「メビウスの輪」の表側
福岡の某大学に通う学生が、日々のどうでもいいことを備忘録代わりに書き記したり、オリジナルの推理小説を中心とした様々な小説をを発表したりするブログです。
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悪魔に会うために 第1章 In my room
 第一章 In my room

「光一ー、そろそろ起きなさーい」
 階下からの母さんの声に目を覚ます。首を反らせてベッドの外枠に置いてある時計に目を向けると、時刻は既に十二時を回っていた。
「寝すぎたなあ……」
 寝ぼけた頭のままひとりごちた第一声はそれだった。しかし段々と覚醒するにつれ、満更寝すぎたわけではないことに気がつく。なぜなら昨日――正確には昨晩から今朝にかけて――「大学に入る前に一度くらいは挑戦しようじゃないか」という政史の提案で、初めてカラオケのオールに挑戦した結果、ベッドに入り込んだのは七時前だったのだから。睡眠時間五時間強は、むしろ最近の自分にしては少ない。大学に入ったら、毎日こんな感じになるんだろうか。
 そんなことをぼんやりと考えつつ、伸びをしながらゆったりと上半身を持ち上げると、違和感を覚えた。何かがいつもと違う。
 なんだっけ。
 ああそうか、日光だ、と考える。いつも通りの時間に起きれば、上半身を持ち上げたとき、開け放たれたカーテンから差し込んだ日光が丁度顔の辺りに当たり、俺の重いまぶたをこじ開ける手助けをしてくれる。
 だが今朝(正確にはもはや朝ですらない)はいつもより起きる時間が遅かったから、そういうことにはならなかったんだ、と勝手に納得していると、
 
 視界にセーラー服が入った。

 ん? 今のは一体? そんな単純な考えでセーラー服が視界に入った方向――つまり部屋の反対側に目を向ける。そして俺の認識は良くも悪くも間違っていたことを知る。
そこにはセーラー服が雑然と置かれていたわけではない。とはいえ、セーラー服が無かったといえば嘘になる。回りくどい言い方をしたが、話は単純だ。

そこには単にセーラー服があったわけではなく、セーラー服を着た少女が眠っていたということだ。

 さらに悪いことに、その少女は年齢は俺と同じくらいで十八歳前後と思われ、ショートカットで、目は閉じているからはっきりとはわからないが、まつげは長すぎず短すぎず、整った鼻筋に、全体的に小さめの顔にフィットした小さめの唇を持っていたのだが、俺はそんな組み合わせの顔つきを持った少女を今まで見たことはなかった。

 一言で要約しよう。ある日、俺の部屋に、何の前触れもなく見知らぬ少女が現れたのだ。

 そこまで考えて、一気に目が覚める。
 これは一体どういうことだ?
 視線を彼女に釘付けにしたまま、いくつかの可能性を考える。
 目が覚めたという事実と矛盾するが、真っ先に考えたのがこれが夢である可能性。
 そこで自らの頬をつねってみる。それほど鋭い痛みではないが、痛みは間違いなくある。やはり夢ではないらしい。なぜ頬をつねるという手段が、夢かどうかを確かめるための手段の代名詞になったのだろうと現実逃避ができるほどだ。
 次に考えたのは妹の春奈のイタズラである可能性。
 だがさすがにこれは却下していい案だろう。あいつがイタズラ好きとはいえ、いくらなんでも兄の部屋に制服を着たまま眠っている少女を入れるなんてことはしないだろう。というか、そんなことをすることがあれば、もはやそれはイタズラと呼べたものではない。
 俺が次なる可能性を検討しようとしていると、少女の体が動いた。俺がこのまま彼女を見つめ続けていいものかどうか逡巡しているうちに、彼女の目がゆっくりと開かれていく。
 結局、俺は彼女から目を逸らすことはできなかった。ショートカットの髪のすきまからこぼれる、彼女の意志の強さを感じさせる瞳は、俺が目を逸らすことを許してくれなかったからだ。
 彼女が目を開けたところで改めて彼女の印象を端的に表すなら、それは「美麗」。そしてそれを象徴するのが、先ほどまで閉じられていた彼女の瞳だった。ただきれいなだけではなく、凛々しさも兼ね備えたその瞳は、まさに「美麗」と呼ぶに相応しかった。
 そう、俺は彼女の、とりわけ瞳をじっと見つめていた。そんな時に彼女が顔を上げれば、必然的にある状態が導かれる。
 俺と彼女の視線がぶつかった。
 俺は言葉に詰まる。さて、何から聞くべきか。いや、しかし彼女が現状を理解しているとは限らない。やっぱり最初は無難にあいさつからか?
 彼女は彼女で、目を見開いたまま、何も言ってくれない。

