「メビウスの輪」の表側
福岡の某大学に通う学生が、日々のどうでもいいことを備忘録代わりに書き記したり、オリジナルの推理小説を中心とした様々な小説をを発表したりするブログです。
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夜の学校
 誰もいない廊下。
 誰もいない校庭、そしてそこを煌々と照らす月明かり。
 ここは昼間の喧騒が嘘のように静まり返った夜の学校。
 そんな、日常から少し遠いところで放たれた綾香ちゃんの言葉は、暗い静寂にさざ波を立てるように響く。
「今更聞くのもなんだけどさ、侑子って夜の学校は怖くないの?」
 今や指定席となった窓枠に腰かけて、綾香ちゃんは本当に今更な質問を投げかけてきた。
「私ね、七不思議は信じてるんだ、だから夜の学校は……というより、この教室は怖くないよ」
 そう答えると、綾香ちゃんは一瞬きょとんとした顔を見せてくれた。けれどもすぐに、
「何それ? そんなことってあるの?」
 と尋ねながら、怪訝そうな表情になってしまった。
 そんな表情の変化がおかしくて、私はクスリと笑ってしまう。
「あー! 今笑ったわね、今の質問がそんなにおかしかった?」
 言うなり今度はプクリとむくれてしまった。それはそれで可愛いのだけれど、このままへそを曲げられてしまうのもイヤだし、種明かしをする。
「ごめんごめん、そういうわけじゃないから。綾香ちゃんはうちの学校の七不思議って全部知ってる?」
「ま、大体はね。どれも当たり障りのないものばかりだし。確か『音楽室のベートーヴェン』、『トイレの花子さん』、『夜しゃべる理科室の人体模型』、それに『体育館に佇む少女』と、あとは……」
「あとは『死を招く屋上の13階段』、『3番コースに住む水泳部の亡霊』、『悪魔を呼ぶ家庭科室の合わせ鏡』だよ」
 曖昧に微笑みながら、私は残りの七不思議を列挙した。
「ね、これで大体分からない?」
「うーん……ようは特別教室に好んで行きでもしない限りは大丈夫って言いたいわけ?」
「そういうこと」
「ふーん、そういう考え方もあるんだ」
 私の言わんとすることころをすぐに理解してくれてことが、そして何よりこんな他愛のない会話を綾香ちゃんと今まさにしている、この奇跡自体が嬉しくてたまらなかった。
 思えばこうやって綾香ちゃんとおしゃべりができるようになってから、まだ10日しか経っていない。
 私には他人とはちょっと違ったストレス解消法があった。それは夜の学校で思いっきり泣くこと。誰もいない学校で、存分に泣きはらす。これ以上のストレス解消法があるとは、私には思えない。
 その日も、朝のうちにとても悲しいことがあった私は、いつものように夜になるのを待って、校舎へとこっそり忍び込んだ。けれどもその日はいつもとちょっとばかり勝手が違った。なぜなら私が忍び込んだ教室には、もう綾香ちゃんがいたのだから。
 引っ込み思案で、音楽発表会ではカスタネットだとか、トライアングルだとか……そんな地味な楽器ばかり。文化祭の舞台発表では、脇役しかやらせてもらえなかった私と違って、綾香ちゃんは活発で、運動神経も良くて、私にとっての憧れそのものだった。体育の時のバレーで見せたスパイクや、部活のバスケで見せる華麗なシュート――どれも私には手の届かない夢の形だった。
 そんな綾香ちゃんが、私なんかと普通におしゃべりしてくれることが嬉しかった。
 屈託無く受け容れてくれることが嬉しかった。
 毎晩、私に会うためだけに、こうやって学校まで来てくれることが嬉しかった。
 それだけに……それだけに悔しくて、悲しくて、恨めしくてたまらない。こんな愛しい日々を終わらせなくちゃいけないことが。
「綾香ちゃん……今日は何の日か知ってる?」
「何の日かって? そりゃあ8月31日で、夏休み最終日だけど……それ以上に何かあるの?」
「うん……今日で夏休みは終わりだから……綾香ちゃんとこんな風に会えるのは、これで最後ってことになっちゃうの」
「え?」
 綾香ちゃんは、私が何を言いたいのか、本当にわからないようだった。ちょっとの間ポカンとして、慌てて聞いてくる。
「ま、待ってよ、夏休みが終わると、どうして侑子と会えなくなるのよ。侑子が転校しちゃう……とか、そういうわけじゃないわよね?」
「違うの……そうじゃなくて、夏休みが終わったら、学校が始まっちゃうでしょう? そうしたら……」
「こうやって夜、学校に来られなくなるって? 心配ないよ、うちの親、そういうのにはうるさくないからさ。侑子もそういう心配はいらないでしょ?」
「そうじゃないの。でもだって、綾香ちゃんはこのまま私なんかと一緒にいたら……」
「知ってるよ」
 間髪入れずに言われた一言。それが私の胸に突き刺さる。
「知ってるって……何を?」
 言おうか言うまいか、そんな風に迷う素振りを見せたけれど、綾香ちゃんの決断は早かった。
「侑子さ、幽霊なんでしょう?」
「……しって……たんだ……」
 別に隠していたつもりはないけれど、それでも知られているとは思わなかった。だって、綾香ちゃんはあまりにも自然に私と接してくれるから。
「私が幽霊だって分かっていて……それでも私と、あんなに仲良くしてくれたの?」
「正直、最初は気付かなかったけれどね。でも、私は侑子のことを一度も見たことがないのに、侑子は私のことを……特に体育館での私のことを知っていたから、もしかしたらってね」
 綾香ちゃんの考えている通り、私は七不思議のひとつ、『体育館に佇む少女』と呼ばれる存在だ。
「でも、侑子が幽霊だろうとなんだろうと、侑子は侑子でしょう? 嫌う理由なんて、何一つないじゃない」
 笑顔とともに放たれた綾香ちゃんのその言葉に、きっと嘘はない。彼女の真っ直ぐな瞳を見て、それでも彼女の言葉を疑ってしまうのなら、私はきっと仮初の友達としての資格すら持っていないことになるだろう。
「ありがとう、綾香ちゃん……会ってからたった10日なのに、そこまで私を信じてくれて……」
 そう、綾香ちゃんはこんなにも私のことを信頼してくれている。なら私も、その信頼に応えなきゃいけない。
「だから、綾香ちゃん、もうこんなところに来てる場合じゃないんだよ。これ以上ここに来てたら、本当に引き返せなくなっちゃう」
「……何を言ってるの? 侑子?」
 私が幽霊だってこと、それは伝えなきゃいけないことのうちの半分。でもはっきり言ってしまうと、そんなことはどうだっていい。もっと大事なことに綾香ちゃんはきづいていない……いや、きづこうとしていない。
「綾香ちゃんは、私のことを今まで一度も見たことがなかったって言ってたよね? それがどうして急に見えるようになったのか、考えたことはある?」
「それは……侑子と会うのが夜だから、とか?」
 私は首を横に振り、続ける。
「そもそも私が、どうしてこの教室にやって来たのか、綾香ちゃんは知らないよね?」
「それは……何か悲しいことがあったからって……」
「じゃあその、悲しいことって一体何だと思う?」
「それは……考えたことはなかったけれど……」
 それは綾香ちゃんだからこそ言えること。綾香ちゃん以外のこの学校の生徒なら、きっと誰にだって思い当たる。
「8月21日ってさ、登校日だったよね」
「え? ……う、うん、そうだね」
 綾香ちゃんの狼狽が、目に見えてはっきりする。
「綾香ちゃんは、その日、学校に来た?」
「も、もちろんだよ、だって……」
「嘘だよ」
 間髪入れずに否定する。
「あの日ね、登校途中に不幸な事故に巻き込まれた少女がいたんだよ」
 綾香ちゃんの顔が……元から白かった顔が、透けそうなくらい蒼白になっていく。
「居眠り運転で歩道に突っ込んできた車がいてね、たまたまその場に居合わせた子が、友達をかばってはねられちゃったんだ」
 あの日、全校生徒が、急遽体育館に集められた。そこで聞いた言葉を信じたくなくて、忘れてしまいたくて……私は夜の教室に忍び込んだ。そして……
「ここまで言えば、もう分かるよね、綾香ちゃん」
 綾香ちゃんは、今や全身を小刻みに震わせていた。初めて言葉を交わしたあの時とは、比べ物にならないくらい弱々しいその姿を目にするのは、正直辛い。
「綾香ちゃん……今なら見える……ううん、見えないはずだよ、自分の足が」
 慌てて視線を下に移し、そして同時に見なければよかったといわんばかりに目をつぶる綾香ちゃん。そう、この10日間、彼女は決して教室に足を下ろすことはなかった。正確には、下ろすことを意図せず避けていた。不完全な形で霊となってしまった彼女が、違和感を抱かずに歩くことなどできやしなかったのだから。
「私……死んじゃったの?」
 か細い声で、綾香ちゃんが尋ねてくる。それに対して、私は首を横に振る。
「まだ死んではいないよ。でもこのままじゃ本当に死んじゃう。霊体が体を長い時間、離れすぎちゃっているから」
「じゃ、じゃあ今すぐもとの体に戻れば……」
「助かる可能性はある……ううん、きっと間違いなく助かる。だから綾香ちゃん、早く元の体に戻って」
「そ、そうなんだ、良かった……」
 と、ホッとしたのも束の間、
「でも待って、そしたら……私が元気になったら、侑子とはまた会えるんだよね?」
 私は黙って首を横に振る。
「生きてる人間に、私の姿は見えないの。元々そういう素質があるのなら話は別だけど、綾香ちゃんにそれはないから」
「そんな……折角仲良くなれたのに、侑子ともう一生会えないの?」
「大丈夫。私、独りには慣れているから。それとも……」
 ああ駄目だ、この言葉だけは言ってはいけない。そう思うけれど止められない。
「ここで私と……私だけと一緒に過ごしていく?」
 それは決して言うまいと思っていた……それでいて、私にとってはあまりにも魅力的な未来。いつも隣に話し相手がいて、寂しいなんて言葉からは縁遠い日々。望んではいけない希望。
 ……ほらね、言わなきゃ良かったんだ。綾香ちゃんは優しすぎるから、今にも泣きそうな顔をしちゃってる。
「ごめんね、意地悪言って。でもね、私一人と、自分の命、そして家族や友達のことを考えたら、私一人を選ぶなんて馬鹿なことは言っちゃ駄目だよ」
「……っ!」
「だから……バイバイ、綾香ちゃん」
 私のその一言をきっかけに、綾香ちゃんの姿がより一層透けていく。
「侑子……私は……私は……!」
 そう叫ぶ綾香ちゃんの声も次第に聞こえなくなり、やがて辺りは静寂に包まれた。

