「メビウスの輪」の表側
福岡の某大学に通う学生が、日々のどうでもいいことを備忘録代わりに書き記したり、オリジナルの推理小説を中心とした様々な小説をを発表したりするブログです。
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悪魔に会うために 第3章 To the memorable places
 第三章 To the memorable places

 目覚ましの音で目を覚ます。
 上半身を起こすと、常のように日光が当たり、俺の重たいまぶたをこじ開ける手伝いをしてくれた。
 現在時刻は三月二十九日の午前七時。集合時間まではまだまだ余裕がある。
 そう、俺たちはこれから、昨日の政史の提案どおり思い出の場所を回ってみることにしたのだった。とりあえず今日のところは中学校と小学校(高校はバラバラなので必要ない)。それでも俺たちと薗部佳歩の関係性、ひいては悪魔の正体が分からなかったときは、またそのとき考える、という行き当たりばったりな要素の強い計画ではあるが、ほかにこれといった手がかりがないから仕方が無い。
 これらのことを漠然と決めていく上で問題になったのは、果たして薗部佳歩との接点が、俺たちの普段の行動範囲の中のものであるか、という点であった。彼女が着ている制服は鶴畑のものだし、鶴畑は公立だから、市外生の割合は決して大きくない。だから大丈夫だろうという大まかな見当はつけていた。
しかし結果的に、この見当は昨日の帰り道で、思わぬ形で裏づけされた。