 暫しの沈黙。

 先に沈黙を破ったのは、彼女の方だった。慌てて居住まいを正すべく正座すると、
「あ、えっと、すみません、いきなりこんなところに現れたりして。驚かれたでしょう?」
 そう尋ねてきた。
 どうやら少なくとも彼女は現状を理解しているようだった。さっき懸念した、彼女さえも現状を理解していないという最悪の状態は回避されたようだった。
 それにホッとしたからか、彼女につられる形でベッドの上で正座しながら、
「まあ驚いたかどうかといえば驚いた」
 とひどく間抜けな返事をしてしまう。返事ついでに、なんとなく自分が寝間着のままであることがひどく申し訳ないことであるような気がしてくる。そんな俺の様子を見てクスリと笑うと、彼女は言った。
「思ったより落ち着いていらっしゃるんですね、木山光一さん」
「いや、落ち着いているというよりはこれ以上ないくらい驚いて、もはやリアクションをとることができないというかなんというか……」
 そこまで言ってはたと気づく。彼女は俺の名前を知っている。俺は彼女のことを少しも知らないが、彼女は俺のことを知っているようだった。どうやら現状もある程度は理解しているようだった。
 この混乱しきった状況をいち早く理解するためには、彼女から話を聞くのが手っ取り早く、かつ確実な方法であるらしい。そう思い当たった俺は、彼女に質問をぶつけることにしたが、寝起き直後でかつ混乱しきった頭で導き出せる答えは非常にちんけなものだった。
「てか、君は、誰?」