 *

「選べるわけないじゃない」
 意識を取り戻した私の第一声はそれだったらしい。
 そう、選べるはずがないのだ。数なんて関係ない。友達を一人だって切り捨てるような選択を、私は望んじゃいなかった。
 家族や友達は、私の10日間の出来事を、夢だと一笑する。
 時々私自身、そんな言葉に挫けてしまいそうになるけれど、それでも私は忘れない。
 1人で泣くには広すぎる夜の学校で、今なおきっと、泣きはらしている彼女に、理不尽な二択を突きつけてきた文句を言ってやるまでは、絶対に。
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テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学

カノン 目次

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カノン 事件編その1
「……したがって、山崎碧(みどり)さんは、爆発に直接巻き込まれたわけではなく、爆破の衝撃で吹き飛んだ扉と廊下の壁に挟まれ、全身を強打されたようです。そのため火傷などはないのですが、頭を強打したらしく、依然意識は戻っておりません。それから……」
 曖昧な意識の中、一つだけ確実に分かること、それは山崎先生が怪我を……それももしかしたら命に関わるかもしれない怪我をしたということだった。
 ほんの数時間前の僕は、こんなことが起こるだなんて、考えもしなかった。
 山崎先生と話をしたのも、それこそほんの数十分前までだというのに……

 *

 開け放した窓から吹き込んでくる風は、いつの間にか随分と涼やかなものになっていた。
 いつになったら夏は終わるんだとぼやいていたのが昨日のことのようだけれど、秋は暦の上だけでなく、確実にすぐそこまで来ているらしい。
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども……なんてね」
 柄でもない、と自嘲気味にぼやき、ため息をつく。
 そう、柄じゃない。僕が風流なんて言葉から、イスカンダルくらい遥か遠くに位置していることは重々承知している。それでもこんな詩を呟いてしまうのは……
「カノン! あんたいつまでそうやってサボってるつもりなのよ!」
 つまりは簡単な話、ここでもう少しダラーッとしていたかったのだ。