 *

「そういえば、お前はこの後どうするんだ?」
「え、私ですか?」
 政史の提案が了承され、今日は時間が遅いからまた明日ということになり、さて解散となってからのことである。俺が薗部佳歩に問いかけると、彼女はそんな反応を示した。
「ああ、大体さっきまで気づかなかったけれど、俺たちと一緒にいるばかりでいいのか? お前だって家族はいるんだろう? 家族のところに顔を出すとか、やるべきことが他に……」
 最後まで言えなかった。彼女の顔が寂しさと悲しさが入り混じった表情になっていることに気づいてしまったからだ。
「……スマン、お前もしかして家族がいないのか?」
 俺は自分の浅はかな質問を恥じた。家族の下に戻ることは、俺たちの誰が言わなくとも、彼女自身が真っ先に考えたはずだ。それなのに彼女がそれを言い出すことが無かったのは、きっと彼女にそうできない理由があったからなのであろう。そう考えた上での謝罪だった。
「いえ、謝っていただたかなくても結構です、ご質問にはお答えできませんけれど……ただ、今の私が家族の下に戻ることができないってことだけはお伝えしておきます」
「ま、あたしでもあなたみたいなことになったら、ちょっと気軽には家族の前には姿を出せないかもしれないわね」
 どこから話を聞いていたのか、春奈が会話に入ってきた。だがその言葉で、彼女の家族がまだ健在であるという可能性にも思い至った。
「……そうか、俺たちでも幽霊ってことで充分驚いたけれど、それがよく見知った誰かだったら驚きはもっとすごいことになるわけだ」
 そうなると、自分が置かれている立場の説明は、俺たち以上に手間取ることになるだろうから、蘇るための条件を説明することもままならないわけだ…………いや、でも待てよ?
「そういえば、肝心なことを聞いていなかった」
「なんでしょう?」
 確かに、説明はままならないかもしれない。だが……
「お前が俺の部屋にやってきたのは、いつのことで、それはどうしてなんだ? あっと、これは答えられない質問だったりするか?」
 俺たちは、彼女のことを覚えてはいない。なぜそんな希薄な関係性しか持たない俺たちのところに、彼女はわざわざやってきたのだろう? 本当に蘇りたいのなら、自分のことをよく知っている人たちのもとに現れて――さらに言うならば、悪魔の正体を知っている人たちの前に現れるほうが効率がいいのは間違いない。
「いえ、別に構いませんよ。まず、あなたの部屋にやってきた時間についてですが、やってきた……というよりは、現れた……といったほうが正しいかもしれませんね」
「な……それって」
「はい、私がこの世に仮初の生を受けた今日の午前七時から、私はあなたの部屋にいたわけです」
「え!」
 やはり横で聞いていたのであろう、ほのかの驚きの声があがる。驚いたのはこちらも同じだ。それってつまり……
「つまりお前は、七十七時間って制限のうちの五時間近くを、ただ黙って俺の横に座って無駄にしたってことなのか?」
「無駄にしたって表現はどうかと思いますが……でも私なんかのわがままのために起こすのもどうかと思いましたし、それにグッスリ眠っていらっしゃる姿を見たら、やっぱり起こすのがはばかられてしまって……」
「そこで遠慮してどうする!」
「す、すみません……」
 恐縮する彼女を尻目にかぶりを振りつつ、こいつは本当に蘇る気があるんだろうかと考える。七時ってことは、俺が寝てすぐだ。まあ俺の頭が数分の睡眠で、すぐに正常な思考を取り戻せるほどに回復できるかといえば、それはできないだろうが、それにしたって五時間も黙って俺が起きるのを待ってたってのは馬鹿としか言いようがない。
 ……あ、そういえば俺が起きたとき、こいつ寝てたんだだっけ、じゃあ寝てた間は、俺を起こすこともできないから仕方がないか。
 って、いや、そもそも自分に七十七時間しかないってのに、その最初の数時間をいきなり寝て過ごすってのはどうだろう。それはそれでやっぱり馬鹿だろう。
 俺が結局こいつは馬鹿だという結論に至るとともに、おずおずと薗部佳歩が口を開く。
「あのー、続けてもいいですか」
「ん、あ、そうか、続けてくれ」
 そういえば肝心の俺たちの元に現れた理由をまだ聞いていなかった。
「私がここに現れた理由、それはここが一番悪魔に会いやすい場所だったからです」
 一拍、言葉に詰まる。言ってること自体はわかるのだが、その言わんとするところがわからなかった俺に対し、横の二人はちゃんと理解したらしく、なるほどと言った面持ちで首を縦に振る。
 俺が理解していないことを悟ったらしく、ほのかが説明してくれる。
「つまりさっきみたいにゲームで説明すれば、佳歩さんはいきなり最終ステージからスタートしている状態なわけよ」
 ああ……なんとなく言いたいことが分かった。そうか、まあ確かに七十七時間で悪魔を見つけて大切な人の名前を言わせる……なんて、土台無茶な話だ。
 もし仮にスタート地点が悪魔のいる場所から遠く離れてたりすれば、その時点でゲームオーバーが確定するおそれもある。そういった意味では、七十七時間という制限時間に対抗するために彼女が与えられたアドバンテージが、出現地点だったということだろう。おかげで彼女は一面からコツコツ攻略することなく、ラストステージに向かえるわけだ。
 ……おや? ということは……
「なあ、つまりそれって、やっぱり俺たちの行動範囲より外のことを考える必要はないってことじゃないか?」
 今度はほのかと春奈が、さっきまでの俺がしていたであろう表情を見せた。
「だから、俺たちが行動範囲の外にいるときに彼女のことを知ったって可能性よりは、彼女が自分の行動範囲を外れて俺たちの行動範囲に入ったときに、彼女のことを知ったって可能性が高いんじゃないかってことだよ。そう考えたほうが、俺たちのところに現れた理由が、悪魔に一番会いやすいからって言うのも納得できるだろう」
 二人とも、ああ、と納得の声をあげる。
「確かに裏づけとしては弱いけれど、それなりに説得力はあるわね、ほのかさんはどう思う?」
「私もその考えで良いと思うわ、これで明日の方向性にちょっと自信が出てきたわね」
 そう言ってほのかは微笑んだ。
 二人の賛同を得たことで、俺の期待は否が応でも高まるのだった。