 その一言、たった一言で彼女は寂しげな表情を浮かべたように見えた。

だがそれは本当に――本当に一瞬のことで、すぐに何事も無かったかのように笑顔を見せて彼女は答える。
「そうですね、ではまずは自己紹介から。私の名前は薗部佳歩です」
「薗部?」
「はい!」
 彼女の顔が希望に溢れる。その意味も分からないまま、俺は思ったことを素直に口に出す。
「薗部ってことは、お前はほのかの親戚か何かなのか?」
 薗部ほのかは家の二軒隣に住んでいる、まあ言ってしまえば幼なじみってやつだ。確かに言われてみれば、どことなく彼女はほのかに似ているような気がしないでもない。どこがと具体的に問われると困るのだが――
 だがそんな俺の問いに、彼女はとても残念そうな表情を見せつつ、それでも笑顔でポツリと呟いた。
「やっぱり、私のことなんて覚えていてくださらなかったんですね」
 そのとき初めて俺は、彼女と今までどこかで会ったことがあるような気がした。それもそんなに最近のことではない。むしろ、何年も前にどこかで――
「俺は……お前と会ったことがあるのか?」
「いえ、ありませんよ」
 あっさりと彼女は否定する。
「え?」
 それなら、さっきの呟きは一体どういう意味だというのだろう。
「会ったことはありませんけれど、あなたは私のことを知っているはずです。現に今、私のことが見えているし、私とこうして話しているでしょう?」
 混乱は解消されるどころか、ますます深まっていく。
「何の話だ? なんでお前と話していることが、お前を知っていることの証明に――」
 言いかけて気づく。
 いや、別に彼女の発言の意味するところに気づいたわけではない。俺が気づいたのは、誰かが階段を上ってくる足音だった。急ぐでもなく、ゆったりと踏みしめるようなその足音は――
「母さんか……」
 扉の方に視線を移しつつ、母さんが彼女のことを知っている可能性を考慮する。彼女の正体云々に気をとられて忘れていたが、そもそも彼女がどこからどうやってこの部屋に入ってきたのかを、俺は知らない。別にこの部屋には鍵はついていないから、母さんか春奈の手引きがあれば、俺の部屋に入るのは苦もない。しかし俺の直感は、彼女は母さんや春奈の手を借りることなくこの部屋にやってきたと告げている。それに、あえて彼女がどちらかの手を借りたとするならば、それはきっと春奈だろう。即ち、母さんは彼女のことを知らない。
 俺がその結論に至ったのと、部屋のドアノブが下がるのはほぼ同時だった。当然といえば当然である。我が家の構造は、未来から来た某猫型ロボットが居候している家とほぼ同じであり、階段の段数なんて大したことはない。俺が足音に気づいた時点で、考える時間なんてあってないようなものだったのだ。
 扉が開ききる前に、さっき以上のスピードで現状を考察する。
 主観的に見れば、俺は、いつの間に部屋に入り込んだのか分からない少女を前にうろたえる一学生に過ぎない。だが客観的に見ればこの状況は――目を覚ましたばかりの時間に、自分の部屋で同じ年頃の異性と一緒にいるなんて状況は――
 結論が出る頃には、扉は開ききっていた。母さんと目が合う。
 さて、俺は一体どんな言い訳をすればいいんだ? 正直に何も分からないと言えば、俺はこのどうしようもない現状を打開できるというのだろうか。俺がなんと言えばいいのか迷っているうちに、母さんが先に口を開く。

「なんだ光一、起きてたんならさっさと降りてきなさい。昼ご飯用意してあるから」

 母さんの言っていることが、理解できるがゆえに理解できなかった。母さんは彼女のことを気にもかけていないようだった。いや、気にかけていないというよりはむしろ気づいていないというかなんというか……
 ハッと、そこでさっきの彼女の言葉を思い出す。

「現に今、私のことが見えているし、私とこうして話しているでしょう?」

 まさか、俺は彼女のことをたとえ今は忘れているにしても、知っている。だから、彼女の姿を見たり彼女と会話できたりするんであって、母さんは彼女のことを知らないから彼女のことが見えない――そういうことだというのだろうか?
「多分、今お考えの通りですよ」
 声の方を見ると、これでわかってくれましたか? と得意げな表情を見せる、彼女の姿があった。春奈、他多数が証言するところによると、俺はすぐ顔に考えていることが出る性質らしく、これはそんな俺の性質を示すモデルケースと言えるかもしれない。
「どうしたの、光一、そっちに何かいるの?」
 そんなことを考えつつ、今度は母さんの声の方を見る。母さんは母さんで、彼女がいる方向を見てはいるものの、本当に彼女に気づいていないらしく、首を傾げてから再びこちらに視線を向ける。
「そういえば、どうして正座なんかしてるの?」
「あ、いや、別に深い意味はないよ」
 足をくずしながら母さんの顔をじっと観察する。とぼけているようには見えないし、やっぱり母さんは本当に彼女のことが見えていないようだ。
「ふーん、そう。じゃあ昨日も言ったとおり、母さんはそろそろ出かけるから、ちゃんと昼ご飯食べときなさいね」
 そう言ってドアを閉めて階段を降りていく。
 足音が聞こえなくなってから、再び視線を彼女に戻す。
 起きてから容易には理解できない事態が起こってばかりだったが、今のは本当に理解できなかった。だが、さっきよりはマシに頭が働いてくれた結果、俺は我ながらなかなか上々な質問をすることができた。
「最初から、順を追って説明してくれないか」
 彼女はコクリと頷いた。