 僕の名前は大佛観音(おさらぎかのん)。
 両親が何を思って僕にこんな名前をつけたのかは知らないが、ひどく大仰な名前をつけてくれたものだと、自己紹介の度に思う。まあ当然、いかに立派な名前をつけてもらったところで、なんら苦行に身を置かずに聖人君子になれるはずもなく、人並みに善行を重ね、人並みに悪行を重ねてきたと自負している。
 で、そんな僕が今、何をしているかと言うと……
「分かってるの? 文化祭はもう明後日なのよ! そうやってサボってる時間なんて無いんだから!」
「はいはい、分かってますって。そうカリカリしないでよ、鈴木さん」
 黙っていればそれなりに整った顔つきなのに、その口やかましさのせいで敬遠されがちな、クラス委員長である鈴木さん。無意味な抵抗はせずに、僕は素直に窓を閉めて自分の持ち場へと戻る。
 そう、今、僕を含めた倉知高校一年二組の面々は、来る文化祭に向けて準備の真最中なのである。
「よう、カノン、休憩はもういいのか?」
 同じ作業班の泉が、軽い口調で聞いてくる。
「いや、もう少しサボっていたかったんだけどなあ、鈴木さんに見つかっちゃったから」
「そりゃあお気の毒に。じゃあ折角だから、地図に適当に色塗りでもしといてくれ。絵の具はそこにあるから」
 うちのクラスのテーマは『私たちの街の歴史』で、文化祭があれば少なくともどこか一クラスは選ぶに違いない、定番中の定番のテーマである。それでいて、よほど画期的な点がない限り、見るほうも作るほうも退屈だったりするあたり、厄介極まりないテーマだ。
 そう思っているのは、どうやら僕に限ったことではないらしい。ちょっと周りを見回してみれば、終業式の日のホームルームのような、心ここにあらずな皆の表情が見てとれる。たまに例外もいるけれど、そこで交わされている会話に耳を傾けてみると……
「やっぱりあそこはカインを使うのがセオリーだろう、じゃねえと攻撃力が全然足りねえ」
「馬鹿言えよ、そこはアベルの白魔法で回復手段を確保しつつ……」
「ちょっと待て、あの場で回復なんて考えてる時点でお前の負けだろ、あそこはなあ……」
 と、今はまっているゲームだとか、昨日見たドラマだとか、全然関係の無い話をしていることが分かる。
 そんなわけで本番は明後日だというのに、作業は遅々として進まずにいる。だから鈴木さんが焦る気持ちも分からないではないのだけれど、それにしたって彼女の気合が空回りしているのは否めない。鈴木さん自身が率先して作業を進めるのはともかく、その熱気を他人に強要されても周囲は迷惑するだけだ。事実、鈴木さんから明らかに過剰に出される指示に、皆はとっくの昔に辟易してる。それに気付いていないのは当の鈴木さんくらいなものだろう。
 おまけにそれだけでは飽き足らずに彼女がとった手段は、確実に皆のモチベーションを下げていた。即ち、
「こら、そこ! 田中さん! 今携帯を出してたでしょ! 没収!」
「あ……ちょっと待ってよ、私はただ……」
 田中さんの抗議の声にも耳を貸すことなく、鈴木さんはズカズカと田中さんの下へと歩み寄り、半ばひったくるように携帯を取り上げてしまった。先ほどから恒常化しているこの風景――作業もせずに携帯をいじってばかりの皆に業を煮やした彼女がとった手段――それがこの、携帯狩りとも呼べる、携帯電話の没収だった。
 没収基準はいたってシンプル。携帯を出したら没収だ。かく言う僕も、時間を確認するために携帯を出しただけで没収されてしまった。
 勿論反発はあったが、学校が携帯電話の持ち込み禁止を建前として掲げている以上――それを律儀に守っている真面目なやつなんてそう滅多にいないけれども――大義名分は向こうにある。まあ先生がいないからと言って携帯を出してるこちらにも非があるわけだし、今日の帰りには返却されるということで、嫌々ながら納得している、といったところだ。
 でもそれにしたって、鈴木さんはわかっていない。今時、腕時計を使わずに携帯電話で時間を確認するやつは少なくない。そして、文化祭の準備で使うために借りたここ、多目的ホールには、時計が無い。せめて中庭の時計を見ることが出来ればいいのだが、この部屋の窓は全て曇りガラスだから、それも叶わないし、鈴木さんの物腰を見れば、時計を確認するためだけに部屋を出るのも厳しいことも分かる。
 そのため、今、この部屋には、僕を含めて多くの単純労働者が、あとどれくらいこの不毛な状態が続くのか分からずに作業を続けている。それはもう、本当に苦役でしかない。鈴木さんは作業に集中させようとして、かえって皆の集中力を散漫にしていることに気がついていないのだ。
 ――まあ、愚痴はこの辺にしておこう。もう済んでしまったことは仕方が無い。この後の予定はチャラになってしまうかもしれないが、今日のところは大人しく鈴木さんの指示に従うことにしておこうじゃないか……

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カノン 事件編その2
「ねえ、こっち足りてないみたいなんだけど……」
「え? あ、ほんとだ。何が足りないんだろ」
「これが足りないんじゃない?」
「あ、そうね、じゃあ補充しとかなきゃね」
 キャピキャピという擬音が似合いそうな、女の子たちの声が耳に入ってくる。ああ、女の子の会話が耳障りでなくなったのはいつからだったかな、それはきっと、姉さんたちに植え付けられたトラウマが一つ消え去った記念日だろうに、覚えていないのは勿体無い。
 そんなどうでもいいことを考える余裕ができるくらいに、作業はなんだかんだで一区切りつきそうな気配を見せていた。一時はどうなることかと思ったが、人間やればできるものだ。この分なら、明日あと一日あれば、十分に作業を終えることができる。
「……よし、こっちはOK。泉……もOKみたいだね。いやー、意外に早く終わりそうだ」
「そうだね、ま、カノンがサボらなければもっと早く終わってたかもしれないけれど」
 グサリ、と泉の言葉が僕の胸をえぐる。
「い、泉ー、今更それを持ち出さなくてもいいじゃん、てか、さっきはそんな素振りおくびも見せてなかったけれど、もしかして僕がサボったの怒ってた?」
「さあね」
 怪しげにフフ、と笑う姿が泉には妙に似合っている。もしそれに合わせて、かけている眼鏡を反射させることができれば、完璧に権謀術数に長けた悪の参謀だ。そんなこと言ったら怒られるだろうから、本人には言わないけれど。
 そんなことを考えてると、誰かが後ろから、肩をトントンと叩いてきた。
 振り返るとそこにいたのは高山さんだった。
「そろそろ一区切り、と考えても構いませんよね」
「え? そ、そうだね」
「それでは私は用事があるので、早目に帰らせてもらっても構わないでしょうか」
「ん? ま、まあいいんじゃない?」
 初対面からもう半年経つというのに、未だに馬鹿丁寧な態度も含めて、彼女の性格はよく掴めない。黙ってじっとしていると、日本人形のように整った容姿が目をひく可愛い子なんだけど、いざ会話をすると、どうもその印象が食い違っていくのを感じてしまう。暗い……というわけではないのだけれど、どことなく……そう、どことなく人との関わりを避けているような印象が拭えないのだ。
 とはいえ、高山さんのそんな態度に慣れてきたというのもまた事実であり、
「でもま、そろそろ今日の作業を終了にしてもよさそうなのは事実か。ボチボチ頃合を見て、柳沼(やぎぬま)を捕まえとかないと」
 副責任者の立場でなぜか鍵を預かっている身としては、そんなことを呟いてしまう。
 柳沼とは、ここ、特別校舎の管理を任されている化学の地味で冴えない独身教師である。
 そもそもこの特別校舎は、校舎に入りきらなかった部屋を無理やり詰め込みました、という印象が拭えない建物になっている。事実、そうなのかもしれない。一階の会議室に始まり、二階の多目的ホールと、化学実験室、三階のパソコン室と美術室といったメジャーどころに加え、運動部用の更衣室、おまけに現像室兼写真部部室だとか、礼法室兼カードゲーム部部室だとかが混在しているのだから。
 話が逸れたけれど、そんな特別校舎を管理しているのが柳沼で、特別校舎の部屋を利用した生徒は利用後、その部屋の鍵を柳沼に返す必要があるわけだ。ただしここで注意しなければならないのは、柳沼が美術部の副顧問も務めている関係で、放課後のほとんどの時間を美術室で費やしているとともに、そこで過ごす時間を邪魔されるのを非常に嫌うということである。そんなわけでここを使い慣れている人間なら、用事が済んでいれば、柳沼が校舎内の巡回のために準備室に鍵を取りに戻る午後六時前後の時間での鍵の返却を狙うわけだ。
「今、何時くらいだっけ?」
 泉が呟く。この部屋には時計がないし、僕自身、今は腕時計も携帯電話も所持していない。誰かに時間を聞こうと思ったその時、コンコンとノックの音がした。間をおかず、ガラガラと扉が開く音がする。
「ヤッホー、皆、作業は順調?」
 間もなく朗らかな声とともに顔を出したのは、碧さん……そう、この場で言えば山崎先生だった。