 *

 そして今朝である。
 昨夜の夕食のときもそうだったが、今朝の朝食も心苦しいものがあった。
 何せ薗部佳歩はこの世の物に物理的に干渉できない。ゆえに当然食事をとることができないわけである。そんなやつを目の前にして自分だけ食事をする、というのは、なんとなく後ろめたさを感じずにはいられない。感じたところでどうしようもない、と分かっていてもだ。
 ちなみに言うまでもないことだが、彼女は昨夜春奈の部屋で寝た。流石に二日連続で目を覚ましたら少女が……って展開は心臓に悪そうだったので、それを避けられたのは素直に嬉しい。――なんとなく勿体無い気がするのもまた事実だが。
 それはさておき、そんなこんなの過程を経て身支度を整えると、俺たち――俺、春奈、薗部佳歩――は待ち合わせ場所へと向かった。
 待ち合わせ場所は昨日解散した日の出公園で、俺やほのかの家からは若干遠い。しかし俺たちの母校である東谷中学校への道のりと他の面々の住所を考えると、そこが丁度いい待ち合わせ場所だったので仕方がない。
 道すがら、昨日眠る前にふと疑問に思った質問をしておくことにした。
「一つ気になったことがあるんだが、聞いてもいいか」
「聞く分には構いませんよ、それが『ルール』に引っかかるようでしたらお答えできませんけれど」
 流石に『ルール』という言葉に違和感がなくなってきた自分の適応能力に半ば呆れつつ、とはいえ、やっぱりこんなこと聞いてしまっていいんだろうかと迷う自分を抑えて尋ねる。
「お前、蘇るって言ったけれど……お前が死んだってことは周りの人は皆もう当然知ってるわけだろう。蘇るったって、そこら辺の面倒ごとをどうやって処理するのか、お前は考えていたりするのか」
 それは昨日、彼女が家族の下に戻ることができないと言ったことに端を発する疑問である。つまり彼女は、家族に幽霊となった自分を見せることを恐れているのではないだろうか。だとしたらちゃんと(?)蘇ることができたにしても、それはそれで家族にとっては幽霊のようなものなわけで、やっぱり同様の問題に直面するだろう。
 別に俺たちがそこまで面倒を見る義理はないだろうが、手を貸せることがあるなら手を貸すべきだろうとは思う。そう考えたうえでの質問だったが、返答は意外なものだった。
「それについては心配いりません」
 彼女は本当に何の気負いもなく、そう告げた。
「あれ、そうなの?」
 思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。
「はい、私の大切な人の名前が分かれば、その理由もお分かりになると思いますよ」
 彼女の言葉にハッとなる。これって結構重要な手がかりではないだろうか。
 とりあえず今俺たちは悪魔の正体を突き止めることに躍起になっているわけだが、後々は彼女の大切な人の名前も突き止めなくてはならないのだから。
 …………でも、名前だけでどうして彼女が蘇った後のことが分かるって言うんだろう。
 俺は軽い困惑に陥るのだった。

ヒントの意味を吟味しているうちに、待ち合わせの十分前である九時五十分にはそこに到着することができた。待ち合わせ場所が待ち合わせ場所だったので、早目に家を出たのが功を奏したらしい。
 ただし、待ち合わせ場所にはまだ誰も来ていなかった。しかも結局待ち合わせの時間に間に合ったのはほのかだけで、政史と卓弥は揃って十分ほど遅刻してきたのだった。
「遅いぞ、二人とも」
「いんやー、調べ物をしてたらちょっと」
 政史がそう言うのと同時に、意味有りげに卓弥が視線を一瞬、薗部佳歩へと向けた。しかしそれだけで何も言わない。その意味するところは分からなかったが、具体的に何か言いたいことがある、という風でもなかったので気にせず話を進めることにした。
「まあいいか、じゃあまずは俺から報告しておきたいことがあって……」
 昨日の会話の内容をかいつまんで説明し、捜索範囲が俺たちの行動範囲内で良さそうなこと、そして先ほど得たばかりの情報である薗部佳歩の大切な人に関する情報を告げる。
「へえ、名前が分かればアフターケアの保証書が付いてくるってわけなんだね、そりゃすごい」
「そのたとえはどうかと思うが、そういうことになる。政史はそれで心当たりがあるか?」
「いんや、残念ながら」
 大きくかぶりを振って、政史は否定の意を示す。
「皆は?」
 他の皆も、やはりパッとは意見が浮かばないらしく、発言の気配を見せない。ただ一人を除いて――
「つまり、彼女が死んでいたという事実をなかったことにできるというのなら――」
 卓弥だ。
「要人じゃないか?」
「要人って、具体的に言うと?」
 俺が促すと、少し考え込む姿を見せた卓弥だったが、すぐに答えた。
「総理大臣とか?」