「では改めて自己紹介させていただくと、私の名前は薗部佳歩です。服装を見ていただければ分かると思いますけれど、鶴畑高校の生徒です。いえ、生徒でした、という表現が適切かもしれませんね」
 一瞬、それは自分と同じようにこの春で高校を卒業したってことだろうかと考える。が、さっきのことを思い出してもっと納得の行く説明に思い至る。
「なんせ私は、もう既に死んでしまっているのですから、鶴畑高校の生徒って表現には語弊がありますよね」
 やっぱりというかなんというか、彼女はこの世の人ではないらしい。
「つまり……あれか、お前は幽霊だってことなのか?」
「それはそれで語弊がある気がしますけれど、そう考えてもらって構いません」
 幽霊……か。そう呼ばれる存在に遭遇したのが生まれて初めてであることを差し引いても、どうもピンとこない。なんと言っても彼女の存在感が有りすぎるのが問題だ。足もあるし、透けてもいない。これで幽霊と言われても、どうにもすっきりしない。
 とはいえ、彼女がそういった存在の一種であるらしいということは、さっきの母さんの反応からして間違いないだろうから、納得せざるを得ない。
「ちなみにさっきもチラッと聞いたが、お前はほのかの親戚か何かなのか?」
 さっき聞いたときは有耶無耶になってしまった質問を、改めて投げかける。
「いえ、親戚……というわけではありませんね。無関係というわけでもないですけれど」
 言葉を選ぶようにしながら、彼女はそう告げた。
「無関係じゃない……か、具体的にはどんな……」
「言えません」
 それまでの慎重な、どちらかといえば低姿勢な物言いからはかけ離れた、やけにきっぱりとした口調で話が遮られる。その勢いにたじろぎつつも、問う。
「言えないって……どうして?」
「それが『ルール』だからです」
 噛み締めるように、彼女は『ルール』という言葉を使った。
「『ルール』って、一体何の?」
「それは……うん、やっぱり順番に話した方が分かりやすいと思うんで、先に私がどうしてここに現れたのかを説明したほうがいいかと思うんですけれど……」
 確かにそれは、ぜひとも聞いておきたいことではある。何の理由もなく、伊達や酔狂でいきなり部屋の中に幽霊が現れた……ってんじゃ、納得できるものではない。
「それが先のほうが分かりやすいっていうのならそれで構わない。先に話してくれ」
 俺が思いつく限りでは、幽霊が現れる理由の定番は、この世の未練を晴らすためだ。だとすると、この薗部佳歩と名乗る少女もまた、この世になんらかの未練を残しているということなのだろうか。
 俺の返事を聞くと、彼女はコホンとわざとらしく咳払いを前置きにして、告げた。

「私がここに現れたのは、私を殺した悪魔に会うために……もっと正確に言うなら、悪魔に会ってある人の名前を言わせるためなんです」

 気が遠くなりそうになる。サラリと自分は殺されたと言ってのける彼女に、そして幽霊の次に悪魔がお出ましするという事態に。果たして俺は、どこまで彼女の話を信じていいのだろう。
 空耳の可能性を考慮して、あえて尋ねる。
「……お前を殺した悪魔に会って、ある人の名前を言わせる?」
「はい、その通りです」
 躊躇なく返事されてしまった。悪魔の存在が仮に彼女にとって日常的であったとしても、せめて自分が殺されたという事実に対してはもう少しためらいがあっていいのではないだろうかと思いつつ、あえて聞く。
「念のために確認しておくと、その悪魔ってのは本当の本当に悪魔なのか?」
「あ、正確には勿論『悪魔のような人』って意味ですよ。他にもいくつか呼び名みたいなものがありますけれど、ややこしくなりますし、とりあえず『悪魔』って呼ぶことにさせてください」
 少しホッとする。この少女の存在自体肯定していいものかどうか悩みどころだが、さらに悪魔まで肯定させられた日にはたまらない。
 ただ冷静に考えれば、彼女がその誰かのことを、『悪魔のような人』と形容するのも当然のことかもしれない。彼女はその悪魔に殺されたと言った。誰だって、自分を殺したやつのことを、悪魔呼ばわりしたくもなるだろう。
「で、その目的がどういう風に『ルール』ってのに繋がる……」
 途中までいいかけて、また気づく。
 今度はバタバタと小走りの足音だった。こんな足音をたてるのは、我が家において一人しかいない。
「次は春奈か……」
 ぼそりと呟く。さっきのように慌てることはない。春奈にも彼女の姿は見えないだろうから、ゆったり構えていればいい。そう考えながら、ドアの方へ視線を向ける。
 ……でも春奈が彼女のことを知ってたら、見えちゃうんだっけ。
 そう思い当たるのと、ドアが乱暴に開かれるのはほぼ同時だった。
「光一ー、休みだからっていつまで寝て……」
 最後まで言わずに、春奈の視線が彼女とぶつかる。