 山崎先生はうちのクラスの担任であり、団子にした髪と柔らかな印象を与える丸眼鏡がパッと目につく、スラリとした長身の女性で、はっきり言ってしまえば美人の部類に入ると思う。教師としては二年目で年齢が近く、また、本人の明るい性格も相まって、生徒からの人気はかなり高い。もっとも、僕にとってはそれだけではないのだけれど……まあそれについてはここで語る必要はないだろう。
「はい、この調子で頑張れば、明後日には十分間に合います」
 先生の質問に対して、皆を代表して、鈴木さんが答える。とはいえ、未だに元気に溢れているのは彼女くらいなもので、他の皆はもうあまり頑張る気力が無いのは傍から見て明らかだ。先生もそれに一目で気づいたらしい。
「頑張るのもいいけれど、ほどほどにしておきなさいね。それで体壊しちゃ元も子もないんだから」
 苦笑交じりにそう告げる。それを聞いた皆が一様にホッとした表情を見せる中、唯一鈴木さんだけは不満げな表情を見せているが、今更気にするほどのことではない。
「でもまあ折角だから、皆の努力の成果を見ていきましょうか」
 そう言って、一歩を踏み出そうとした山崎先生に待ったをかける。
「あ、その前に先生、今の時間、教えていただいていいですか?」
「え? 今の時間?」
 問われた先生はチラリと自分の腕時計に視線を走らせ、
「六時十分前よ、あら?」
 時間を告げてから、何かに気付いたように声をあげると、山崎先生は微かに含み笑いをして見せた。
「どうかしました?」
「ううん、こっちのことだから、気にしないで」
 先生の態度はちょっと気になったが、こちらもあまり時間がない、ありがとうございますと告げて、すぐに部屋を出ようとドアノブに手をかけようとしたところで、
「ちょっと大佛君! どこに行くつもり!」
 案の定、鈴木さんが声をかけてきた。一瞬、柳沼先生に鍵を返しに行く、と言おうかと思ったが、写真部でよくこの特別校舎を使う僕と違って、バレー部の鈴木さんにはここの仕組みはよく分からないだろう。だとしたらそれを一から説明するのは面倒だ。そんなわけで、
「ちょっとトイレ! すぐに戻るよ!」
 それだけ言い残して部屋を飛び出した。それにトイレに行くというのも、決して嘘ではない。
 部屋を出たついでに中庭の時計を確認しておくと、先生の言うとおり、時計は五時五十分を指していた。

