光一、そろそろいい?」
 声をかけてきたのは、ほのかだった。その言葉で、我に返る。
「ああ、ありがとう」
 タイムカプセルという名のブリキ缶を手に取り、穴から出る。俺はタイムカプセルの中身を、それぞれに手渡す。皆は俺のような原稿用紙の束ではなく、それぞれ封筒が一通入っているだけである。
 皆に手紙を渡し終えると、俺は改めて、かつての自分が書いたあとがきを読む。

『まずはこの作品を読んでくれたとともに、主人公とヒロインに名前を提供してくれた薗部ほのか、木山春奈、下川政史、藤崎卓弥、太田直之の五人に、感謝の意を示したいと思います』

 かつての俺は、何をかっこつけているのだろう。それに読んでくれた、といっても、ほとんど皆、最初の数枚を見せられて、続きはタイムカプセルを開けたときに見せるよ、と言われただけに過ぎない。
 唯一の例外は直之だった。直之だけは、この作品を漫画化するという条件をつけて最後まで読んでもらったのだ。結局、その話は有耶無耶になってしまったのだけれど。
 続きを読む。

『読んでもらえれば分かると思いますが、本当につたない作品です』

 これは謙遜抜きに事実だろう。小学生にしては、と言えないこともないかもしれないが、それにしたって拙いことに変わりはない。

『おまけに、この作品を書き終えた今でも、本当にこの結末でよかったのかな、と思っちゃったりしています』

 この話の結末――それはヒロインである薗部佳歩が、主人公の目の前で死んでしまう、というものであった。そして幼き日の俺は、自分で書いておきながら、その結末に納得しきれていなかった。

『だからもし、もっと良い結末が思いついたら、その結末にこの物語を書き換えてしまおうと思います。無期限にするわけにもいかないので、締め切りは高校生活最後の日の十二時です』

 神様――つまり俺が定めた『ルール』はたったこれだけだった。結局のところ、七十七時間という時間には意味がなかったわけだ。問題はリミットである今日の十二時の方だった。
 そして今なら、ほのかがあれ程、過程にこだわった理由もよく分かる。
 今回の場合は、むしろ結果には全く意味がない。俺が薗部佳歩という存在を思い出し、彼女が迎える結末を書き換えることを決意する、という過程にこそ意味があるのだから。

『願わくば、そのときの僕が、たくさんの人に感動を与えられる、そんな作品を書いていることを――』

 あとがきはそれだけだった。読み終えてから少し考え、
「卓弥、政史」
 二人の名前を呼ぶ。
 直之は言うに及ばず、春奈とほのかもこの作品のことを思い出しているらしい。だとすれば、説明が必要なのはその二人だけと言うことになる。
 二人とも、自分の過去からの手紙を読んでいたが、素直に俺のところに来てくれた。そんな二人に、俺は黙ってあとがきを渡した。
 二人がそれを読むのを確認すると、卓弥に尋ねる。
「卓弥、この作品の主人公の名前、覚えているか?」
 卓弥は頷き、言った。