 暫しの沈黙の後――

 ドアは乱暴に閉められた。春奈には全力で見なかったことにされてしまった。
 ……春奈にも彼女の姿は見えるのか……
「ちょ、ちょっと待った!」
 慌てて立ち上がり、ドアを開ける。そこにはまだ呆然と立ち尽くしたままの春奈がいた。
「誤解するなよ、春奈。言っておくけどあいつは……」
 そこで言葉に詰まる。なんと言えばいいんだろう。
 結局さっきは言い訳を考える時間はなかったわけで、おまけに俺が彼女について知っている情報はまだ決して多くはない。その情報を全てそのまま伝えたところで、何の説明にもならないだろう。
「べ、別にいいんじゃないの、光一も四月から大学生なんだし、彼女の一人や二人連れ込んだって……」
 らしくない気の回し方をされて、逆に困惑する。てか、大学生だろうとなんだろうと、彼女を二人連れ込んだらまずいだろう。
「だからー、あいつはそういうのじゃなくて……」
 言いかけた俺を遮ったのは、階下から聞こえてきた電話のベルだった。
「あ、あたし電話に出てくるよ!」
「あ、おい、待てよ!」
 これ幸いといわんばかりに、春奈は、止めるのも聞かず、振り返ることもせずに階段を駆け下りていく。
 まあ電話を無視するわけにもいかないし、どうせここにいたって俺にまともな説明ができたわけでもないだろうから、ある意味正しいっちゃ正しい選択なんだろうけれど。
 釈然としない思いを抱えつつ、ベッドに戻る。
 さて、どこまで話していたかなと考えていた俺に、彼女はとんでもないことを言ってのけてくれた。
「春奈さんって、光一さんのお姉さんだったんですね」
 彼女の顔を見る。嫌味など少しも感じられない、純粋に、新たな発見を喜ぶ表情だった。それだけに効果は抜群だった。
 深いため息をつきつつ、かなり久々のその言葉を告げる。
「……春奈は、俺の姉じゃない……妹だ」
「え!? だってあのしんちょ……」
 最後まで言わずに口を噤んでくれた心遣いが逆に悲しい。
 そう、俺の身長は一七〇センチ強と、この年齢としてはまずまずの身長なのだが、いかんせん春奈の身長が一八〇センチ弱とでかすぎるのだ。結果として、俺は二つ年下の妹に、背の高さで負けてしまっているのである。我ながら不甲斐ないことこの上ない。
 昔はそのことが原因で、いろいろな場で俺の方が年下に見られてしまっていた。最近ではそういう機会――春奈と一緒に、自分たちのことを知らない誰かと会う機会――がほとんどなかったので、妹より年下に見られるという精神的ダメージは忘れかけていたダメージだった。というか、正直、できればこのまま永久に忘れておきたいダメージだった。
「あ、あの、すみません、失礼なことを言ってしまって……」
「いや、いいんだ……あいつの方が俺より背が高いのは事実だし、いつもあいつは家の中じゃ俺のこと呼び捨てにしているし……」
 もう一度深いため息をつきつつ、改めて彼女と向き合う。
「まあとりあえず、あいつに説明ができる程度には、お前の話を聞いておこうか。さっきから言っている『ルール』ってのは何のことだ?」
「あ、そうですね、そもそも私が悪魔にある人の名前を言わせなくちゃいけないのは……」
「おにいちゃーん、電話ー、ほのかさんからだよー」
 今度は春奈の大声で話が遮られる。さっきから遅々として話が進まない。