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カノン 事件編その3
 トイレから出て最初に思った感想は、間が悪い、の一言に尽きた。
 特別校舎は中が吹き抜けになっているため、廊下の様子は同じ階ならほぼ全面が、上下の階なら対面は見通すことができるようになっている。そんなわけで、対面に位置しながら、二人の様子――柳沼と碧さん――は良く見えた。
 二人の様子は決して友好的なものではなく、しつこく言い寄る柳沼を、碧さんが拒絶しているのがここからでも見てとれる。
 ここに柳沼が多くの生徒から嫌われている所以がある。柳沼は若い女性教師――たとえば碧さんのような人にことあるごとに声をかけて、交際を求めるのである。噂では、美術部の生徒にも声をかけているとかいないとか。これで柳沼が皆の目を引く好青年なら話は別だったのだろうが、残念ながら、柳沼は地味で冴えない容貌をしていた。結果として柳沼に対する評価は、キモいの一言に集約されてしまうわけである。
 見なかったことにしてしまいたいが、二人は部屋の前で話をしている。おそらく碧さんが文化祭の準備を一通り見終えて部屋を出たところに、運悪く、巡回を開始した柳沼と遭遇してしまったのだろう。無視して通ることは出来ない。
 それに他ならぬ碧さんをこのまま放っておくわけにもいかないだろう。僕は深いため息を一つつくと、二人の下へと向かう。
「しつこいですよ! 柳沼先生! 先ほどからご遠慮しますと申し上げているじゃないですか!」
「だからねー、山崎先生、そんなに気負う必要はないんですよ、俺はただ……」
「あのー、どうかしましたか?」
 さも二人の間に流れる険悪な雰囲気に気付いていないかのように、あくまで平然と声をかける。そこで初めて二人とも、僕のことに気がついたようだった。
 会話を遮られ、気勢を削がれてしまった柳沼は、忌々しげにこちらを睨みつけると、あからさまに舌打ちをして見せてから三階へと上がっていった。
 僕は無言でそれを見送り、碧さんはそれを……あかんべーで見送った。
「碧さん、いくらなんでもそれはないんじゃないですか?」
「あらぁ、いいのよ、あんなやつにはこれくらいしたって。それはさておき、ノンちゃん、学校では碧さんじゃなくて、山崎先生でしょう?」
「それを言ったらみど……山崎先生だって、今、ノンちゃんって言ったじゃないですか」
 途中で睨みつけられてしまったので、山崎先生と言いなおす。
 碧さん――この場では山崎先生――は確かに教師であるが、それ以上に僕にとっては一番上の姉の悪友である。姉たちほど性格がねじれているわけではない分、マシではあるけれど、それでも学校の関係者に僕のトラウマについて深く知る人がいるのはあまりいい気分ではない。
「あらほんと、うっかり口を滑らせることがないように気をつけないとね」
 そう言ってから軽く顔の角度を変えて、眼鏡をキラリと反射させる。まさしくさっき、泉から連想した悪の参謀の仕草である。それゆえに全てを語らずとも、彼女の言いたいことは伝わってくる。
 昔のことをバラされたくなかったら、大人しく言うことを聞くのね、と。
「……了解しました、山崎先生」
「うむ、分かればよろしいのだよ、分かれば」
 言って、満足げに何度も頷く。
 ……うん、根は悪い人じゃないってのは分かってるよ。この人は面白ければなんでもいい、という点において姉と強烈なシンパシーを感じて、友達をやっているような人だってことも、それ以外の点においては、普通の人以上の優しさを備えていることも。だからこそ嫌いになれないんだよね……
「でも柳沼のやつもいい加減諦めたらいいのに。ここまで来ると執念ですよね」
 話を逸らしたくて、話題を柳沼に移す。
「本当に、いつになったら脈がないことに気付いてくれるのかしら。これだからモテない男は……」
 返ってきた返事は、予想以上に辛辣なものだった。これだからこの人は油断ならない。そのせいもあって、僕もついつい調子に乗ってしまう。
「馬鹿は死ななきゃ治らないっていいますしね、もうここまで来ると、一回死なないとあの人の馬鹿も……」
「ノンちゃん! 冗談でも言っていいことと、そうでないことがあります!」
 一転、碧さん……いや、山崎先生の厳しい声が飛ぶ。そこにあるのは紛れもない教師の顔だった。
「……はい、すみません……」
 その剣幕に押され、呼称を訂正させることも忘れて謝ってしまう。これだからこの人は嫌いになれない。
「いいわよ、分かってくれれば。まあ柳沼先生には、諦めてくれるまでこちらも粘り強く頑張っていくわよ」
 気楽にそう言ってのけるけれど、あの先生のしつこさは、誰が見たって折り紙つきだ。おそらくそう簡単なことではあるまい。そう考えていることが顔に出たのだろうか。碧さんは笑って言った。
「大丈夫よ、私はあなたのお姉さんと友達やってたのよ。それに比べればこの程度のこと、造作も無いわよ」
 それは僕にとって、何よりも説得力を持つ言葉だった。

 部屋に戻ると、皆の作業は片付けへと移行しつつあった。あまり帰りが遅くなってもよくないし、妥当な頃合だろう。
「よう、トイレにしては遅かったんじゃないか?」
 身の回りの道具を片付けていた泉が声をかけてくる。
「そうか? それほどでもないと思うけれど」
 適当にはぐらかしつつ、僕もその作業に加わる。
 現段階でそれなりに形になっている展示物をとりあえず部屋の隅にまとめておく。テーマの普遍性のおかげで、文化祭当日までこの部屋を使えるのは幸いだ。ただ、この部屋に当日、わざわざ足を運ぶ人がどれだけいるのかは、甚だ疑問ではあるけれど。
 作業は順調に進んでいく。だが作業を進めていくうちに、何かが足りない気がことに気がついた。
 何だっただろうか……何かあるはずのものがないような気が……
 釈然としない気持ちを抱いたまま、作業を続ける。時間はあっという間に過ぎ去り、部屋の片付けは終わり、皆もほとんど帰り支度を終えていた。さあ帰ろうという段になって、やっと気がつく。
「ああそうか、足りないのは何かじゃない、高山さんだ」
「ん? 高山さんがどうかしたか?」
 俺の呟きを聞き取った泉がオウム返しに尋ねてくる。
「いや、高山さんがいないなって気がついたからさ」
「高山さん? ああ、それならお前がさっきトイレに行ってるときに……」
 しかし泉の言葉を最後まで聞くことはできなかった。
 ドカッと何かくぐもったような音と、バリンといくつものガラスが割れる甲高い音。
それらが一斉に廊下から響いてきたからである。
「今の音は?」「なになに、なんなの?」「なんかすげー音だったよな」
 部屋の中が騒然とする。誰かが爆発という単語を口にすると、部屋の中は一気に混乱の極みになった。
「爆発って一体どこが?」「ちょっと、ここ、安全なの?」「まさかそんなはず……」
 誰かの言葉を口火に、皆が一つしかないドアへと雪崩れ込む。僕もその流れに巻き込まれる形で、部屋を飛び出す。
 たたらを踏んで廊下に出ると、異常が発生している場所は一目で分かった。化学準備室である。そこのドアが外れ、廊下にしだれかかるとともに、細い煙が上がっている。いや、異常はそれだけに止まらない。ドアの陰には……
「え?」
 心臓がドクンと大きく跳ね上がる。まさかそんなことがあるわけが……
 皆が何かを恐れるかのように遠巻きに眺める中を、急いで駆け寄る。遅れて、他にも駆け寄る幾人かの姿が視界に入るが、それを気に留めることなく、ドアをどける。
 そこにいたのは、紛れも無く――!
「碧さん!」「山崎先生!」「ちょっと大丈夫なの!」「誰か、救急車!」
 もはや自分が何を叫んでいるのか、そもそも何か言葉を発しているのかも分からない。飛び交う怒号や悲鳴の中、真っ白になった頭に、カタンと甲高い音が響いてきた。
 ゆっくりと視線を音のほうへと向けた。
 そこには今まさに山崎先生の手から落ちた、ライターが転がっていた。