「木山光一と木山春奈、
下川政史、
藤崎卓弥、
太田直之、この頭文字を順にとって木下藤太だ」

 俺は黙って頷く。
 そこまで確認して、抑えきれない疑問が湧きあがる。
「なんで、忘れていたんだろう……」
 いくら主人公の名前が、皆でつけた思い出深い名前だったとはいえ、ほとんどこの作品を読んでいない卓弥でさえも、主人公の名前を思い出すことができた。
それなのに作者であるはずの俺は、タイムカプセルのことをすっかり忘れてしまったばかりでなく、主人公やヒロインの名前はおろか、この作品の存在さえ思い出してやることができなかった。
 理由はいくらでも挙げられる。
中学の時に入った部活――
 受験勉強――
 進学校ならではのカリキュラム――
 そんな日々に忙殺されるうちに、いつしか忘れてしまっていたというのは簡単だが、それが小説を書くのをやめ、かつての自分の言葉を忘れてしまった決定的な理由にはなり得ない気がする。
「多分、それが光一にとっての大人になるってことだったんじゃないかな」
 そう呟いたのは、政史だった。
「人はいつまでも子供じゃいられなくて、どうしても切り捨てなきゃいけないものがあると思う。たとえば小学校の頃って、学ランを着た中学生が無駄に怖かったりしなかった? でもそんな気持ちはいつしか忘れてしまう。そんな思いを胸に抱えたまま、マトモに生きていけるはずもないしね。でも、たとえば雪を見て積もってほしいと思うような気持ち、そんな気持ちをガキっぽいって切り捨てちゃうのは簡単だけれど、そういう気持ちって、本当に切り捨てちゃっていいのかな」
 そこで一息つき、更に政史は続ける。
「だって、雪を見て積もってほしいって思うような気持ちは、切り捨てなきゃいけないものじゃないよね。でももちろん、切り捨てて不便するものでもない。どちらが正しいってことじゃないんだろうけれど、でもそうやって切り捨てていくことが、多分大人になるってことなんじゃないかな」
 そこまで言うと、
「なーんてね、ごめんね、偉そうなこと言ってー」
 政史は急におどけて見せた。
 だが、政史の言うことはあながち間違っていない気がする。それが正しいとか、正しくないとか関係なしに、小説を書くのをやめる、という選択肢が、いつのまにか、俺が無意識のうちに選んだ選択だったのかもしれない。
 そこまで考えて自分のほほに何か冷たいものが触れたのに気が付く。それは俺の気のせいでなければ――
「まさか、雪?」
 春奈の言うとおりだった。
「馬鹿な……もう四月になるっていうのに?」
 卓弥が唖然とした表情で空を見上げながら、呟く。
 チラホラと空から舞い降りてくる雪と、サラサラと桜の花びらが散りゆくさまは、幻想的で、あまりにも儚く、美しかった。
「これが……最後のおまけかもしれないね。ピグマリオンの恩恵の……最後のおまけ」
 直之がこちらを見ながら呟く。
 ピグマリオンか……最近やったゲームの中でその名前を聞いた気がする。確か、自分が作った彫像に恋をして、その彫像が人間になる、という話ではなかっただろうか。
 そう考えると、俺はピグマリオンの恩恵を受ける立場から最も遠い立場にいながら、ピグマリオンの恩恵を受けたわけだ。
 それだけでも十分贅沢な奇跡だと言うのに、こんなとんでもないおまけをつけてくれるなんて、神様の神様とやらもにくいことをしてくれる。
 そして、本当に自然に、その言葉が出てくる。
「積もれば……いいのにな」
 いくらなんでも、そこまでの奇跡を期待するのは差し出がましいとは分かっている。でもなぜだろう、今の俺にはそれを期待することが、とても自然なことのように思えるのだった。
 周りの皆を見る。皆の顔には、自然と笑顔が浮かんでいた。
 その内の一人で目が止まり、佳歩の、本当に最後の言葉が脳裏を過ぎった。

『それとこれとを勘違いしないようにしてください』

 俺が佳歩に抱いた気持ち――それは今だから言えることだけれど、きっと娘を思う父の気持ちに近いものだったのではないだろうか。だからこそ俺は、あいつのことを放っておけないような気分になったのではないだろうか。
 だとしたら。
 それが佳歩の言うところの『これ』であって。
 そうすると、佳歩の言うところの『それ』は、つまり今、目の前にいる人への気持ちをきっと指すもののはずだから――
「ほのか」
 俺はその人の名前を呼ぶ。ちょっと驚いた顔で、ほのかは俺と相対する。
 そして俺は、今の自分の気持ちを――
「まだ俺、佳歩が最後に残した言葉の意味をはっきりとは理解していない気がするけれど、それでも佳歩への気持ちと、ほのかへの気持ちが全然違うってことだけははっきりしているんだ。だから今、俺、思うんだ」
素直にぶつける。
「俺、お前のことが、好きかもしれない」