 イライラしながら、後でかけなおすように伝えてくれ……と言いかけて気づく。このタイミングでのほのかからの電話は果たして偶然なのだろうか。もしやほのかは彼女のことについて何か知っていて、それで電話してきたのではないだろうか。
 そうでないにしても、ほのかが彼女のことについて何かを知っている可能性は高い。何せ苗字が同じなのだ。何らかのつながりがあると考えるのが無難だろう。実際さっき彼女自身も、親戚ではないものの無関係ではないと言っていた。
 それに正直、彼女の話を自我を保ちながら一人で聞くのは、段々きつくなりつつある。ここで気の置けない仲の友人を巻き込むのも一つの手かもしれない。
 そこまで思い至ると、「ちょっと待ってくれ」と彼女に告げてから、俺は階段を駆け下り、春奈から受話器を奪い取る。
「もしもし、ほのかか? 今からすぐそっちに行くから、ちょっと待っててくれ」
『え? 今から来るって、別にそんなわざわざ来てもらうほどの用事じゃ……』
「俺の方にわざわざそっちに行かなきゃいけない用事があるんだよ。そうそう、春奈とあともう一人連れて行くからそのつもりで」
 後ろから「ちょっと、なんであたしまで」という抗議の声が聞こえるが気にしない。
『ちょっと、突然そんなこと言われても……』
「じゃ、また後で」
 みなまで言わせず、電話を切ろうとして、一つだけ最後に確認しておくことにした。
「ちなみにお前、薗部佳歩って名前に聞き覚えはあるか?」
『佳歩? さあ、私の知り合いにはいないと思うけれど……』
「そうか、それならいい」
 やはりというかなんというか、ほのかが彼女のことについて何かを知っている可能性についてはあまり期待できないなと思いつつ、電話を切り、すぐに横にいる春奈に聞く。
「母さんはもう出かけたか?」
「とっくにね、でもどうしてあたしまでほのかさんの家に……」
「すぐに準備しろよ、俺も準備するから」
 言い捨てて今度は階段を駆け上がる。
 部屋の中ではさっきから正座を崩さないままの彼女がいた。
「予定が変わった。今からほのかのところに行くことにしたから、話の続きは行きがけと向こうで頼む」
 告げながら、たんすの中から着替えを取り出していき、じっとこちらを見つめる視線にハタと気づく。
「ついては着替えなくてはならないので、部屋の外に出てもらえると助かるのだが……」
「ああ、そういうことですか」
 ポンと顔の前で両手を叩くと、彼女はいそいそと開け放たれたドアから部屋を出て行く。
 彼女が部屋を出ると、俺は扉を閉め、さっさと着替え始めた。



 後から考えると、この時の会話には不可思議な内容ばかりでなく、不自然な内容も随分含まれていた。
 しかし信じられないと心の中でぼやきつつも、無意識のうちに彼女の話を全面的に信じている自分がいたこと、そしてなんだかんだ言いつつ彼女の助けになろうとしていた自分がいたことは、否定しがたい事実である。
 そしてそれもまた、ある意味では、俺が彼女のことを心の中のどこかでは覚えていたというささやかな傍証になるのかもしれない。
 もっとも、それもその時点では全く意味をなさないことではあった。
 そう、悪魔にある人物の名前を言わせるための四日間において、俺が彼女のことを心の中のどこかで覚えていたなんてささやかな事実は、それだけでは本当に少しの意味もないことだった。
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