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カノン 事件編その4
「突然のことで皆さん驚きでしょう、ですが事件を一刻も早く解決するためにも、皆さんにはぜひともご協力いただきたい」
 秋捨(あきすて)と名乗った、この場の責任者らしき警官はそう宣言した。三十代くらいに見えるが、さっき漏れ聞いた話からすると、どうやら階級は警部らしい。それが高いのか低いのかはよく分からないが、少なくともこの場の責任者たる風格を備えているのは間違いない。
 今、この場にいるのは、文化祭の準備で特別校舎に残っていた面々である。グループ分けをすれば、一年二組、美術部が数人、そしてカードゲーム部と――柳沼だった。
 碧さんは病院に搬送されていて、この場にはいない。彼女の容態について本当に軽い説明が終わると、
「さて、まずは今回の事件のあらましを整理してみましょう。何か間違いがありましたら、どなたでも構いません。すぐに教えてください」
 そう前置きした上で秋捨警部による確認が始まった。
「事件が起きたのは今日の午後六時半頃。今から三十分ほど前ですね」
 もう三十分か、とも思うし、まだ三十分しか経っていないのか、とも思う。ドアの陰で血を流して倒れていた碧さんを見てから、僕の中の時計は明らかに狂っている。さっき中庭の時計を見たら、それまで止まっているのに気付いたときは笑ってしまった。
「事件現場はここ、特別校舎の化学準備室。そこで何らかの原因により、爆発が起き、それに山崎碧さんが巻き込まれた。爆発の原因については現在鑑識が調査中です。が、はっきり言ってしまえば、具体的に爆発の原因が何であるかは大した問題ではないのですよ。問題は、この爆発が人為的なものなのか、それとも単なる事故なのか、その点にあります」
 言って、秋捨警部は視線を柳沼へと向ける。言わんとするところを理解したのだろう。柳沼は肩をすくめて答える。
「事故ではありませんよ、保証します。現に管理者である私が、事件発生の三十分前に部屋を訪れて何もなかったんですから」
 そう、これは事故ではないだろう。だって事故だとしたら……
「そうですか。ならおそらく犯人は、準備室に何らかの時限装置か、ドアを開いただけで起動する自動装置を仕掛けたのでしょうな。まあそれについては、今はいいでしょう。ではついでにもう一つお尋ねします。このライターに見覚えはありませんか?」
 言いながら、秋捨警部はビニル袋に入ったライターを掲げた。そう、事故だとしたら、碧さんがライターを握っていた理由が分からないではないか。
「ありますね、私のです。一週間ほど前に無くしたと思っていたんですが、どこから出てきましたか」
 まだ柳沼の表情は、平然としている。
「山崎碧さんの手の中からですよ。どうしてあなたが一週間前に無くしたライターを、被害者である山崎碧さんがお持ちだったのでしょうか?」
 流石に今度は、柳沼の表情が蒼ざめる。
「どうですか? 柳沼さん? 納得のいく説明をしていただけますか?」
 秋捨警部が一歩詰め寄る。それに合わせて、一歩下がった柳沼だったが、わなわなと唇を震わせながら、搾り出すように呟く。
「……だ」
「え? 何ですって? もう一度お願いします、柳沼さん!」
 秋捨警部が大声で攻め立てる。ここまでの態度を見れば、明らかだ。秋捨警部は今回の事件の犯人が柳沼だと思っているらしい。いや、秋捨警部だけではない。僕だってそう信じている。秋捨警部がどこまで掴んでいるかは知らないが、柳沼には動機だってある。いくら言い寄ってもなびかない碧さんに対する逆恨み。定番だが、十分な動機だ。
 それに、碧さんが握っていたライターが、何よりの証拠だ。あれが碧さんが残したメッセージでなくてなんだと言うのか。さあ、一体なんと言って赦しを請う? 柳沼?
 皆の注目を一身に集めた柳沼は……叫んだ。
「これは罠だ! 俺ははめられたんだよ!」
 皆が呆気に取られる。こいつは何を言っているんだ? と。
「考えてもみろよ! 事件現場は俺の管理する部屋、それに山崎先生が握っていたのは俺のライター。怪しすぎるだろう! いくらなんでも! 俺は犯人じゃない! 俺は被害者なんだよ! ……そうだよ、一歩間違えれば、あの爆発に巻き込まれたのは俺だったかもしれない! ハハハ、笑えるなー、被害者の俺を犯人呼ばわりだと? ふざけるな!」
 誰も言葉を返せなかった。そりゃそうだ、まさかこうも堂々と開き直られるなんて、誰も考えない。皆があきれて何も言えずに沈黙の帳が下りる。それが僕を冷静にした。
「……けるなよ」
 そう、僕は、怒りを冷静に沸点までたぎらせた。
「ふざけるなよ! 柳沼! お前が被害者だと! 寝言は寝て言え! お前じゃなきゃ一体誰が、準備室に仕掛けをセットできるって言うんだよ!」
 柳沼に飛び掛ろうとして、寸前で泉と、他数人に止められる。構わず前に進もうとするが、流石に数人がかりで抑えこまれてはそうはいかない。振りはらおうと足掻いていると、顔を引きつらせながら柳沼が反論する。
「べ、別に俺じゃなくてもできるさ。準備室の鍵はいつも開けてるからな。俺が部屋を出た六時より後にその仕掛けとやらをセットすればいい。部屋の鍵が開けっ放しだってことは、お前だって知ってるだろう?」
 返答に詰まる。それは確かにその通りだ。準備室の鍵が開けっ放しだってことは、特別校舎を普段から利用する人なら、誰でも知っている。それは柳沼が犯人であることの決定的な証拠にはならない。……いや、待てよ。
「……そうだよ、六時以降のアリバイを調べればいいんじゃん」
 呟いて、秋捨警部の方を向く。
「秋捨警部、僕は五時五十分頃にトイレのために部屋を出た後は、部屋から出ていません。それは皆が証言してくれると思います」
 秋捨警部が怪訝そうな顔を見せる。
「だから、僕には六時以降のアリバイがあるってことですよ!」
 ようやっと言わんとするところを理解してくれたらしい。秋捨警部は得心した顔でうなずくと、皆を見回して言った。
「さて、すみません、たいへん申し訳ありませんが、これから皆さんが、六時以降何をなさっていたかを教えていただけませんか」
 そう、これで皆に六時以降のアリバイがあれば、柳沼が犯人だということは、今度こそ決定的になる。
 僕は柳沼に対する勝利を確信した。大きな落とし穴の存在に気付かないまま……