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エピローグ
 エピローグ

「光一ー、いつまで待たせる気だー」
「そうだそうだー、おいらたちにだって、都合ってものがあるんだぞー」
「本当に僕と同じ飛行機に乗れるのー」
 窓の外から、大声で俺を呼ぶ声が聞こえる。
「うるさーい、そんな大声出して、恥ずかしくないのかー」
 自分のことは棚に上げ、顔を突き出し、大声で返事する。
 家の前で俺を待っているのは、卓弥、政史に、俺と同じく今日この地を発つ直之。そしてもう一人――
 その一人と目が合って、思わず顔を引っ込める。
 いやいや逃げてどうする、俺。
 てかそもそも、昨日の俺は、考えをそのまま口に出しすぎなんだよ、よりにもよって、みんなの前であんなこと――
 自分のセリフを思い出し、顔から火が出そうになる。穴があったら入りたい。昨日はあったのに!
 しかもほのかもほのかだよな。俺のあんなヘタレな告白に、あんなに真剣に返してしまえるんだから――
 せめて次に会うまでには、もらった返事に相応しい男になろうと心に固く誓う。
 その時、ドアが乱暴に開けられた。
「お兄ちゃん、いつまでグズグズしてるの! 流石にそろそろ出ないと空港バスに間に合わないよ!」
 春奈だった。このうるさい声もしばらく聞けなくなるんだな、と思うと……あまり寂しくはない。
「はいはい、もう出るから」
 言いながら、起動させていたノートパソコンを閉じるべく、手を伸ばす。
「あれ、それってもしかして……」
 そのディスプレイに表示されている文字列に、春奈が気づく。
「小説! 書き直すことにしたの?」
 嬉しそうな声で、春奈が叫ぶ。だが俺は、だまって首を振る。
「小説は小説だけど、書き直すことにしたわけじゃない。それに書き直したところで、あの薗部佳歩が蘇るわけじゃないから」
 制限時間を設けた以上、あの世界はもはやあの世界で完結してしまっている。今更書き直したところで、新しい世界を生み出すことはできても、あの薗部佳歩の運命は変わらない。詭弁かもしれないが、俺にはそう思えた。
「じゃあ、一体どんな小説を――」
 そう言った春奈に、黙ってディスプレイを見せてやる。

『まず断っておくと、俺はあの四日間の出来事を克明に記すことができると断言できるほどの自信を持ち合わせていない。俺の筆力が圧倒的に不足していることは言うまでもないだろうが、彼女は残念ながら物理的には存在していなかったため、写真や映像が残っていない分、彼女に関するすべての記録は俺……いや、俺たち――木山光一・木山春奈・薗部ほのか・下川政史・藤崎卓弥・太田直之――の認識のみに頼らざるを得ない以上、仕方がないことだと思ってほしい。
 そしてついでにもうひとつ断っておくのなら、俺たちはあの出来事がなぜ、誰が、何のために起こしたのかを説明する術を持たない。彼女の言葉を借りるのなら、あの四日間は『神様の神様のいたずら』ということになるのだが、それを答にするわけにもいかないだろう。
 曖昧だらけであまりにも非現実的な四日間だったが、それでもその四日間に関する事実の中で、ひとつだけ確かなことがある。

 俺は、あの四日間を――――そして彼女――――薗部佳歩のことを絶対に忘れない』

「まだこれだけしか書いてないけれど、向こうですぐに続きを書くつもりだよ」
「これってつまり……」
「ああ、俺たちの四日間を小説にするってことさ」
 春奈の顔が喜びで溢れる。
「俺があの物語を書き直したところで、薗部佳歩は蘇らない。でも、俺がこの作品を書くことで、俺はあいつが確かにここにいたって足跡を残そうと思うんだ。タイトルももう決めてある。そう、タイトルは――」

『悪魔に会うために』

テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学

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