 卓弥の意見に俺たちはしばし硬直することとなったが、いつまでもそうしているわけにもいかない。だが、ことの真偽は、薗部佳歩に聞いたところで『ルール』に引っかかってしまうので分からない。
 結局、卓弥の意見は頭に留めておく程度にしておいて、とりあえずは中学校へと向かうことにした。したのだが……
「ここの……階段って……こんなに……きつかったっけ?」
 東谷中学校は、ちょっとした丘の上にある。そのため学校に行くためには、ぐるっと大回りする坂を上るか、今俺たちが通っている階段を上るかしなくてはならなかった。だから俺は中学生の頃は当然この階段を毎朝上っていた。上っていたのだが……
「ここの……階段って……こんなに……長かったっけ?」
「ああもう、お兄ちゃん、うるさいよ。部活もしないで家でゴロゴロしてばかりいるからそうなるんだよ」
 春奈の言葉が耳に痛い。一応は受験勉強のせいであまり運動していなかったという言い訳が立つのだが、どちらにせよ部活をしていなかったのが主因であることは事実なので言い返せない。
 そのまま黙って上っていると、果てなく続くと思われた階段もやがて終わりを告げ、視界が開ける。
「うーん、侮りがたきかな、子供の頃のおいらたち。毎朝こんな運動してたんだねえ」
 そういう割には、政史はあまり応えてるようには見えなかった。はるかがちょっときつそうなくらいで、他もピンピンしている。
 東京に着いたら、密かに筋トレをしようと心に決めつつ東谷中学校へ向かう。階段を上れば、東谷中学校はもう目と鼻の先だ。
 間もなく東谷中学校と、それを囲む三分咲きと言ったところの桜並木が見えてきた。この時期でこれくらいなら、今年の新入生は満開の桜に出迎えられて入学を果たせることだろう。
 そんなことを考えながら、俺たちは懐かしの学び舎に足を踏み入れた。

 卒業してからまだ三年ほどしか経っていないのに、そこは懐かしさに溢れた場所だった。皆して懐かしい、懐かしいと連呼しながら学校を見て回る。
「ねえねえあれ見てあれ、まだ残ってたんだー」
「あ、逆にこっちは建て替えられてるよ、やっぱり変わるところは変わるんだねえ」
 そんなことを言いながら夢中になっている皆につられて俺も懐かしさに浸っていたが、ここに来た本来の目的を思い出し、慌てて咳払いをする。それで皆、ハッとした表情になり、慌てて話し合いを始める。
「え、えっと、じゃあどこから手がかりを探していこうか」
 ほのかの質問に、すぐに返事が返ってくる。
「職員室からでどうだ」
 卓弥の提案は見事に支持を得た。確かに俺たちと薗部佳歩との関係性を探る上で、俺たちのことを知っている人と話をするのは有益だろう。ひょっとしたら薗部佳歩のことを知っている先生もいるかもしれない。
 だが俺には、どうも皆が恩師との再会を楽しみにしている節があるように思えてならなかった。それが悪いとは言わないが、なんだか本来の目的がおまけになっている感が否めず、俺は人知れず嘆息をつくのだった。