「それじゃあ改めて確認するが、君が部屋を出たのは五時五十分頃。そして間違いなく六時になる前には部屋に戻っていた、と」
「ええ、その通りです。そうだよな、皆」
 周りの皆も頷いてくれた。既にカードゲーム部と美術部のアリバイは確認がとれており、この場にいるほぼ全員のアリバイが確認できたことになる。そう、柳沼ただ一人を除いて。
「さて、これでも言い逃れをしますか、柳沼さん」
 ぐうの音も出ないとはまさにこのことだろう。プルプルと体を震わす柳沼の姿は、まさに負け犬のそれだった。誰もが柳沼の弁解を待ちわびているであろうその時、意外なところから横槍が入った。
「あのー、お取り込み中申し訳ありません、警部」
 それは今までどこにいたのか、随分と気弱そうな警官だった。
「なんだ牛尾。用事なら後にしろ」
 牛尾と呼ばれたその警官は、秋捨警部の言葉におどおどしながらも、答える。
「はー、そう思いまして、さっきまでずっと待っていたんですけれど、流石にそろそろ彼女を待たせるのも悪いかと思いまして……」
「彼女だと? 一体誰が待って……」
 牛尾さんが示す方向を見た瞬間、秋捨警部の言葉が止まる。つられて視線を向けた僕たちもまた同様に絶句する。
 そこにいたのは高山さんだった。
「はあ、何でも彼女、忘れ物があって、それを取りに戻ってきたらしいんですが……」
 ここにいた人については、皆のアリバイが確認されている。そう、ここにいる人については、だ。既に帰った人物についてのアリバイは確認されていない。
「……さて、君はどれくらい今の話を理解しているんだい?」
 秋捨警部がそれまでとはうってかわった親しげな口調で問う。
「そうですね、アリバイが無いのは柳沼先生と私だけだって程度には話を理解していると思います」
 それを聞いて秋捨警部は深いため息をつくと、皆の方を向きなおってから告げた。
「皆さん、今日のところはお帰りいただいて構いません。後日、また詳しい話をお聞きすることになりませんが、その時はご協力お願いします。ああ、高山未羽(みう)さん、君は残ってもらえるかな」
 それは考えうる限り最悪の展開だった。

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カノン 事件編その5
 警察の目をかいくぐって、物置に滑り込む。もちろん灯りはつけられないので、雑多な部屋に置かれた数々の荷物を蹴飛ばさないように注意しながら、壁際へと歩む。
 この物置は隣の部屋の様子が見られるようにのぞき穴がついていて、会話の内容もそれなりに聞き取れる。そしてその隣の部屋である会議室には、高山さんが一人で座っている。本当なら、会議室から見て逆隣になる現像室――そちらの方が会議室の様子が見やすく、物も少ない――に入りたいところだけれど、あそこは鍵がないと入れないから残念ながらお預けだ。
 それにしても、本当に完全に失念していた。さっき確認してわかったことだが、高山さんは僕がトイレに行っている間に一足先に下校していたらしい。そのせいでそれに気付けなかったのは、あまりに手痛いミスだ。
 さっきの秋捨警部の様子なら、高山さんを犯人だとは思っていないだろうが、時と場合によっては部屋に飛び込んで、軌道修正を試みる必要があるだろう。
 そんなことを考えているうちに、あまり待つことなく、秋捨警部が入室してきた。随分と険しい顔をして、高山さんの向かいの席に着く。それはそうだ。ほとんど解決しかけていた事件に、突然降って湧いた容疑者だ。決して歓迎できる存在では……
「いやー、久しぶりだね、未羽ちゃん! 元気にしてた?」
 開口一番、破顔して問う。
 あれ? なんだか親しげ?
「ええ、おかげさまで、ここ暫くは平和に暮らせていましたので」
 こちらからでは丁度背になっていて表情は見えないが、それに答える高山さんの声は、大分リラックスしているように聞こえる。
「そうかそうか……一年半ぶりになるのかな? いやいや全く、何事も平和が一番だ。こんな職業に就いていると常々思うよ。晴一君と未加ちゃんは元気かい?」
「晴一はこの学校に通ってますよ、未加の方はここには通っていませんけれど。ちなみに後学のために、どうして私が未加である可能性を考えなかったのか、その理由を教えていただけると助かるのですが……」
「……ハハハハハ、それはまたいつか、ね」
「……ええ、どうせ、私はどうせ暗いですとも、未加と比べればね……」
 秋捨警部の乾いた笑いから何かを読み取ったのか、ふて腐れたように高山さんが返答する。
 どうやら二人は以前からの知り合いらしい。なんだか今までの緊張が、一気に薄れてしまった。それに合わせて、ふと先ほどの秋捨警部の言葉を思い返す。
『ああ、高山未羽さん、君は残ってもらえるかな』
 ……そういえば秋捨警部は、高山さんの名前を聞く前に、フルネームで彼女の名前を呼んでいた。彼女のことを知っていたという何よりの証拠ではないか。
 僕が心配するまでもなかったのだ。つまり秋捨警部は、単に高山さんと話がしたかっただけだということだろう。職権濫用も甚だしい。
 ……なんだか馬鹿らしくなってきた。帰ろっかな。半ば本気でそんなことを考えていたときだった。
「それで、警部。まさか私と単なる世間話がしたくてこんなところに呼び出したわけじゃありませんよね?」
「ああ、もちろんそんなわけない」
 部屋の空気が一変するのが分かった。痛いほどに真剣な気迫がこちらまで伝わってくる。
「単刀直入に聞こう。未羽ちゃんはこの事件、どう思う?」
「そうですね、ほとんど全てを理解していると思いますよ」
 それは一切の淀みも気負いもなく、ただ自信によってのみ構成された一言だった。それゆえに理解する。これが高山さんの本領なんだと。
「ほとんど全て……と来たか。具体的にどれくらい分かってるんだい」
「そうですね、具体的に言えば……」
 少し間を置いてから、高山さんは一息で告げた。
「犯人の本当の狙いはなんだったのか、なぜ柳沼先生に不利な状況証拠ばかり出てくるのか、柳沼先生が犯人でないのならいかにして犯人はアリバイを手に入れたのか、それらのことなら全部分かっちゃっています」