 しかし職員室に行ってみると、残念ながら、俺たちの恩師は既にほとんどが他の学校へと転勤していたことが判明した。去年卒業したばかりの春奈はともかく、確かに三年も経てば教員の顔ぶれは随分と変わるものである。それに一・二年の頃にお世話になった先生の中には、卒業を待たずに転勤なさった方々もいる。このような結果となるのは、至極当然のことかもしれない。
 とはいえ、全く残っていなかったわけではなく、俺たちは唯一学校に残っていた恩師、三葉先生のもとへと向かった。
 扉をノックする。
「どうぞー」
 と声が聞こえてくる。扉を開けると、何か金管楽器(多分トロンボーン)をチューニングしている三葉先生の姿があった。そう、ここは音楽準備室で、音楽担当である三葉先生は、俺たちが中二のときに副担任だった先生だ。また、授業だけなら三年のときにもお世話になった。
「あら、あなたたち、随分懐かしい顔が揃ったわねー、今日はどうしたの?」
 俺たちの副担任だった頃、まだ四十にはギリギリ届かない、けれども四捨五入すると三十にはならないという年齢に相応な雰囲気をまとっていた三葉先生。一言で言えばオバサンだったわけだが、今もそう変わらないようだった。
 三葉先生は作業の手を止め、立ち上がってこちらを見つめる。これといって変わったリアクションが見られないあたり、どうやら薗部佳歩には気づいていないようだ。
「いえ、大した用事があるわけじゃないんですけれど、俺たち高校を卒業したことですし、上京する前に中学校を見ていこうかなって」
 代表して俺が、適当に応えておく。満更嘘ではないとも言える。
「あら、あなたたち、皆、東京に行っちゃうの?」
 三葉先生が驚きの声をあげる。
「いえ、東京に行くのは光一と直之だけですよ、後はみんな地元で進学です」
「あらそう、光一君……そうか、木山君のことね?」
 そう言って眼鏡越しにこっちを真っ直ぐ見つめてくる。三年ぶりだというのによく覚えているものだと思いながら、頷く。
「直之君は……そう、太田君だったわ、ここにはいないみたいね。彼、面白かったわよね」
 何かを思い出したらしく、クククと笑いながら言葉を続ける。
「だってあの子ったら、ガガーリンをガチャピンと間違えるのよ。いつからガチャピンが地球で一番最初の宇宙飛行士になったのよ。フェルマータに至ってはフェルトペンよ、信じられる?」
 そこまで言うと堪えきれなくなったのか、ワハハハと大声で笑い出してしまった。
 その笑い声を聞きながら、そういえばそんなこともあったなあと思い出す。確かに直之のやつ、横文字を覚えるのが絶望的に苦手だったからな……でも音楽の時間になんでガガーリンが出てきたんだっけ、などと考えている間に三葉先生は笑いつかれたのか、笑うのをやめた。
「ハア、ハア……ま、それはそれとして、木山君、今でもピアノはやってるの?」
 内心ギクリとする。
「え、ええと、最近はもう弾いてませんね」
 ピアノを習っていたのは幼稚園から小学生の頃の話だ。中学校に入ってからは、たまに思い出したように弾く程度だったのに、どうして先生が知っているんだ……と考え、すぐに思い出す。そういえば合唱コンクールのときに、ピアノが弾ける人って聞かれて馬鹿正直に手をあげたんだったっけ。まさかそれを覚えていたとは……
「そう、じゃあ折角だからここで一曲弾いていかない?」
「い、いや、いいですよそんなの全然、時間も無いですし」
 言いつつ薗部佳歩の方をチラッと見る。まあ三葉先生には聞こえないけれど、俺の言葉を肯定して、援護射撃をしてほしかったからだ。だが俺の期待はあっさり打ち砕かれる。
「私も、光一さんのピアノ、聴いてみたいです!」
 心が揺らぐ。正直俺のピアノは、謙遜抜きに大したことない。たまに気が向いたときに弾くことは弾くが、練習があまり好きではないので、ほとんど上達というものがないのだ。ゆえに春奈でさえも、最近は俺のピアノを聞いていない。いや、正確には聞かせていない。
 それなのに、ここで二人の人物(三葉先生と薗部佳歩)からピアノを弾けと申し付けられてしまった。しかもそのうちの一人は、自分がピアノを弾かないで済むように口実にさせてもらうはずだった人物だ。
 他の言い訳も考えようかと思ったが――薗部佳歩の顔を見て、それが馬鹿馬鹿しくなった。
「わかりました、じゃあ一曲だけ――」
 それを聞いて、皆が拍手で迎える。だからそんな大した腕じゃないってのに!
 ため息をつきつつ、椅子に座り、ピアノに向き合う。弾く曲は迷わない。迷う余地も無い。俺が今でもそらで弾ける曲なんて、一曲しかないのだから。

 それは小学生の頃、母に弾くようにせがまれた曲で――

 当時の俺は悪戦苦闘しながら覚えて――

 やっとのことで弾けたと思ったら――

 それからは毎年のように機会があるごとに弾かされて――

 辟易しつつもなんだかんだで俺自身も気に入ってしまっていたその曲は――

 なんでもドラマの中で主人公が弾いてた曲だとかで――

 タイトルはそう、『Close to you』――

 感慨に耽りながら奏でた曲は、途中で何度か間違えつつも、止まらずになんとか弾ききることができた。間違いもそんなに酷いものではなかったし、多分三葉先生以外にはばれていないだろう。数ヶ月……いや、多分一年ぶりくらいに弾いた割には良いできだった。
 ほんの数人分のものとはいえ、拍手の音が部屋を満たす。
「……いやあ、光一のピアノを聴いたのはおいら初めてだけど、こんなにうまかったとはねえ」
「よせよ政史、ほめられるほどのものじゃないんだから」
「あら、そうでもないわよ、これならやっぱりあなたに一度くらい合唱コンクールの伴奏をさせとくんだったわね」
「そうですよ、私もこんな良い曲聴いたことありません!」
 それはほめすぎだろ、と三葉先生に悪乗りする薗部佳歩に突っ込もうとして気づく。春奈が、そして卓弥がいない。
「あれ、そういえば春奈と卓弥は?」
「春奈ちゃんは途中で抜け出して、卓弥はそれを追いかけていったけど……」
 春奈が途中で抜け出した? トイレにでも行きたくなったのだろうか?
「まあ、春奈ちゃんのことは、卓弥に任せておけばいいと思うよー」
 政史の言葉にそれもそうだということになり、結局そのまま俺たちは、三葉先生に一言お礼を告げてから音楽室を退室した。

「さて、次はどこに行ったものか……」
「屋上はどうかしら? ほら、昼休みによく一緒に行ったでしょ」
 ほのかの提案にそれもそうだということで、皆して屋上へとあがった。
 屋上の扉を開けて真っ先に視界に飛び込んでくるのは……
「わあ、ここも綺麗に桜島が見えるんですね!」
 開口一番、そう言ったのは薗部佳歩だった。そう、この学校は多分市内で一番桜島が綺麗に見える中学校だろう。丘の上に位置するがゆえに、遮るものが何一つ無く桜島を見ることができる。別に屋上からでなくても十分に見栄えはよいが、やはり屋上からの眺めは格別だ。
「ここもってことは、お前の家からも桜島が見えたりするのか?」
「いえ、私の家からじゃなくて、鶴畑高校からですよ」
 言われてみて思い出す。鶴畑高校には一度だけ、小学校の遠足で行ったことがある。まあ、行ったとは言っても通過しただけだが、確かにあそこからの眺めもなかなか良かった。
 正門あたりから真っ直ぐに桜島の方向へと道路が延びているおかげで、さながらモーセが海を割るように、建物が桜島への視界を開けているのだ。あちらにはここと違った風情がある。
 そう一人で納得していると、何かが視界にチラついているのに気づいた。
「雪?」
「いやいや、雪と灰を間違ってどうする。大体桜島が噴火しているのは、見りゃ分かるだろ」
 俺がツッコミを入れると、言われてみればと彼女もぼやいた。大体三月だし雲ひとつ無いのに(噴煙は上がっているが)雪が降るわけが無い。
 ただそれはそれとして、ここまで分かりやすく火山灰が降るのも最近にしては珍しいと思う。桜島は一応活火山だし、噴煙が上がること自体はそれほど珍しくもないが、最近は勢いがそれほどでもないおかげで、市内に積もるほどの灰、いわゆるドカ灰が降ることはなかった。それにどれだけの勢いで噴火したとしても、風向きによってはこちらまで火山灰が飛んでくるとは限らない。そういった意味では今日は運が悪かったと言えるだろう。
 家に帰ったら、母さんに灰を片付けるように言われる可能性に思い当たり、積もってほしくないなと漠然と考えていたら隣で薗部佳歩がぼそりと呟いた。
「積もってほしいですね」
「え?」
 思わぬ発言にギョッとする。
「あ、もちろん、これが雪だったらって話ですよ」
 そんな風に慌てて入ったフォローにホッとしつつもあえて言う。
「そうか? 俺はこれが雪でもあまり積もってほしくは無いぞ」
 雪なんて積もったところで、滑るし、歩きにくいし、列車は止まるし、不便だし……実用性なんて少しも無い。
「ほっほー、光一はそんなことを言うわけだ。おいらは雪が積もると嬉しいけどねえ」
「私もやっぱり、雪が積もるとちょっと嬉しいかも。ほら、なんだかロマンチックだし」
 残念ながらこの場に俺の味方はいないようだった。
「そ、そりゃあ俺だって、子供の時は雪が積もると嬉しかったけれどさ……」
 こんな南国で雪が積もるなんて滅多にないことだから、雪が積もった日にはそれはもう目一杯雪と戯れたさ。
 でもいつの頃からか、なんだか雪が積もっても嬉しくなくなってしまって……
 むしろ邪魔だなと思うようになってしまって……
 あれはいつの頃からだろう……
 具体的にいつ、と言えるものではないが、でもあえて言うならばそれは、

 大人になった時。

 なんてね。
 そんな考えをごまかすように、薗部佳歩に尋ねる。
「なあ、何でお前は、雪が積もるといいなって思うんだ?」
「え、私ですか?」
「ああ」
 彼女はつと視線を空に向けると、
「やっぱりロマンチックだからですかね、それに……」
 そこまで言ってから一度目を閉じ、そして再び開けてから告げる。
「それにどうせ降ってきたのなら、自分がいた証をできるだけ残していってほしい、そう思いたくなるじゃありませんか」
 そしてこちらに微笑みを向ける。

 それは普通のときに見ればきっととびっきりの微笑みだっただろうに、今の彼女にはとても痛々しくて――

 俺たちは誰一人として直視できなかった。
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