 想像でしかないが、今の僕の表情は、秋捨警部と似たような表情をしているのではないだろうか。だって、あれだけ自信有りげにこの事件の全てを解き明かしたと言ってみせる彼女の顔を見たら、誰だって僕みたいな表情をすると思う。鏡が無いから、それがどんな表情かは分からないけれど。
「そうですね、少し面倒ですが、仮説を一つずつ立ててそれを打ち破る形で答に近づいていきたいと思います」
 普通の教室よりやや広めの会議室は、いまや完全に彼女のテリトリーとなっていた。これは教室では伺えない、彼女のもう一つの一面……いや、むしろ教室での彼女こそがもう一つの一面なのだろう。目に妖しい光を湛えて推理を披露する今の彼女こそが、本当の彼女だと考える方がしっくり来る。
「まずは一番却下されるべき仮説。柳沼先生が犯人であるパターンです」
「な、え、それが最初なのか?」
「当然でしょう。そもそも警部がこんな脇道に入らなければ、そもそも私がしゃしゃり出る必要も無かったんですよ」
 ため息を一つつくと、すぐに高山さんの推理は再開される。
「だって山崎先生は柳沼先生のライターを持っていたんですよ。柳沼先生が犯人だったら、そんなことは有り得ない」
「何だって? 逆じゃないのか? 山崎碧さんがライターを持っていたからこそ、犯人が柳沼だっていうならともかく……」
「警部、何を寝ぼけているんですか。自分で言ったことをもう忘れたんですか?」
「へ?」
「犯人は何らかの時限装置が自動装置を用いたんでしょう? その場にいない犯人の持ち物を、なんで被害者が持っているんですか?」
「あ!」
 盲点だった。自分も同じだけの情報を与えられていたのに、そんな方向には発想が及ばなかった。
「だ、だが、もしかしたら、柳沼が自分が罠にかけられたと見せかけるためにわざと山崎碧にライターを持たせたということも……」
「百歩譲ってそんなことがあったとしても、それなら柳沼は自分以外の人間のアリバイをあやふやにしなくてはいけません。彼は特別校舎の管理人として、特別校舎から皆を追い出すことでそれを実行することが可能でした。しかしそれをしていませんし、それに類することもしていません。結果として、実際に、私と彼以外の皆にアリバイができあがってしまっています」
 そうか、皆にアリバイがあることが、逆説的に柳沼が犯人でないことを証明しているのだ。
「では次に、誰かが柳沼に罪を着せようとしていたとする仮説です」
「お、おい待て、その仮説が二つ目ってことは、まさか……」
「はい、これも有り得ない仮説です」
 秋捨警部が頭を抱える。当たり前と言えば当たり前だろう。柳沼が犯人でないというなら、それが警部にとって次点の仮説だっただろうから。
「根拠は二つあります。一つは先ほど述べた、ライターの無意味さ。これについてはもう語る必要は無いでしょう。そしてもう一つがやはりアリバイの矛盾です」
 ここでもアリバイが関係するのか。
「今度は逆に、柳沼以外のアリバイが美術部以外は偶然作られたものであることが問題になります」
 先ほどの事情聴取で分かったことだが、カードゲーム部にも山崎先生が六時前に訪れ、皆の前で時間を確認したからこそ、カードゲーム部の部員にもアリバイが確保されているらしい。言い忘れていたが、山崎先生はカードゲーム部の顧問でもある。おそらくうちのクラスの文化祭準備の進行具合を見るついでに、カードゲーム部のそれも確認していたのだろう。
 美術部については、柳沼先生が美術室を出ることが実質的に時報の役割を果たすのが日課になっているので例外だ。
 つまり、一年二組とカードゲーム部は山崎先生がいたからこそ、アリバイが確保されたに過ぎない。もし犯人が柳沼先生に罪を着せたいなら、彼らには十分なアリバイを確保してやる必要があることになる。
 そういったことを秋捨警部に告げた上で、高山さんはついでに、と言った感じで補足する。
「もっとも、この考え方だと、山崎先生が犯人である可能性を多少なりとも残してしまうんですけれどね」
 苦笑交じりでそんなことを言われて、立ち上がりそうになるのを必死にこらえ、話の続きを聞く。
「それは違うというのかい。今の話だと、他の人のアリバイを確保しているんだから、彼女は条件を満たしているように思うが……」
「ええ、確かに。ただ、個人的な観点で言わせてもらえば、山崎先生にはそんなことをする動機が無いんですよ。例えば、柳沼先生がしつこくつきまとってくるのを嫌って、彼を社会的に抹殺するためにこんなことをした……ってのが、動機としては一番考えやすいと思いますけれど、そういうことをする人じゃないんですよ、山崎先生は」
 僕が思っていた以上に、高山さんが山崎先生のことを知っていたことにホッとする。
「あと一応言っておくと、山崎先生、私たちにあまり帰りが遅くならないようにって言ってるんですよ。これだと私みたいに早々と帰る人がもっと出てもおかしくなかった。まあ結果的にはそんなのは私だけだったわけですし、根拠として薄いのは認めます。これから話す私の推理が納得いかなければ次点として採用していただいても構いません」
 僕としては全然構わなくないが、おそらくはそういうことにはならないだろうと思う。彼女の自信に満ちた顔を見ればそう思わずにはいられない。
「では長くなりましたが、いよいよ本題に入ります」
 そして長い前置きを終えた彼女の推理がいよいよ本題に入る。
「私のここまでの推理は、実はある暗黙の前提の下で構築された推理でした。その前提が秋捨警部にはあまりにも当然のように思えたせいで、それに気付けていなかったようでしたけれどね」
「暗黙の前提だって?」
「ええ、結果に囚われすぎたせいで陥ってしまったちょっとした罠ですよ、皮肉なことにその誤りを正すヒントは柳沼先生によって語られていたんですけれどね」
 柳沼の言葉の中あるヒント……心当たりは一つだけある。
「そしてその暗黙の前提を打ち破ることができたなら、この事件はもう、ほとんど全て分かったも同然です。例えば……犯人にアリバイがないこととか、ね」
「何だって? 犯人にアリバイがない?」
「ええ、ありませんよ。犯人は存在しないアリバイを、自分が思ったとおりのことを証言することで、あるように見せかけただけに過ぎないんです。そうよね?」
 不意に、自分に向かって話しかけられた気がして息を呑む。いや、まさか、そんなことがあるわけが……
「聞いているんでしょう? 大佛観音君?」

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カノン 読者への挑戦
さて、ここまで事件編を読んでいただいたわけですが、いかがでしたでしょうか?

果たして未羽の最後のセリフの真意は何なのでしょうか?

言葉通り、彼が犯人なのか? それとも……

と、皆さんの気をひけたことを切に願いつつ、推理クイズのお時間です。

Q1.今回の事件の犯人は誰か?

Q2.Q1.の回答で述べられた人物がアリバイを所持しているならば、そのアリバイは如何にして手に入れられたものなのか。

オマケ:Q1.とQ2.に属さないトリックについて答えよ。

今回の難易度はおそらくかなり低いです。

たった一つのことに気付けば、後は大盤振る舞いの伏線を拾っていけばそれで終わりです。

逆に、ある一つのことに気付けないと、ちょっと辛いかもしれません。

回答方法はmarrl117@yahoo.co.jp(@は小文字)にメールを出すか、その他何らかの個人的手段による連絡でお願いします。

ようはコメント欄にネタバレ……なんてことをしなければ、方法は問いません。

参加賞として、解答編の文章をお送りするともに、独断と偏見による成績優秀者には豪華賞品が! あるかもしれませんしないかもしれません。

その時の気分によります。

何はともあれ、ちょっと具体的な読者数を把握するための試みとして受け止めていただけると幸いです。

気が向かれた方は、お気軽にどうぞ。

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カノン 解決編
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